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第10話 蹂躙(戦場の怪物たち)

 ヴァルドスタ辺境伯領と、隣接する軍事国家ガルニア帝国との国境線。

 荒涼とした平原が広がるその場所は、古くから小競り合いの絶えない紛争地帯であった。


 だが、今回の「小競り合い」は、いささか規模が大きかった。

 帝国側が動員した兵力は、重装歩兵大隊に加え、魔導師部隊を含めた約三千。

 対する王国側は、辺境伯軍の守備隊五百のみ。

 通常であれば籠城して援軍を待つか、あるいは撤退を余儀なくされる戦力差である。


 しかし今日の王国軍本陣には、異様な空気が漂っていた。

 丘の上に陣取った本陣には、王国の最高権力者である国王ゼノン自らが視察に訪れていたのだ。

 そしてその傍らには、戦場にはあまりにも不釣り合いなパイプ椅子に座って欠伸をする六歳の子供と、あどけなさを残す十数名の少年少女たちの姿があった。


「……アルヴィスよ。本当に大丈夫なのか?」


 国王ゼノンが、眼下に広がる帝国の軍勢を見下ろしながら、不安げに問いかけた。

 彼方からは地響きと共に帝国軍が進軍を開始している。

 太陽の光を反射して輝く槍の森と、整然とした足並みは精強そのものだ。


「相手は帝国の正規軍だぞ。歴戦の騎士や、戦争魔術に長けた魔導師もいる。それをまだ年端もいかぬ生徒たちだけで止めようなどと……」


「陛下。心配性ですね」


 アルヴィスは、持参した果実水をストローで啜りながら、つまらなそうに答えた。


「言ったでしょう。これは『課外授業』だと。

 彼らにとって、あの程度の軍勢は丁度いいサンドバッグ……いえ、動く標的ですよ。

 教室での模擬戦ばかりでは飽きてしまいますからね。生きた人間相手の実戦経験が必要です」


 アルヴィスの言葉に、周囲の近衛騎士たちが顔を引きつらせる。

 三千の軍勢を「サンドバッグ」呼ばわり。常軌を逸している。


「それに、俺の教育方針を疑うのですか? 彼らはもう、ただの魔法使いじゃありませんよ」


 アルヴィスは、最前線に整列した生徒たちを見やった。

 そこには赤髪の少年マルクスを筆頭に、特別クラスの生徒たちが武器も構えず、ただリラックスした様子で立っていた。

 彼らの背中には恐怖も緊張もない。あるのは、獲物を前にした猛獣のような静かな興奮だけだった。


「行ってこい。落第点は死だぞ」


 アルヴィスの軽い号令が、風に乗って彼らの耳に届く。

 その瞬間、彼らの空気が変わった。


「「「イエッサー!!!」」」


 裂帛の気合と共に、十五名の生徒たちが一斉に駆け出した。

 守備隊の兵士たちが呆気にとられる中、彼らはたった十数名で三千の軍勢に向かって突撃を開始したのである。


          ◇


 帝国軍の前衛部隊を率いる千人隊長は、目を疑った。

 王国軍の陣地から飛び出してきたのは、騎兵でもなければ重装歩兵でもない。

 ローブや軽装の鎧を身につけた子供の集団だったからだ。


「なんだあれは? 少年兵か? 王国も地に落ちたものだな!」

 隊長は嘲笑した。

「魔法使いの卵か何か知らんが、前衛の護衛もなしに突っ込んでくるとは自殺志願者か! 槍兵構えろ! 串刺しにしてやれ!」


 帝国軍の最前列数百名の重装槍兵が、長大なパイクを構えて槍衾やりぶすまを作る。

 鋼鉄の壁と化した切っ先は、いかなる騎馬突撃をも跳ね返す絶対の防御陣形だ。


 だが、先頭を走る赤髪の少年――マルクスは、速度を緩めるどころか、さらに加速した。

 彼の身体から、陽炎のような赤いオーラが立ち昇る。


「へっ、槍かよ。丁度いい爪楊枝だぜ」


 マルクスは槍衾の目前まで迫ると、ブレーキもかけずにそのまま突っ込んだ。


「死ねぇっ!!」


 帝国兵たちが叫び、数本の鋭利な槍先がマルクスの胸板、腹部、喉元を正確に捉えた。

 ドスッという肉を貫く音が響く――はずだった。


 ジュッ……!


 響いたのは、水が熱した鉄板に落ちた時のような湿った蒸発音だった。

 マルクスの身体を貫いたはずの槍の穂先が、彼の身体に触れた瞬間、赤熱し、飴細工のようにドロリと溶け落ちたのだ。


「な……!?」


 兵士たちが驚愕に目を見開く。

 マルクスの身体に傷はない。いや、傷どころか、槍が貫通しているはずの場所が、揺らめく「炎」そのものに変質していた。


「な、なんだこいつ!? 幻影か!?」

「手応えがないぞ! 槍が……溶けていく!?」


 マルクスは、自分に突き刺さったまま溶解していく槍の柄を、炎と化した手で無造作に握り潰した。

 そしてニヤリと凶悪な笑みを浮かべる。その口元からは、灼熱の呼気が漏れ出していた。


「ワリィな。俺の炎が、あんたらを食いたいってよ」


「な、何を言って……ひぃぃっ!?」


 マルクスの輪郭が崩れる。

 人の形を保っていた炎が、爆発的に膨張した。

 異能理論・元素体化エレメンタル・ボディ

 肉体という物質的な制約を捨て去り、自らを高エネルギーの燃焼現象そのものへと変換する、物理無効化の極致。


「俺は炎だ。燃え尽きろ!!!」


 マルクスが両腕を広げた瞬間、彼の身体を中心にして爆発的な火炎旋風が巻き起こった。

 詠唱による魔法ではない。

 彼という存在そのものが、周囲の酸素を喰らい尽くし、熱量を拡散させる災害と化したのだ。


 ドォォォォォォンッ!!!!


「ぎゃああああああああ!!」

「熱い! 鎧が! 鎧が溶けるぅぅぅ!!」


 最前列にいた数十名の兵士たちが、一瞬にして炎に包まれた。

 鋼鉄の鎧は高熱で変形し、槍は溶解して滴り落ちる。

 マルクスは炎の嵐の中心で、実体を持たない火の精霊イフリートのごとく舞った。

 剣を振るわれる前に、触れただけで相手を焼き尽くす。

 物理攻撃は彼をすり抜け、魔法攻撃(熱量干渉)として彼に吸収される。

 戦場における「無敵」の具現化だった。


「ば、化け物だ……! 退け! 奴に近づくな!」


 帝国軍の陣形が、たった一人の少年によって崩壊し始める。


 だが、地獄は炎だけではなかった。


「あらあら、逃げるのですか? 背中を見せるなんて紳士ではありませんね」


 混乱する帝国軍の右翼上空に、ふわりと浮かぶ人影があった。

 風使いの少女、フィアである。

 彼女は重力操作の訓練の応用で、風を足場にして空中に滞空していた。

 その周囲には、カマイタチのような真空の刃が無数に旋回している。


「弓兵! 撃ち落とせ!」


 帝国軍の指揮官が叫ぶ。

 数百の矢がフィアめがけて放たれた。雨のような矢の嵐。

 だが、フィアはクスクスと笑うだけだ。


「無駄ですわ」


 矢が彼女の身体に触れる寸前、彼女の姿が霧散した。

 風と同化し、気体となった彼女の身体を、物理的な矢が貫くことなどできない。

 矢は虚しく空を切り、地面に落ちる。


「降伏してくださいな。今なら骨折程度で許して差し上げますわよ?」


 フィアの声が風に乗って、戦場全体に響く。

 だが、恐怖に駆られた兵士たちは、降伏勧告を無視して、彼女(と思われる空間)に槍や剣を投げつけた。


「……いいえ? 拒否ですか。残念です」


 空中で再構成されたフィアの顔から笑みが消えた。

 代わりに浮かんだのは、無慈悲な処刑人の冷徹さ。


「では、お仕置きですね」


 彼女が指揮棒を振るうように指を動かした瞬間。

 戦場に突如として、局地的な気圧変動が発生した。


 ゴオオオオオオオオオッ!!!


 地面から天へと逆巻く巨大な竜巻が、いくつも同時に発生したのだ。

 それは自然現象ではない。

 彼女の意思によって制御され、敵兵だけを選別して飲み込む、意思を持った暴風の檻。


「うわぁぁぁぁぁ!?」

「身体が! 浮く! 助け――」


 重装歩兵たちが木の葉のように、宙へと巻き上げられる。

 数十メートル上空まで運ばれ、竜巻の中で揉みくちゃにされ、互いの鎧同士が激突する鈍い音が響く。


「さようなら」


 フィアが指を下ろす。

 同時に竜巻が消滅した。


 ドサドサドサッ!


 支えを失った数百人の兵士たちが、一斉に地面へと叩きつけられた。

 アルヴィスが「殺すな」と言っていた手前、致命的な高さからは落としていない。

 だが、全身打撲と骨折、そして何より「抵抗不能な力で弄ばれた」という恐怖により、彼らは完全に戦闘意欲を喪失し、うめき声を上げて転がるのみだった。


          ◇


 戦場は、一方的な蹂躙劇と化していた。


 土使いの少年は、自らの皮膚をダイヤモンド並みの硬度に変化させ、敵の剣を素手でへし折りながら、戦車のように敵陣を突破していった。

「硬い! 硬すぎる! 刃が通らねえ!」

「お返しだ!」


 彼が地面を殴りつけると、隆起した岩の棘が兵士たちを吹き飛ばす。


 水使いの少女は、自らの身体を液状化させ、敵の盾の隙間から侵入し、内部から窒息させるという、ホラー映画さながらの戦法で敵をパニックに陥れていた。


 彼らは皆、アルヴィスが教えた「元素体化」を、それぞれの解釈で体現していた。

 魔法使いは後衛。詠唱が必要。物理攻撃に弱い。

 そんな従来の常識は、彼らの前では塵芥のように吹き飛んでいた。


 彼らは魔法を撃つ砲台ではない。

 魔法そのものと化した、歩く自然災害だった。


 そしてその戦場を誰よりも速く、誰よりも鋭く駆け抜ける銀色の閃光がいた。

 エレノア・フォン・アイスバーグ。

 彼女は元素体化すら使っていなかった。

 いや、使う必要がなかった。


 1.5倍の重力負荷など物ともしない彼女にとって、通常の重力下での戦闘など、スローモーションの映像の中を歩いているようなものだ。


「遅いですわね。止まっていますわよ?」


 彼女が戦場を駆け抜けるたび、すれ違った兵士たちの武器が砕け、鎧が凍りつき、そして意識が刈り取られていく。

 彼女が通った後には、美しい氷像と化した兵士たちの道が出来上がっていた。


「くっ、化け物め! 帝国魔導師団、斉射用意!」


 後方に控えていた帝国軍の魔導師部隊が、最後の望みをかけて杖を構える。

 数百人による一斉攻撃魔法。これなら、いかに個の力が強くとも――。


「『炎の精霊よ、我が敵を――』」


 彼らが詠唱を始めたその瞬間。


「――だから遅いと言っていますの」


 エレノアの声が、魔導師団のど真ん中で響いた。

 いつの間にか彼女は、数百メートルの距離をゼロにしていた。

 音速機動。


「師匠の教えですわ。『詠唱が終わる前に殴って黙らせろ』と」


 エレノアが白魚のような手で、魔導師団長の顔面を鷲掴みにした。

 身体強化と、接触部位からの急速冷凍のコンボ。


「《アブソリュート・ゼロ(絶対零度)》」


 バキンッ。


 団長が一瞬で氷の彫像と化す。

 それを見た周囲の魔導師たちは、恐怖のあまり杖を取り落とし、悲鳴を上げて逃げ惑った。

 指揮系統の崩壊。

 三千の帝国軍は、わずか十五名の少年少女によって、完膚なきまでに粉砕されたのだった。


          ◇


 丘の上の王国軍本陣。

 そこには、言葉を失い、ただ呆然と戦場を見下ろす国王と将軍たちの姿があった。


「……こ、これは……」

「夢か……? 魔法使いが前線で剣をへし折り、身体を炎に変えて暴れまわっている……」

「あの一騎当千の働き……まるで神話の英雄譚だ……」


 国王ゼノンは、震える手で手すりを握りしめていた。

 彼の目には、敵軍が逃げ惑う様と、その中心で無双する生徒たちの姿が焼き付いている。


「……凄まじいな」


 王が絞り出すように呟いた。


「魔法使いが一騎当千の兵になるとはな……。

 これほどの力、我が国の歴史上かつて存在しなかった。アルヴィスよ」


 王は、隣で退屈そうに爪を眺めている六歳の少年に向き直った。

 その目には、もはや「子供扱い」する色は微塵もない。

 底知れぬ力を持つ怪物への、純粋な畏敬と、そして恐怖があった。


「其方は……一体彼らに何をしたのだ? わずか数週間でこれほどの……」


「何って、基礎を教えただけですよ」


 アルヴィスは、さも当然のように肩をすくめた。


「まあ、アイツラはなかなかの才能がありましたからね。

 俺の指導もあって、なかなかの逸材に育ったのでは?」


 彼は、戦場で勝利の雄叫びを上げる生徒たちを見下ろす。


「まあ、若いから頭が柔らかくて、柔軟に新しい理論(非常識)を受け入れられただけですよ。

 誰でも出来ることじゃないから、そこは勘違いしないほうが良いですね」


 アルヴィスは釘を刺す。

 あまり「誰でも量産できる最強兵士」だと思われて、無理な依頼が増えても困る。

 こいつらはあくまで「俺の選んだ特別な素材」だったからこそ、ここまで育ったのだと。


「そうか……。才能と其方の指導が合わさってのものか……」


 王は深く頷いた。

 だが、その瞳の奥には新たな野心の光が宿り始めていた。


「しかし……一騎当千の魔法使いがこれだけいれば……それだけで他国への絶大な抑止力になるだろう……」


 王の言葉に、宰相や将軍たちも大きく頷く。

 従来の戦争の概念が変わる。

 数万の軍勢など無意味だ。

 この「アルヴィス・チルドレン」が数人いれば、城の一つや二つ容易に落とせる。

 そして彼らを束ねる教師――アルヴィス・フォン・ヴァルドスタは、王国の核弾頭とも言える存在になったのだ。


(……ちっ、また面倒な目で見られてるな)


 アルヴィスは、大人たちの視線に含まれる「政治的打算」を感じ取り、内心で舌打ちした。

 だが同時に、こうも思った。


(まあいい。これで証明された。あいつらは強い。俺が手を下さなくても、大抵の敵はあいつらが片付けてくれる)


 眼下では、戦いを終えた生徒たちが興奮冷めやらぬ様子で戻ってくる。

 マルクスは全身煤だらけだが、傷一つない顔で笑っている。

 フィアは優雅に髪を整えながら、捕虜にした敵将を引きずっている。

 エレノアは一直線に、俺の元へ走ってくるだろう。


(これで少しは隠居生活に近づいたか?)


 アルヴィスは遠い空を見上げた。

 ……いや、むしろ遠のいた気がする。

 「最強の軍団の長」なんて肩書きがついたら、隠居どころか、王国の守護神として祀り上げられかねない。


「……はぁ。まあ、あいつらが楽しそうだからいいか」


 アルヴィスは、戻ってきた生徒たちに、今日初めての労いの言葉をかけるために椅子から立ち上がった。

 彼らの顔は泥と煤で汚れていたが、その瞳はかつてないほどの自信と達成感で輝いていた。


 こうして、アルヴィス・クラスの初陣は、伝説的な大勝利として幕を閉じた。

 そしてこの日を境に周辺諸国は、「リリアン王国には悪魔に魂を売った少年兵たちがいる」という噂に震え上がることになるのだった。

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