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第1話 最強の遺産と、氷の弟子

「――おぎゃー! おぎゃー!」


 けたたましい泣き声が鼓膜を震わせる。

 いや違う。これは俺の耳に入ってくる音ではない。俺の喉から出ている音だ。


 肺が酸素を求め、強制的に空気を吸い込み、本能のままに排気する。

 その生理現象が、俺の意思とは無関係に周囲へと響き渡っていた。


(……なんだこれ)


 視界がぼやけている。

 身体が思うように動かない。手足の感覚が酷く鈍く、まるでサイズの合わない着ぐるみを着せられているようだ。


 確か、俺は死んだはずだった。


 前世の名は神代蓮カミシロ・レン

 表向きは異能者育成機関の冴えない講師。

 しかしその正体は、観測されたあらゆる異能をコピーし、ストックし、自在に行使する『現代最強の異能者』。


 人類の脅威として立ちはだかった『歴史上最強の敵』――通称〝厄災の王〟との決戦において、俺は全霊を賭して戦った。


 奴は強かった。理不尽なほどに。

 空間を喰らい、時間を歪め、因果律すらねじ曲げる化け物だった。


 だが、俺もまた規格外だった。

 一万を超えるストックの中から最適解を組み合わせ、防御を削り、再生能力を阻害し、奴の核となる概念そのものを摩耗させた。


 相打ちに近い形だったが、俺は致命傷と引き換えに奴を「あと一押し」の状態まで追い込んだのだ。


『――あとは任せたぞ、お前ら』


 薄れゆく意識の中で、駆けつけてきたかつての教え子たちや、俺の次に強いと言われる二十人の準最強戦力たちに後を託した。


 あいつらは強い。俺がいなくとも、瀕死の〝厄災の王〟相手なら確実に勝てる。

 そう確信して、俺は安らかに目を閉じたのだ。


 終わったのだ。俺の戦いも、人生も。


 それなのに。


(なんで赤ん坊になってるんだ……?)


 死んだと思ったら転生していた。

 ラノベや漫画で散々使い古された導入だが、まさか我が身に降りかかるとは。


(うーん……心当たりがないわけでもないか)


 俺の前世の異能――『異能ライブラリ』。

 これは、接触あるいは視認した異能を無条件かつ無制限にコピーする能力だ。


 かつて「私は転生者だ」と自称する、頭のネジが飛んだ異能者がいた。

 そいつは俺より少し弱いだけの、馬鹿みたいに強い奴だった。


 酒の席で何度も「異世界に行ったら本気出す」と管を巻いていたが、もしかすると奴は本当に『転生』に関する異能を持っていたのかもしれません。

 そして俺は、奴との付き合いの中で知らず知らずのうちに、その『転生能力』をコピーしていた?


(マジかよ……)


 だとしたら、自動発動型のパッシブスキルだったのだろう。

 肉体の死をトリガーに発動し、魂を新たな器へと定着させる。


 なんとも迷惑な……いや、幸運というべきか。


 ふと、残してきた日本の方角どちらかわからないがに思いを馳せる。

 俺が死んだ直後のことだ。


(あいつら、ちゃんと〝厄災の王〟にトドメを刺しただろうな?)


 俺の次に強い二十人の猛者たち。

 実力は確かだが、性格に難がある奴ばかりだった。


 たぶん俺が散った後、こんな会話をしている姿が目に浮かぶ。


『レン先生が死んだ! マジか!』

『おい、誰がトドメ刺す? 美味しいとこ取りじゃん』

『公平にジャンケンで決めようぜ』

『最初はグー!』


(……やりかねない)


 崩壊する東京の廃墟で、ラスボスを前にジャンケン大会を開く馬鹿ども。


 だがまあ、あいつらなら大丈夫だろう。俺が大分ダメージを与えておいたし、何より数は力だ。日本は滅びていないはずだ。


(死んだあとのことを気にしても仕方がないな。この状況を受け入れよう)


 俺は思考を切り替えた。


 赤ん坊の身体は不便だ。視界は狭いし、すぐに眠気が襲ってくる。

 現実逃避もここまでだ。俺は今、新しい生を受けた。


 前世は戦い続きだった。

 人類の守護者だの、最強の切り札だの、肩書きに縛られて息つく暇もなかった。


 だが今は違う。


(はー……赤ん坊は暇だ。眠いし……寝よう)


 思考するだけでカロリーを使う脳みそを休ませるべく、俺は睡魔に身を委ねた。


 これは夢かもしれない。

 目が覚めたら病院のベッドの上かもしれない。


 そんな淡い期待を抱きつつ、俺の意識は泥のように沈んでいった。


          ◇


 次に目が覚めた時、やはりそこは夢の世界ではなかった。


 豪華な天蓋付きのベッド。

 見慣れない意匠の家具。


 そして窓の外に広がるのは高層ビル群ではなく、どこまでも広がる牧歌的な森と山脈、そして空を飛ぶ巨大なトカゲ――いや、ドラゴンか。


「……あーうー」


 起きた。夢じゃなかった。


 俺は自分の小さな手を握ったり開いたりしながら、現状を確認する。

 そして、最も重要な確認事項。


(能力は……あるな)


 感覚ですぐに分かった。

 魂に刻み込まれた膨大なデータベース。『異能ライブラリ』は健在だ。


 念動力、発火能力、瞬間移動、テレパシー、重力操作、分子分解……。

 一万八百種類を超える異能の全てが、いつでも引き出せる状態でそこにあった。


(出力は赤ん坊の身体に合わせてリミッターがかかっているが、技術と知識はそのまま。……よし)


 安堵すると同時に、ある一つの事実に気づく。


 この世界には、空中に微弱なエネルギーが満ちている。

 いわゆる『魔力』と呼ばれるものだ。


 そばにいたメイドらしき女性が、指先から小さな灯りをともして、部屋の燭台に火を点けるのを見た。


(魔法か)


 俺はメイドのその行為をじっと観察し――そして理解した。


(なるほど。脳内のイメージを、魔力という触媒を通して特定の波長に変換し、現実世界に干渉させているのか。プロセスが少し回りくどいが、原理は異能と同じだ)


 その瞬間、脳内で『カチリ』と音がした。


 『生活魔法(着火)』をライブラリに追加。解析完了。


(異能は引き継いでるし、この世界の魔法も見ただけでコピーできる。……能力は変わってねぇな、むしろ選択肢が増えた分タチが悪くなってる)


 俺は内心で苦笑した。


 さて、この人生は何が起きるか楽しみだ。

 前世のような修羅場は御免だ。


 この力は、今度こそ自分の平穏な生活のためだけに使わせてもらおう。


 俺はふかふかの布団に身を沈めながら、二度目の人生の指針を「気楽な隠居生活」に定めたのだった。


 ……まあ、その決意が俺の才能に狂喜乱舞する両親(特に親バカの父)によって、早々に脅かされることになるのだが。


          ◇


 時は流れ、俺――アルヴィス・フォン・ヴァルドスタは六歳になった。

 この六年間で分かったことはいくつかある。


 まず、ここはヴァルドスタ辺境伯領という場所で、我が家は国境を守る武門の名家であること。

 次に、俺の父ガラルドは「炎の剣鬼」と恐れられる猛将だが、家では俺にデレデレの親バカであること。

 そして最後に、俺が「数百年に一人の神童」として扱われていることだ。


 原因は一歳の時に受けた魔力測定だ。

 水晶に手をかざした際、俺は前世の癖で「魔力循環効率100%」の状態で触れてしまった。


 結果、水晶はまばゆい光を放って砕け散り、屋敷全体がオーロラのような魔力の光に包まれたらしい。

 手加減したつもりだったのだが、どうやらこの世界の魔力回路オドと、俺が持ち込んだ異能回路エスパーは、根本的な出力桁が違うようだった。


 それ以来、屋敷にはひっきりなしに家庭教師が招かれた。

 だが彼らは皆、三日と持たずに辞めていく。


「あ、あの……アルヴィス様。この魔法式はこうやって展開して……」

「先生、その式だとエネルギーロスが30%発生します。こっちの式をバイパスさせれば、同じ魔力量で威力は三倍になりますよ」

「ひっ……!? そ、それは古代語魔法の理論……いや、それ以上です! 私が教えることはもう何もありません!」


 こんな調子だ。


 俺としては単純な物理演算の指摘をしただけなのだが、どうやらそれがこの世界の魔法体系の根幹を揺るがす発見だったらしい。


 結果、六歳にして「師匠不在」のまま、俺は自習という名のサボりを満喫していた。


 そんなある日の午後。

 平和なティータイムを破壊するように、父ガラルドが執務室に飛び込んできた。


「アル! アルヴィスよ! 喜べ! お前の婚約者が決まったぞ!」


 ソファで重力操作の異能を使って本を浮かせ、寝転びながら読んでいた俺は、その言葉に眉をひそめた。


「……父上、声が大きいです。鼓膜が破れます」

「おお、すまんすまん! だがな、相手はあの氷狼公爵家の令嬢だ! お前と同じ六歳にして、すでに中級魔法を使いこなすという天才少女だぞ!」


 氷狼公爵家。北の領地を治める、我が家と並ぶ大貴族だ。

 政略結婚としては申し分ない。むしろ良すぎる縁談だ。


 だが俺にとって重要なのは家柄ではない。

 「面倒くさくないか」の一点だ。


「……その令嬢、性格はどうなんですか?」

「うむ! 噂によれば少々……いや、かなり気が強いらしい! 『自分より弱い男には指一本触れさせない』と公言しているそうだ!」


 父はなぜか嬉しそうに、ガハハと笑う。

 俺は深いため息をついた。


 面倒くさいタイプだ。絶対に。


 前世の学園にもいた。才能を鼻にかけて周囲を見下すエリート生徒。

 そういう手合いは一度へし折られないと更生しない。


「今日これから顔合わせだ! 準備しろ、アル!」


 拒否権はないらしい。

 俺は渋々、読んでいた本(『初心者でもわかる空間魔法』という間違いだらけの入門書)を閉じた。


          ◇


 応接間に現れた少女は、確かに美しかった。


 新雪のように真っ白な肌。

 磨かれた銀食器のような髪。

 そして見る者すべてを凍らせるような、冷たく澄んだ蒼い瞳。


 エレノア・フォン・アイスバーグ。

 それが彼女の名前だった。


「初めまして、アルヴィス様」


 カーテシーをする姿は完璧だ。人形のように整っている。

 だが、その目は俺を値踏みしていた。


「噂は聞いています。辺境の神童、測定器を破壊した怪物……。でも実際にお会いしてみると、ただの眠そうな子供にしか見えませんわね」


 挨拶代わりの先制パンチ。


 俺の父と、彼女の父である公爵が苦笑いしているが、止める気配はない。

 子供同士の小競り合いだと思っているのだろう。


「どうも。眠そうな子供アルヴィスです。君も噂通り、綺麗な髪だね」


 俺は適当に受け流す。

 大人の余裕だ。六歳児の身体だけど。


 だが、俺のその態度は、彼女のプライドを逆撫でしたようだった。

 エレノアの眉がピクリと跳ねる。


「……余裕ですのね。わたくし、政略結婚など認めませんわ。わたくしの夫となる人は、わたくしよりも強く賢く高潔な方でなければなりません」


 彼女はすっと右手を掲げた。

 途端に室内の気温が数度下がる。


 公爵が「おっと、エレノア」と声をかけるが、彼女は止まらない。


「辺境の神童の実力、試させていただきます。『大気満たす水精よ、我が意に従い氷の礫となれ』――《アイス・バレット》!」


 六歳児とは思えない高速詠唱。


 展開される魔法陣から、鋭利な氷の弾丸が三つ生成される。

 殺傷能力は抑えているようだが、当たればただでは済まない。痛いし冷たいし、何より服が濡れる。


(なるほど。構築速度はC+、威力係数はB-……この年齢にしては上出来だ)


 俺は心の中で採点をする。

 普通の子供なら泣いて逃げ出すレベルだろう。


 だが相手が悪すぎた。


 氷の弾丸が俺の顔面めがけて放たれる。

 父が助けに入ろうと腰を浮かすが、それよりも早く、俺は小さくつぶやいた。


「……運動エネルギー停止ストップ


 指先ひとつ動かさない。

 ただ認識するだけ。


 俺の目の前、数センチの距離まで迫っていた氷の弾丸が、空中でピタリと静止した。

 まるで動画の一時停止ボタンを押したかのように。


「え……?」


 エレノアの目が点になる。


 魔法による防御壁でも、風による迎撃でもない。

 物理的な慣性そのものをゼロにする『ベクトル操作』の応用だ。この世界の魔法概念には存在しない現象。


「氷魔法っていうのはさ、水分子の熱運動を奪って固定化する現象だよね」


 俺は静止した氷の弾丸を指でコンコンと叩く。

 そして、エレノアに向かって淡々と講義を始めた。


「君の術式は、大気中の水分を凍らせることにリソースを割きすぎている。もっと効率的にやるなら、対象空間の熱量カロリーを強制的に奪えばいい。そうすれば水なんてなくても――こうなる」


 俺は右手を軽く振った。


 瞬間発動したのは、異能『熱量操作』。

 対象はエレノアが作り出した氷の弾丸と、その周囲の空間。


 キィィィン……!


 耳鳴りのような高い音と共に、空気が白く凍てつく。


 エレノアの氷の弾丸が、より巨大で、より美しく、より凶悪な『氷の大輪』へと変貌した。

 絶対零度に近い極低温が、応接間の調度品を一瞬で霜で覆う。


 それは魔法ではない。ただの物理現象の極致。

 しかしその光景は、どんな芸術的な魔法よりも幻想的で恐ろしかった。


「ひ……っ」


 エレノアが腰を抜かして、ぺたりと座り込む。


 彼女の自慢の魔法が、俺の異能によって完全に上書きされ、飲み込まれたのだ。

 格が違う。次元が違う。


 それを理解するには十分すぎる光景だった。


「あ、ごめん。ちょっと冷やしすぎたかな」


 俺はパチンと指を鳴らす。

 同時に熱量を元に戻す。


 氷の華は瞬時に昇華して水蒸気となり、霧となって消えた。

 濡れることすらなく、元通りの応接間が戻ってくる。


 静寂。


 父も公爵もメイドたちも、口を開けたまま固まっている。

 俺はティーカップを手に取り、一口啜った。


 うん、まだ温かい。


「……で、結婚の話だっけ? 俺はどっちでもいいけど」


 俺がそう言うと、エレノアが震えながら顔を上げた。

 その目に浮かんでいるのは恐怖か、それとも屈辱か。


 俺は泣き出されるのを覚悟した。

 しかし――


「……教えて」


 彼女の口から出たのは、予想外の言葉だった。


 エレノアは立ち上がり、ドレスの裾を握りしめながら俺を睨みつける。

 いや、それは睨んでいるのではない。


 飢えた獣が獲物を見つけた時の目だ。


「今の魔法! 詠唱もなしにあんな凄まじい冷気を……! どうやったのですか!?」

「え、いや、魔法っていうか理屈で……」

「理屈! やはり理論なのですね! わたくしの家庭教師は『感覚で掴め』としか言いませんでしたわ!」


 エレノアが、ずいっと距離を詰めてくる。


 その顔に、さっきまでの高飛車な冷たさはない。

 あるのは純粋な知識への探求心と、強さへの渇望。


 なるほど、彼女はただの我儘お嬢様ではないらしい。

 本物の「天才」の資質がある。


「アルヴィス様! わたくしを……わたくしを弟子にしてください!」

「……はい?」

「結婚云々は一旦置いておきます! まずは師匠として、その魔法の真髄をわたくしに叩き込んでくださいませ!」


 エレノアは俺の手を両手でガシッと握りしめ、キラキラした瞳で見つめてくる。


 俺は瞬きをした。


 弟子? 俺が?

 面倒くさい。断ろう。


 そう思った瞬間、俺の脳裏にある計算が走った。


(待てよ……? こいつの才能は本物だ。俺の持つ現代知識と異能理論を教え込めば、数年後には俺に匹敵する……いや、少なくとも俺の代わりにあらゆる厄介事を片付けてくれる最強の魔法使いになるんじゃないか?)


 俺の目指す「気楽な隠居生活」。

 それを阻むのは、魔物や他国の侵攻といったトラブルだ。


 だが、俺が動かなくても、この優秀な弟子が勝手に解決してくれるようになれば?

 俺はずっと家でゴロゴロしていられる。


(……悪くない。いや、最高の投資案件だ)


 俺はニヤリと笑みを浮かべた。

 それは前世で、生徒たちを地獄の特訓に叩き落とす時に見せていた教官としての顔だった。


「いいだろう。ただし、俺の指導は厳しいぞ? 泣いて逃げ出しても知らないからな」

「望むところですわ! 必ずやあなたの全てを盗んでみせます!」


 こうして。


 現代最強の異能者(転生幼児)と、氷の天才令嬢(未来の最強魔導師)。

 二人の奇妙な師弟関係が、ここに結ばれたのだった。


「じゃあ手始めに、素数とか分子構造の話から始めようか」

「そ、そすう……? 新しい呪文ですか?」

「ある意味ではね」


 俺の二度目の人生、そう退屈なものにはならなさそうだ。

 俺はエレノアの輝く瞳を見ながら、そんな予感を抱いていた。

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