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第14話 神の診察室(透視能力と臓器再生)

 王都ライゼンの王立中央病院。

 その一角にある広大な中庭は、今日も異様な熱気に包まれていた。


 普段は貴族たちの散歩コースとして使われる、手入れの行き届いた芝生の上には、簡易的なベッドや椅子がずらりと並べられ、そこには包帯を巻いた兵士や杖をついた市民たちが、緊張した面持ちで座っている。


 彼らの目の前には、純白の修道服に身を包んだ十名の少女たち――グリタニア大聖堂教会から派遣された「聖女」たちが、凛とした表情で整列していた。


 一週間前までは自信なさげに俯いていた「候補生」たちの面影は、もはやどこにもない。

 彼女たちは自身の内に眠る力に目覚め、それを振るう覚悟を決めた「癒やし手」の顔をしていた。


 そして、その彼女たちを一段高いテラスから見下ろしているのが、この場における絶対的な指導者、六歳のアルヴィス・フォン・ヴァルドスタである。


「――よし、全員揃っているな」


 アルヴィスは手元の果実水を置き、立ち上がった。

 彼の声はマイクも使っていないのに、中庭の隅々まで明瞭に届く(もちろん『音響操作』の異能だ)。


「今日から、いよいよ実践訓練に入る。植物相手のおままごとは終わりだ。今日、お前たちが相手にするのは『人間』だ。痛みを感じ、血を流し、そして助けを求めている、生きた人間だ」


 聖女たちがゴクリと喉を鳴らす。

 植物を育てるのとはわけが違う。失敗すれば、目の前の人間が苦しむことになるのだ。そのプレッシャーは計り知れない。


「だが、恐れることはない」


 アルヴィスは、彼女たちの不安を見透かしたように断言した。


「お前たちは、すでに『力』を持っている。先週、植物を発芽させた時の、あの感覚。あれを忘れていなければ、人間を治すことなど造作もない。対象が『種』から『人』に変わっただけだ」


 彼は兵士たちに合図を送った。


「まずは小手調べだ。擦り傷、切り傷程度の軽傷患者を、どんどん連れてこい」


 兵士たちが誘導し、第一陣の患者たちが聖女たちの前に座る。

 訓練中の怪我をした新米兵士や、路地裏で転んだ子供、包丁で指を切った主婦などだ。


「では始めろ。手順は教えた通りだ。傷口に意識を集中し、生命力を注ぎ込め。『治れ』と念じれば、細胞が勝手に応えてくれる」


「は、はいっ!」


 聖女たちが、患者の傷口に手をかざす。

 最初は恐る恐るだった。


 だが、彼女たちはすぐに思い出した。

 あの時、アルヴィスと感覚を共有した時の、掌が熱くなるような生命の奔流を。


「……癒やしを与えよ」


 ボワッ。


 少女たちの手から、温かい光が漏れ出す。

 それは傷口を優しく包み込み、見る見るうちに塞いでいく。


 赤い線となって滲んでいた血が止まり、かさぶたができる間もなく、新しい皮膚が再生される。


「おおおっ……!」


 腕の切り傷を治してもらった兵士が、驚きの声を上げた。


「痛みが……消えた? 傷跡もないぞ!」

「ありがとうございます、聖女様!」

「すごい、魔法みたい!」(魔法なのだが)


 患者たちからの感謝の言葉。

 それが聖女たちにとって、何よりの自信となった。


「で、できましたわ先生!」

「私もです! 綺麗に治せました!」


「うむ、悪くない」


 アルヴィスはテラスから頷いた。


「やってみた通り、擦り傷程度は簡単だ。皮膚組織の再生など、人体が本来持っている自然治癒力を、数千倍に加速させるだけでいい。構造が単純だからな」


 彼は手を叩いて、注目を集める。


「よしよし、調子が出てきたな。では次だ。レベルを上げるぞ」


 アルヴィスの合図で、次の患者たちが運ばれてくる。

 今度は自力で歩けない者たちだ。担架に乗せられた者や、添え木をして呻いている者たち。


「次は『骨折患者』だ。どんどん連れてこい」


 聖女たちの顔色が少し変わる。

 骨折。それは皮膚の傷とは違う。身体の内部、目に見えない場所での損傷だ。


「先生……骨折は傷口が見えません。どうやって治せば……?」


 代表格の少女が質問する。


「良い質問だ。皮膚の上から適当に魔力を流しても、骨が歪んだままくっついたり、余計な骨が増殖したりして、後遺症が残るだけだ」


 アルヴィスはテラスから飛び降り、一人の患者の元へ歩み寄った。

 建設現場で足場から落ち、右腕を複雑骨折している職人だ。腕は紫色に腫れ上がり、見るからに痛々しい。


「まずは『視る』ことが必要だ。どこがどう折れているのか。それを正確に把握しなければ、治癒は始まらない」


「視る、ですか? 透視魔法のような?」


「それに近いが、もっと簡単で確実な方法を教える。……お手本だ、よく見てろ」


 アルヴィスは右手をかざした。

 すると彼の手のひらに、バレーボール大の「光の球」が出現した。


 だが、それはただ明るいだけの照明魔法ライトではない。

 どこか青白く、透き通るような特殊な波長を放つ光球だ。


「これは『診断球スキャン・オーブ』とでも呼んでくれ。治癒能力の応用だ。魔力を特殊な波長に変えて対象に浸透させ、正常な生体反応と異なる部分――つまり『異常箇所』を、視覚的に強調して映し出す」


 要するに、魔力による簡易レントゲン兼MRIのようなものだ。


「さて、この光球を患者に当てるぞ」


 アルヴィスは光球を、職人の腫れ上がった右腕に近づけた。

 すると光が腕を透過し、その内部構造がぼんやりと空中に、ホログラムのように浮かび上がった。


 そして――。


「あっ……!」


 聖女たちが息を呑む。


 青白い光の中で、骨折している部分だけが、どす黒い「影」としてくっきりと浮かび上がっていたのだ。

 橈骨と尺骨が完全にへし折れ、破片が散らばっている様子が、影絵のように映し出されている。


「おおー……」

「見えます……! 骨が折れていますわ!」


「分かるか? これが『患部』だ」


 アルヴィスは影を指差した。


「魔力の流れが阻害され、組織が壊死し、炎症を起こしている場所は、このように黒い影として反応する。これなら、どこをどう治せばいいか明白だろ?」


 彼はそのまま治癒を開始した。

 黒い影の部分に集中的に、金色の光を注ぎ込む。


 すると影絵の中で、折れた骨がひとりでに動き出し、正しい位置にカチリと嵌まる。

 そしてヒビが埋まり、黒い影が徐々に薄くなり――最後には完全に消滅した。


「……ううごっ? 痛みが……引いた?」


 職人が恐る恐る目を開ける。

 腫れ上がっていた腕が、見る見るうちに元の太さに戻っていく。


 彼は腕を回し、グーパーと握ってみせた。


「す、すげえ! 治ってる! 全然痛くねえ!」


「骨折箇所が綺麗に接合されたからな。リハビリもいらんぞ」


 アルヴィスは光球を消し、聖女たちに向き直った。


「今のを見たな? この『悪い箇所が分かる光球』を、作り出してもらう。原理は簡単だ。魔力を広げて、跳ね返ってくる『違和感』を光に変換するだけだ」


 簡単だと言い切る。

 実際には、魔力感知と映像化という高度な技術なのだが、アルヴィスはあえて「簡単だ」と言い聞かせることで、彼女たちの精神的なハードルを下げているのだ。


「まあ、お前たちなら全員出来るだろう。さっきの感覚を思い出してやってみろ」


「は、はい!」


 聖女たちは、それぞれの目の前にイメージを膨らませる。

 治癒の光とは違う、探索の光。

 真実を映し出す鏡。


 フワッ、フワッ……。


 次々と、彼女たちの手元に青白い光球が生まれ始めた。

 最初は歪だったり明滅していたりしたが、すぐに安定した球体へと収束していく。


「よし、上出来だ。じゃあ骨折患者を、どんどん連れてこい!」


 アルヴィスの号令で、野戦病院のような慌ただしさが戻ってくる。


「骨折箇所をどんどん治癒していけ! 光球で箇所を確認するのを忘れるなよ! 折れた骨を正しい位置に戻すイメージだ! 影が消えるまで、魔力を注ぎ続けろ!」


「はいっ!」


 聖女たちは光球を患者にかざす。


「あ、見えました! 足の骨に黒い影が!」

「こちらは肋骨ですわ! 三本も折れて……痛かったでしょうに」


 影を見つければ、そこがターゲットだ。

 彼女たちは迷うことなく治癒魔法を行使する。


 ポキポキという音が聞こえそうな勢いで、次々と骨が繋がり、患者たちが歓喜の声を上げて立ち上がっていく。


「よしよし、順調だな」


 アルヴィスは腕を組んで、その様子を眺めていた。


 可視化ビジュアライズの効果は絶大だ。

 「見えないもの」を治すのは怖いが、「見えている黒い影」を消す作業なら、精神的な負担は大幅に減る。


 これは治療であり、ある種の「消しゴムかけ」のような作業へと単純化されたのだ。


「ただし!」


 アルヴィスは注意を促した。


「骨折以外の妙な黒い部分がある場合は、すぐに俺を呼べ! お前たちの手に負えない病気や、呪いの類の可能性があるからな」


「はい先生!」


 治療は順調に進んでいた。

 このまま全員完治かと思われた、その時だった。


「せ、先生! 来てください!」


 一人の聖女が、焦った声でアルヴィスを呼んだ。

 彼女の前には、一人の老人が横たわっている。


 骨折ではない。ただ、苦しそうに胸を押さえて、荒い息をついている。


「どうした?」

「む、胸に……黒い影があるのですが……その様子が変なんです!」


 アルヴィスが近づき、老人の胸に自分の光球をかざした。


 そこには肋骨の奥、心臓の部分に、ドロリとした濃密な「黒い影」が渦巻いていた。

 骨折のような鋭利な影ではない。もっと深く根を張ったような、不吉な影だ。


「……ふむ」


 アルヴィスは目を細めた。


 『異能ライブラリ』の解析機能が、瞬時に病状を特定する。

 冠動脈の閉塞、心筋の一部壊死、弁膜症の併発。


 いわゆる重度の心疾患だ。寿命といってもいいレベルの老衰も混じっている。


「よし、みんな! 聖女共、集まれ!」


 アルヴィスが手を叩くと、作業の手を止めた聖女たちが集まってきた。


 彼女たちも、その老人の胸にある不気味な影を見て、息を呑む。


「見ろ。骨折とは違う影だ。これは『病魔』だ」


 アルヴィスは老人に語りかけた。


「爺さん、胸が苦しいと感じた時はあるか?」


「あああ……。昔からだよ……。最近は歩くのも辛くてな……。医者にも、もう寿命だと言われとる……」


 老人は諦めきった笑みを浮かべて答えた。


「うむ、黒い影が心臓部にある。恐らく、昔から心臓が悪かったのだろう。血管が詰まり、心臓そのものが弱っている」


 聖女たちが悲痛な顔をする。


「心臓……。そんな、身体の奥深くの、命の根源を治すなんて……」

「私達には無理です……」


 骨を継ぐのとはわけが違う。

 動いている臓器、それも最も重要な心臓を魔法で修復するなど、神の領域だ。


「もう歳のようだし、そう長くはないな」


 アルヴィスは冷徹な事実を告げた。


「そうかい……。まあ、覚悟はしとるよ……」


 老人は目を閉じた。


「――俺がいれば別だがな」


 アルヴィスの言葉に、老人がカッと目を開いた。

 聖女たちも驚いて、教師を見る。


「見てろ。これが『臓器再生』だ」


 アルヴィスは右手に魔力を集中させた。


 今度の光は、先ほどの光球とも治癒の光とも違う。

 より高密度で、より複雑な術式が編み込まれた、虹色の輝きを放つ光だ。


「心臓を治すには、単に生命力を注ぐだけじゃ足りない。詰まった血管を通し、壊死した筋肉を再生し、弁の動きを正常化させる。ミクロ単位の『手術』を、魔法で行うんだ」


 アルヴィスはその光る手を、老人の胸――心臓の真上に、そっと置いた。


「――再構築リビルド


 カッッッ!!!


 強烈な光が溢れ出し、老人の胸を透過した。


 聖女たちは、光球越しにその様子を目撃した。


 心臓に巣食っていたドロドロとした黒い影が、光に焼かれるようにして端から消滅していくのを。

 詰まっていた血管が開き、血流が奔流となって全身を巡り始める。


 弱々しく震えていた心臓の鼓動が、ドクン、ドクンと力強いリズムを取り戻していく。


 数秒後。


 光が収まった時、そこには一片の曇りもない、綺麗な心臓の輪郭だけが映し出されていた。


「おーっ!」


 歓声を挙げる聖女達。


「黒い影が……完全に消えましたわ!」

「信じられない……あんなに深かった影が!」


「うむ。心臓部に治癒を掛けた部分さえ分かれば、このように治癒させることが出来る」


 アルヴィスは、額の汗を拭うふりをした(実際には疲れていないが演出だ)。


「部位が分からんと治癒は難しいぞ。だが逆に言えば、『視えれば』治せる。お前たちも人体の構造を勉強し、魔力の制御を極めれば、いつかはここまで辿り着ける」


 彼は、呆然としている老人の方を向いた。


「じゃあ、お前の心臓は治癒したから、長生き出来るぞ。寿命だなんて諦めるな」


 老人は自分の胸を触った。


 苦しくない。

 いつもの鉛のような重みがない。


 それどころか、身体の内側から力が湧いてくるようだ。


「あ、ありがてぇ……!」


 老人はベッドの上で起き上がり、涙を流してアルヴィスの手を握った。


「助かったよ……! 心臓の違和感が、完全に消えてる……! 坊ちゃん……いや大魔法使い様! ありがとう、ありがとう……!」


「礼はいい。長生きして、孫の顔でも見てやれ」


 アルヴィスは手を振って、老人を下がらせた。


 そして聖女たちに向き直る。

 彼女たちの瞳は、今まで以上にキラキラと輝いていた。


 「心臓病すら治せる」。

 その事実は彼女たちにとって、魔法(奇跡)の可能性が無限であることを示す、最高の希望となったのだ。


「よし! 感激してる暇はないぞ! まだ患者は待ってるんだ!」


 アルヴィスが手を叩く。


「来てる骨折患者を、全員治すぞ! 今日中にノルマ達成だ! さっさとやれ!」


「「「はいっ!!!」」」


 聖女たちは、もはや迷いなく、次々と患者の元へと走っていった。

 その背中は、頼もしい「医療従事者」のそれだった。


 夕暮れ時。


 全ての患者の治療を終えた頃には、病院の中庭は感謝と笑顔で溢れかえっていた。


 アルヴィスはそれを満足げに眺めながら、果実水の残りを飲み干した。


(……ふう。これで教会の顔も立ったし、俺の評判も上がる。一石二鳥だな)


 彼は内心でほくそ笑んだ。


 これでまた一歩、隠居生活(のための貯金とコネ作り)が進んだはずだ。


(まあ、あいつらが聖女として独り立ちしてくれれば、俺がわざわざ呼び出されることもなくなるだろうしな)


 そんな甘い考えを抱きながら、彼は転移魔法を発動させるのだった。

 その活躍が逆に「神の御業を持つ少年」として、さらなる面倒事(信者たち)を引き寄せることになるとは、まだ気づかずに。

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