第6話 一般人の危機
異能フードフェスの熱は翌日になれば、あっさりと消えて人々は日常に帰っていた。
しかし、澪は昨晩の結衣と見た花火が忘れられずに熱が止まなかった。
三十分前までは。
「はっ!」
職輪転化の副作用である脳とろ状態から目を覚ました澪が起き上がる。
いつもはへらへらと笑いながら「おはよー」と言う言真はテレビから目を離さず、珍しく真面目な表情を浮かべている。
「珍しいじゃん。なんか面白いのやってんの?」
「あー、おはよ。噛ませ犬ヒーローくん」
「ぶっ飛ばすぞ」
「あ、ごめん。今は一般人くんか。異能の効果切れちゃったもんね」
いつもの調子で笑ってはいるものの、普段のような飄々として余裕のあるようには見えない。
「で、何見てたの」
「んー、これ」
テレビ画面が見えるように身体をずらす言真。
映像はニュース番組のようで、破壊された建物が映っていた。
『灯影市の繁華街裏に来ています。昨晩、未登録異能者による暴行事件で怪我人が出ており、異能管理課が既に対処を――』
画面の下には《未登録異能者、暴走》とテロップ。
瓦礫の中に倒れている街灯や、ひしゃげた車が映る。
「灯影市って隣だよな。芸能人とかアーティストとか集まってるとこ」
「うん。華やかなんだけどねー。……まあ、裏はこういうのもある。表現ってのもものは言いようだね」
「暴力事件まで表現の自由って言い張るの、さすがにアウトだろ」
真顔で呟いた澪に、言真がチラと視線を寄越す。
「でもさぁ……噛ませ犬ヒーローくんも、昨日SNSでトレンド入りしてたよ?」
「はぁ!?」
「“芋虫ヒーロー”ってタグで。ほら、このポーズ」
スマホ画面に映るのは、焼きそば屋の鈴木さんにぐるぐる巻きにされて転がる澪の姿。
合成されてヒーローアニメのポスターみたいにされている。
「誰だよこんなの作ったの!!」
「未登録より怖いのは、ネットの拡散力だねぇ」
言真が肩をすくめる。
テレビでは真剣なニュースが流れ続けているのに、澪の頭の中は怒りと羞恥でいっぱいだった。
「取り敢えずは次のバイト見つけないとな」
「あ、澪くんストップ。俺、今日と明日出払うから、明日の夜まで一般人継続してて」
手で制する言真に、澪は目を瞬かせて首を傾げた。
「どっか行くの?」
「うん。有給消化しないと怒られるから、羽根伸ばしてくる」
「え、因課って有給あるんだ」
「あるよ。むしろ取らないと上から怒られる。ブラックじゃないから」
担当職員の有給のために、登録異能者が強制的に“一般人モード”を余儀なくされる。
洛陽市では珍しいことではない。
問題が起きれば担当職員の責任。だから休暇中は、登録異能者に力を使わせないよう徹底しているのだ。
「……おい、待て。俺の人生までシフト制ってこと!?」
「まあまあ、休み明けたらまた働いてもらうから。はい、解散解散」
ぶつぶつ言う澪を置き去りに、言真はのほほんと出かけていった。
因課は今日もホワイトにタスクをこなしている。
***
夕方。
澪は買い物帰り、焼き鳥を頬張りながら街を歩いていた。
「バイトないとマジで暇すぎるな」
不満げにぽつりと呟く。
普段なら今頃はバイトに追われて新しい異能に目覚めている時間帯だ。
だが今日は担当官の都合で強制的にただの一般人。
澪の場合、バイトをやらなければ一生一般人ではあるが。
やることもなく、ただのんきに焼き鳥をかじるしかない。
「平和なのはいいけど……なんか手持ちぶさただな。溜まったドラマでも見るか」
頭に浮かんだのは、最近勢いのある俳優の名前だった。
「音瀬奏真、顔良すぎ」
画面越しの彼はバラエティ番組では明るくて、クラスのムードメーカーみたいに場を盛り上げる。
だが一転、ドラマに入れば別人のように役に染まりきる。
先日見たシリアルキラー役は、普段の明るさからは到底想像できないほど恐ろしく、背筋が凍った。
「……表現者ってすげぇなぁ。ある意味、異能じゃね?」
焼き鳥の串をゴミ箱に入れて、パックから新しい焼き鳥を頬張ると同時、頭上の街頭モニターが切り替わった。
ザザッ、とノイズ混じりの映像にニュースキャスターの真剣な顔が映し出される。
『続いてのニュースです。隣市・灯影市の大通りで、未登録異能者による暴行事件が発生しました。警察と異能管理課が処理に当たっていますが、犯人は未だ逃走中』
画面に映るのは、無残に崩れたコンクリートの壁や、規制線を張る警察と因課の職員たち。
現場を取り巻く群衆のざわめきが、音声越しにも伝わってくる。
「……うわ、またか」
澪は思わず足を止め、見上げた。
つい昨日まで祭りで浮かれていた空気とは正反対の、殺伐とした光景。
それが隣の灯影市で起きている現実だ。
だが周囲の洛陽市の人々は、立ち止まって映像を眺めてもすぐに歩き出す。
「また隣で何かあったらしい」程度の空気感で、特に慌てる様子もない。
「……平和ボケだな、洛陽市」
澪が肩をすくめたその時。
街頭モニターの下で、マイクを持ったリポーターが通行人に声をかけていた。
『そちらの方、この事件についてどう思われますか?』
「え、映った!? カメラ映った!? 母ちゃん見てる!? 俺いまテレビ出てる!!」
急にテンション爆上がりするサラリーマン。
必死に手を振りながら「インタビューきたー!!」と叫ぶ姿に、周囲の人々がクスクスと笑う。
『えー……事件についてのご意見を……』
「いやぁ〜隣の市も大変っすね! でも俺は元気です! 独身です! 彼女募集中です!」
緊迫したニュース映像の横で、なぜか婚活アピールをするサラリーマン。
「……いや、事件の真面目さどこいった」
澪は思わず突っ込みを入れた。
シリアスとギャグが同居する、不思議な空気に包まれる広場だった。
「やっぱ平和だわ、この街……」
澪が焼き鳥を齧りながら歩き出した、その時だった。
「……綾瀬さん?」
「ぶえっ!?」
思わず焼き鳥の串を落としそうになる。
振り向けば、買い物袋を提げた結衣が立っていた。
「ゆ、結衣さん!? ど、どうしてこんなとこに……」
「駅前のスーパーで買い物を。セールだったので」
「スーパー……! 普通に生活感!!」
いつもの無表情でさらっと言う結衣に、澪の脳内は大混乱。
しかも袋の中身からはネギや牛乳がのぞいており、まごうことなき日常の買い物だった。
「焼き鳥、落ちますよ」
「あっ、はいっ!」
慌てて持ち直す澪を一瞥すると、結衣は小さく頷いた。
「……少し、一緒に歩きませんか?」
「い、いいんですか!? もちろん!! 俺が道になってもいいです!!!」
「……普通に歩きましょう」
「はい!!!」
隣に並んだ瞬間、澪の頭の中では花火が再び打ち上がっていた。
「綾瀬さん、今日はバイトお休みですか?」
首を傾げながら、結衣が隣を歩く澪を見遣る。
「担当が……有給使ってるので」
その言葉に結衣は小さく瞬きをし、すぐにわずかに笑みを見せた。
その姿に澪の心臓は大きく跳ねる。
「なるほど。一般人モードということですね」
「俺の場合、モードっていうより、ただの一般人なんですけどね。異能の特性上」
はは、と乾いた笑いを浮かべる澪。
しかし結衣の表情は崩れない。
「こんなこと言うのは失礼ですが……羨ましいですね」
「へっ?」
「担当がお休みしても、私の場合は勝手に壊してしまうので」
その言葉に澪は納得した。
段ボールや弁当を握りつぶしてしまった結衣の姿を思い出す。
彼女の異能《鋼腕》は、やはりコントロールが難しいのだろう。
「勝手に壊しちゃうの、困りませんか?」
「……困りますね。普通に物を持つだけで気を遣いますから」
淡々と答える結衣に、澪は慌てて手をぶんぶん振った。
「で、でも! 昨日のフードファイトの牛串! あれマジでかっこよかったですから!」
「……牛串ですか?」
「そう! 片手で鉄板持ち上げてドーン! 観客のテンションも爆上がり!」
「……褒められているのですか?」
「もちろんです!!」
真剣な顔で力説する澪を横目に、結衣はほんの少しだけ首を傾げる。
だが、耳の先がわずかに赤く染まっているのを澪は見逃さなかった。
(……やば……俺、今めっちゃいい空気作ってる?)
澪の脳内で、今度は花が咲く。脳内お花畑。
直後、轟音。
地面がぐらりと揺れ、電柱がギギギと不吉に軋んだ。
「は、はあ!? 何、この世の終わり!?」
足がもつれてよろけた瞬間、背中に何かがぶつかった。
振り返れば、昨日の異能フードフェスで子供に絡んでいた金髪の男が立っていた。
「あ、ちっす」
思わず軽く会釈をしたところで、男の手が伸びる。
ぐい、と腕をねじ上げられ、そのまま拘束された。
「ん?」
状況を理解できずに男を見返す。
「……お前、異能者だよな」
「まあ、一応……でも——」
言いかけた瞬間、無理やり口をこじ開けられ、カプセルのようなものを喉に押し込まれた。
「暴走して、街を壊せ」
耳元で低く囁かれる。
だが澪は首を傾げただけだった。
「いや、変なもん飲ませて雰囲気ヤバくしようとしてるとこ悪いんだけど……」
妙に冷静な声。
澪は腹の奥にわずかな不安を抱えつつも、肩をすくめた。
「俺、今は一般人なんだけど」
澪の言葉と同時に、体の奥から妙な熱がこみ上げる。
カプセルのせいか顔が赤くなり、汗がじわりと滲む。
「で、出た!? 暴走の兆候!?」
通りがかりの人々がざわめき立ち、距離をとっていく。
スマホを構える者まで現れ、瞬く間に人だかりになった。
「やばい! 未登録異能者の暴走だってニュースで見たやつだ!」
澪は必死に手を振った。
「ちょっ、違う違う! 俺ほんとに一般人だから! てか、未登録じゃないし!!」
その必死さが逆に怪しく映り、通行人はさらにざわめく。
そこへ結衣が現れ、無表情のまま澪の肩に手を置いた。
「……綾瀬さん、意識はありますか」
「ありますあります! めちゃくちゃ冷静です!!」
「でも顔、赤いです」
「それは! なんか恋の余韻!!」
一瞬の沈黙。次の瞬間、通行人から笑いが漏れ、緊張はあっさりと霧散した。
「この状況で青春してんの流石だな」
「おっちゃんは、お前の恋応援してるからな!」
場が笑いに包まれ、澪は頭を抱えた。
澪を拘束していた金髪も澪から手を離す。
「……お前さ、空気読めよ」
「へ?」
澪がぱちぱちと瞬きをすると、街角から数人の若者がぞろぞろと現れた。
手にはカメラや録音機材。
大学生くらいの顔ぶれだ。
「俺ら、大学のサークルで映画撮ってんの。通行人を巻き込んだ方がリアルな反応が撮れるから」
さっきの金髪が頭をかきながら、どこか気まずそうに言った。
「あ、音とかはミックスした効果音をスピーカーで流しただけっす」
脇から出てきたぽっちゃり気味の青年が、照れ笑いで補足する。
「揺れは、俺の異能で軽く地震起こした程度」
眼鏡をかけた青年があからさまにため息をついた。
澪はきょとんとしたまま、自分の口を指差した。
「あのー……じゃあ、このカプセルは?」
「市販のサプリの殻に、小麦粉と七味入れただけ。舌が痺れた方が、それっぽく見えるだろ?」
金髪はがっくりと肩を落とし、ぼそりと漏らした。
「……マジで、最悪のリアクションだったわ」
学生たちは気まずそうに機材をまとめ、そそくさと去っていった。
夕焼けに照らされ、三流映画クルーの影が長く伸びる。
「哀愁漂わせてんじゃねーよ。俺が悪いみたいなこと言ってんな! 迷惑系配信者と変わんねぇからな!?」
澪が叫んだその直後――。
カツ、カツ、と乾いた靴音が路地の奥から響いてきた。
影の向こう、誰も仕込んでいないはずの足音が、じわじわとこちらへ迫ってくる。
(……え?)
心臓が高鳴る。背筋が冷える。握った拳がじっとりと汗ばむ。
――冗談の舞台は、もう終わったはずなのに。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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