第12話 聖女の覚醒(感覚共有による強制進化)
王都ライゼン王立中央病院。
その敷地内にある、普段は高位貴族や王族専用として使われる特別棟の一室が、今日の「教室」だった。
清潔な白壁に囲まれた広い部屋には長机が並べられ、その上には水の入ったガラスのコップと、その底に沈む植物の種が置かれている。
席に着いているのは、十名の少女たちだ。
年齢は十五歳から十八歳ほど。全員が純白の修道服に身を包み、清廉な空気を纏っている。
彼女たちこそ、西の宗教国家グリタニア大聖堂教会から派遣されてきた「聖女候補」と呼ばれるエリートたちである。
だが、今の彼女たちの表情はエリートと呼ぶにはあまりに頼りなく、不安と困惑に彩られていた。
「……あ、あの。先生」
最前列に座る栗色の髪をした少女が、おずおずと手を挙げた。
彼女の視線の先、教壇に立っているのは――どう見ても六歳の幼児である、アルヴィス・フォン・ヴァルドスタだった。
「なんだ?」
「本当に……アルヴィス様が、私たちの指導をしてくださるのでしょうか? その……魔法使いの方が、聖女の修行を?」
彼女の疑問は、もっともだ。
教会における「奇跡(聖女の力)」と、世俗の「魔法」は、長らく別物として扱われてきた。
魔法は、理論と魔力によって世界を書き換える技術。
対して奇跡は、神への祈りと信仰によってもたらされる恩寵。
水と油。
相容れないものだと教えられてきた彼女たちにとって、異国の、しかも幼い魔法使いに教えを乞うというのは、屈辱以前に「意味がわからない」状況だった。
アルヴィスはパイプ椅子(足が届かないので座面の上であぐらをかいている)の上で頬杖をつき、気だるげに答えた。
「俺が教えることに不満か? まあ無理もない。だが、お前たちがここに来た理由は一つだろ。『奇跡が使えないから』だ」
少女たちがビクリと肩を震わせ、俯く。
図星だった。
彼女たちは皆、高い魔力保有量(聖法気)を持ちながら、肝心の「治癒」や「浄化」といった奇跡を、意図的に発動させることができずにいた。
たまにまぐれで成功することはあっても安定しない。
いわゆる「落ちこぼれ」の烙印を押される寸前の、崖っぷち集団なのだ。
「さて、始めようか。時間は有限だ」
アルヴィスは立ち上がり、教鞭(指し棒)をパンと掌で叩いた。
「まず、お前たちに問う。『奇跡』とは何だ?」
少女たちが顔を見合わせる。
やがて、代表格らしい少女が、教えられた通りの模範解答を口にした。
「はい。奇跡とは……神の祝福をその身に体現し、迷える子羊たちに救済をもたらす聖なる御業です。
我ら聖女は神の器となり、その慈悲を地上に顕現させるのです」
「……うむ。まあ、そういうことにしておくか!」
アルヴィスは大きく頷いた。
(内心では盛大にツッコミを入れているがな。
『因果律改変能力』だの『物理法則の上書き』だの、魔法使い(エレノア)たちにしたような説明をしても、こいつらには逆効果だ。
信仰心が邪魔をして理屈を受け入れられないだろう。
なら方便だ。彼女たちの『信仰』というシステムを利用して、中身を書き換えてやるのが正解だ)
「定義はそれでいい。神の祝福、結構なことだ。では次だ」
アルヴィスは鋭い視線を向ける。
「では、なぜお前たちはその『奇跡』を遣うことができない? 神が、お前たちを見放したからか?」
「そ、それは……」
少女たちの顔が曇る。
「……私たちの信仰が足りないからです。祈りが神に届いていないのです……」
「申し訳ありません……。私たちは未熟者で……」
重苦しい空気が、部屋を支配する。
自己否定と罪悪感。それが、彼女たちを縛る鎖だった。
「うむ、自分を未熟者と思う謙虚さは良い。だがな」
ダンッ!
アルヴィスが教卓を叩く音が響く。
「それではダメだ!!! 一生、奇跡なんぞ起こせんぞ!」
少女たちが驚いて、顔を上げる。
「奇跡を遣うために、絶対に必要な要素がある。魔力でも、聖書の知識でもない。それは……」
アルヴィスは一呼吸置き、告げた。
「――『自信』だ」
「じ、自信……ですか?」
「そうだ。自分が聖人であることを、寸分狂わず思い込むこと!
『私は神に選ばれた』『私の手は人を救うためにある』という、圧倒的で強固な自己意識!
他者に何を言われても揺らがない絶対意思!!! それこそが奇跡を引き寄せる引力となる!」
アルヴィスは教卓の上を歩き回りながら、熱弁を振るう。
「お前たちは今、スランプに陥っている。
『失敗したらどうしよう』『私には無理かもしれない』……そんな負の感情が、成功のイメージを塗りつぶしている。
出来ないという意識がまず最初にある! だから出来ないんだ!」
魔法も奇跡も、根源は「イメージの具現化」だ。
「治る」と確信して魔力を流せば治る。「治らないかも」と思って流せば、魔力は迷い霧散する。
彼女たちは真面目すぎるがゆえに、「神の力を私が勝手に使っていいのか」という畏れを抱き、それがブレーキになっているのだ。
「普段どんな修行をしている?」
「ええっと……聖書を読み……断食をして身を清め……他者を慈しむ心を持ち……」
「うむ、その修行も悪くない」
(いやダメダメだ。断食なんかして血糖値が下がったら、集中力が落ちるだろうが。
栄養を摂れ、栄養を。
だが、彼女たちの価値観を全否定するとパニックになるからな。ここは配慮が必要だ)
「心がけは立派だ。だが、精神論だけじゃ人は救えない。技術が必要だ。俺の修行は、最初は簡単だ」
アルヴィスは、机の上に置かれたコップを指差した。
中には、水と一粒の種が入っている。
「おい、用意しろ!」
控えていた兵士たちが、新しいコップを持ってくる。
「では見ておけ! これが『治癒能力』の基本形だ!」
アルヴィスはコップに手をかざした。
詠唱はない。祈りもない。
ただ、彼の手のひらから、温かく柔らかな光が溢れ出した。
ボワッ……。
光が水を透過し、種を包み込む。
するとどうだ。
種が、まるで早送り映像のようにピクリと動き、殻を破り、白い根を伸ばし、そして鮮やかな緑色の芽を水面へと突き出したのだ。
わずか数秒の出来事だった。
「おぉぉぉーーーーっ!」
聖女候補たちが、一斉に歓声を挙げる。
彼女たちの目には、それが紛れもない「神の奇跡」として映っていた。
「よし、見たな。何が起きた?」
「た、種から芽が出ました……! 一瞬で!」
「奇跡です! 枯れかけた命が息吹を取り戻したかのようです!」
「生命力を与えたのですか?」
勘の良い一人が尋ねる。
「正解だ!」
アルヴィスは指を鳴らす。
「治癒能力とは、突き詰めれば『生命力の譲渡と活性化』だ。
俺の魔力を生命エネルギーに変換し、種に与え、細胞分裂を強制的に加速させた。
怪我を治すのも同じ原理だ。傷口の細胞に活力を与え、時間を進めるように塞ぐ。植物を成長させたのだ!」
「植物に……生命を……。そんなことが私たちにも?」
「奇跡が、遣うことが出来るのですね!」
少女たちの目に、希望の光が宿る。
「ああ。さて、お前たちにはこの水の入ったコップの種に生命力を与えて、芽を出す訓練をしてもらう! 怪我人を治す前の基礎練習だ」
アルヴィスは、課題を与えた。
「では、やってみろ。生命力を与えてみろ」
「は、はい!」
少女たちは一斉にコップに手をかざす。
目を閉じ、祈りを捧げ、必死に念じる。
『芽よ出ろ』『神様お願いします』。
……シーン。
何も起きない。
コップの水は静まり返り、種は沈黙したままだ。
数分が経過し、少女たちの額に脂汗が滲む。
焦りが伝播する。
「やっぱりダメだ」「私には無理なんだ」。負のループが再始動する。
「……うむ、出来ないな」
アルヴィスは冷徹に観察していた。
魔力は出ている。だが、それが「生命力」という波長に変換されていない。
ただの魔力の塊が種にぶつかって、散っているだけだ。
例えるなら、電気はあるが、それを熱に変える電熱線がない状態。
(こんな簡単なことも出来ないとは……と言いたい所だが、まあ出来たら俺は呼ばれてないわな)
彼女たちには「感覚」が欠けているのだ。
「治す」という行為が、具体的にどういうエネルギーの動きなのかを知らない。
教会の教えでは、「祈れば光が降ってくる」としか教わっていないからだ。
「止め!」
アルヴィスが手を叩く。
少女たちが沈痛な面持ちで、顔を上げる。
「先生……申し訳ありません……」
「やはり私達には……」
「諦めるのが早い!」
アルヴィスが一喝する。
「出来ないのは当たり前だ。お前たちは『やり方』を知らないだけだ。
自転車の乗り方を知らない人間に、いきなり乗れと言っても転ぶに決まっている」
アルヴィスはニヤリと笑った。
ここからが、最強の教師の真骨頂だ。
「言葉で説明しても分からんようだ。なら、身体に直接教え込んでやる」
「か、身体に……!?」
少女たちが身構える。
体罰か、それともいやらしいことか。
「馬鹿な想像をするな。精神感応だ」
アルヴィスは指先でこめかみをトントンと叩く。
「今から俺の精神をお前たちの脳に接続する。
俺がさっき行った『治癒能力』の感覚、魔力の練り方、生命力への変換プロセス……その『経験』そのものを共有する」
「経験の……共有?」
「そうだ。俺の感覚がお前たちの感覚になる。では行くぞ!」
アルヴィスは異能『精神感応』を発動。
対象、聖女候補十名。
リンク深度レベル3(感覚共有)。
ブォン……。
少女たちの脳内に、異質な、しかし温かい感覚が流れ込んでくる。
「きゃっ!?」
「な、なにこれ……!?」
彼女たちは、自分の手が自分の手でないような感覚に襲われた。
アルヴィスの感覚が、彼女たちの神経に上書きされる。
「手が……熱い?」
一人の少女が呟いた。
物理的に熱いのではない。
身体の奥底から滾るようなエネルギーが、掌に集中し、渦を巻いている感覚。
「そうだ! それが生命力だ!」
アルヴィスの声が、耳ではなく脳内に直接響く。
「魔力をただ放出するんじゃない。体温のような、血液のような、温かい波長に変換しろ。
イメージしろ、暖炉の火を。陽だまりの暖かさを」
アルヴィスのガイドに従い、少女たちの魔力が変質していく。
無色透明だった魔力が、黄金色の粘り気のある「生命の雫」へと変わるイメージ。
「そして、それを種に『分け与える』イメージでやってみろ! 押し付けるんじゃない、注ぎ込むんだ!」
少女たちは、アルヴィスの感覚を頼りに再びコップに手をかざした。
今度は迷いがない。
「こうすればいい」という正解の感覚が、脳裏に焼き付いているからだ。
ボワッ……!
ボワッ、ボワッ……!
次々とコップの中に光が灯る。
先ほどアルヴィスが見せたものと同じ、温かく優しい光。
「あ……っ!」
「種が……動いてる……!」
光の中で、種が殻を破る。
生命の息吹が、ガラスの中で爆発する。
ニョキニョキと可愛らしい双葉が、水面から顔を出した。
「せ、先生……出来ました……!!!」
「私も! 私もです!」
「嘘みたい……こんなに簡単に……!」
歓喜の声が上がる。
全員が成功したのだ。
成功体験。それが何よりの特効薬だ。
「うむ。一度経験したな。その『熱さ』、その『流れ』を忘れるなよ」
アルヴィスは頷き、指を鳴らした。
「では、テレパシーを切る」
ブツン。
接続が断たれる。
途端に、少女たちは不安げな顔になった。
「あっ……」
「手の熱い感覚が……聖なる感覚が……消えちゃった……」
補助輪が外された自転車のように、彼女たちは急に心細くなったようだ。
魔法の源泉が断たれたような喪失感。
「いや、感覚が無くなっただけだ。お前たちはその力を『失った』わけじゃない」
アルヴィスは強く言い聞かせる。
「勘違いするな。今、芽を出させたのは俺の力じゃない。お前たち自身の魔力だ。俺はただ、出し方を教えたに過ぎない」
彼は、芽を出したコップの一つを指差した。
「見ろ。そこに証拠があるだろう。お前たちは、すでに生命を生み出したんだ」
少女たちが自分の手とコップを見比べる。
そうだ。やったのは自分たちだ。
あの温かい奔流は、自分の内側から湧き上がってきたものだった。
「お前たちはその力を、すでに持っている!!! 信じろ! 奇跡はすでに起きている!」
アルヴィスの言葉が言霊となって、彼女たちの芯に突き刺さる。
「つまり二度目も簡単だ! もう一度やってみろ。今度は俺の補助なしで。あの時の『熱さ』を思い出せ!」
少女たちは、再び新しいコップに向き合う。
もう迷いはなかった。
(私にはできない)という呪いは消え、(さっきできたのだから次もできる)という確信に変わっていた。
目を閉じる。
思い出す。あの感覚。
手のひらに集まる熱。
血液の循環。
生命の鼓動。
……ジワッ。
一人の聖女候補の手が、淡く光り始めた。
さっきのような爆発的な光ではない。もっと弱々しく、頼りない光だ。
だが、それは紛れもなく、彼女自身の力のみで生み出された輝きだった。
「……で、出来ました!」
種がゆっくりと、しかし確実に殻を破る。
「私も……!」
「来ました……!」
次々と成功していく。
さっきよりはゆっくりだが、確実に。
全員が、自力で奇跡を再現してみせた。
「よしよし。上出来だ」
アルヴィスは内心で胸をなでおろした。
これで第一段階はクリアだ。
彼女たちは、「奇跡の発動原理」を身体で理解した。
「一週間後の次の授業まで宿題だ。ひたすら植物に生命力を与え続けろ!」
アルヴィスは部屋の隅に用意させていた、大量の植物の種と鉢植えを指差した。
「その感覚を完全な物としろ。無意識でも手が熱くなるくらいまで、魔力回路を焼き付けろ。手の生命力を、常に感じろ!」
彼は、かつてエレノアに課したスパルタ訓練を思い出しながら、ニヤリと笑った。
「寝ても覚めてもだ。食事中も入浴中も、常に『私は生命力を与えられる』と意識し続けろ。
枯れかけた花を見たら、反射的に治癒をかけるくらいになれ」
それは、自己暗示と魔力制御の極致。
常在戦場ならぬ、常在奇跡。
「いいか、よく聞け」
アルヴィスは壇上から、未来の聖女たちを見下ろして宣言した。
「お前たちはもう『候補』などという甘い呼び名で甘えるな。お前たちは今日、生命を操った」
彼の瞳が、黄金に輝く。
「お前たちは、すでに聖女なのだ!!!」
「「「はいッ! アルヴィス先生!!!」」」
少女たちの返事は、この部屋に入ってきた時の自信なげなものではなかった。
瞳には強い光が宿り、その表情は使命感と喜びに満ち溢れていた。
自分たちはできる。
その確信が、彼女たちを美しく、そして強く変貌させていた。
◇
授業が終わり、少女たちが興奮冷めやらぬ様子で退出していくのを見送りながら、アルヴィスは椅子の上で伸びをした。
「ふあぁ……疲れた。慣れない精神感応は神経を使うな」
十人同時の感覚共有は、繊細なコントロールが必要だ。
少しでも出力を間違えれば、彼女たちの脳を焼き切ってしまう恐れもあった。
だが、結果は上々だ。
「これで治癒魔法の使い手が増えれば、俺が怪我人を治す手間も省ける。一石二鳥だな」
そこに、視察に来ていた国王ゼノンが、拍手をしながら入ってきた。
「見事だ、アルヴィス。まさか、たった一回の授業で、あれほど自信喪失していた娘たちが見違えるようになるとはな」
「陛下。覗き見ですか? 趣味が悪い」
「視察と言え。
しかし、『すでに聖女なのだ』か。良い言葉だ。人の上に立つ者として、人心掌握の術も心得ているようだな」
「ただの事実ですよ。彼女たちは元々才能はあった。スイッチが入っていなかっただけです」
アルヴィスは、芽を出したコップの一つを手に取った。
ひ弱な新芽。だがそこには、確かな生命力が宿っている。
「次は実践ですね。実際に怪我人を治させる。
血を見ても動じない精神力と、壊れた人体を修復する精密動作。
植物相手とはわけが違う」
「うむ。患者の手配は進めておる。軽傷の兵士や、貧民街の慢性病患者などだ」
「よろしくお願いします。……あーあ、来週も忙しくなりそうだ」
アルヴィスは溜息をつきつつも、その口元はわずかに緩んでいた。
教え子が成長するのは、前世でも今世でも悪くない気分だ。
たとえそれが、自分の隠居生活を脅かす「優秀すぎる人材」の育成であったとしても。
(ま、こいつらが立派な聖女になれば、教会も俺に感謝して、一生遊んで暮らせるくらいの寄付金をくれるだろ。……たぶん)
そんな打算を胸に、最強の異能者は、次なる教育カリキュラム(スパルタ)の構築を脳内で開始するのだった。




