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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第三章 変異日常編
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最終話 芽吹くもの

 焼けるような暑さは過ぎ去り、風はすでに秋の匂いを帯びていた。

 言真は、澪を起こしに行こうと部屋の扉を軽くノックする。


「澪、朝だぞ。そろそろ起き──」


 扉を開けた途端、一縷の風が吹き抜けた。

 窓の外を眺める澪の瞳は、穏やかで静かだった。


 その視線の先。

 窓際の植木鉢から、小さな芽が顔を出している。

 季節外れの、何もないはずの土から――

 新しい“何か”が、確かに生まれていた。


 言真は息を飲む。

 澪はその芽を見つめ、ほんの少し微笑んだ。


「……おはよう」


 柔らかな声が、秋の朝の空気に溶けていった。


「澪、お前……」


 その続きを言うのが怖くて、言真の喉に言葉が引っかかる。


「言真、俺さ……」


 澪は芽を見つめたまま、静かに言った。


「本当の俺になったんだと思う」


「……本当の?」


「うん。昨日の俺とは違う。これからの俺」


 澪の笑みは、光を受けてやわらかく滲んだ。


「多分……いや、もう俺の中に異能はないんだ」


 そう言って、澪はポケットから一枚のカードを取り出す。

 異能者登録のIDカード。

 かすかに光を反射するそれを、言真の前に差し出した。


「今日の検査が終わったら、返すよ」


 言真は一瞬、言葉を失ったままカードを見つめる。


「……何でわかるんだ。異能がないって」


「分かるんだ。ほら、こうしたら」


 澪は右手を翳した。

 指先に意識を集めても、何も起こらない。

 昨日までなら、炎や氷が生まれていたはずの掌。

 そこにあるのは、ただ温かな皮膚の感触だけだった。


 窓から差す光が、その手のひらを包む。

 澪は小さく息をついて笑った。


「ね、もう俺には異能なんてものは残ってない」


 少しだけ冷たい風が頬を撫でた。


***


 因課・洛陽支部。医療棟の検査室。


 目を伏せ、診察台の上で静かに眠る澪。

 日菜は端末から検査結果を出力していた。

 機器の微かな作動音と、紙が排出される音だけが室内に響く。


 画面に映し出された波形を確認した瞬間、

 彼女の指が止まる。


「……異能波、完全にゼロ」


 信じられない。

 そう呟くように、日菜は隣の言真へと向き直った。


「でも、生命反応は安定しています。まるで……“普通の人間”です」


 言真はモニターの波形を見つめたまま、ゆっくりと息を吐いた。


「……それで、いいんだ」


 言真は、モニターから目を離した。


「ただ、はっきりしてるのは――」


 言真は静かに続ける。


「今の澪は、昨日までの澪とは違う人格だ」


「……違う、って?」


「感情の波も、反応の仕方も、全部が違う。同じ形をしていても、根っこが別のものになってる」


 日菜は小さく頷く。


「じゃあ……前の澪くんは」


「もう、いない」


 言真の声には迷いがなかった。


「でも、今ここにいる“澪”は、生きてる。それだけで、俺は充分だ」


 静寂が戻る。

 モニターの上で、澪の心拍が穏やかに刻まれ続けていた。


***


 登録課へ向かえば、澪の書類には【失効】の判が押される。

 その瞬間、長く続いた“異能者としての記録”が終わった。


 返還されたIDカードを受け取った言真は、しばらく無言でそれを見つめる。

 そして、寂しそうに笑った。


「……これで、俺の役目は終わったか」


 静かな声だった。

 誰に聞かせるでもなく、ただ空気に溶けていく。


「言真は、もう担当官じゃないけど……これからも一緒に住んでくれるか? 一人じゃ、分からないことしかないし……生きていけない」


 澪は、薄い笑みを浮かべながら言真に手を差し出した。

 その仕草はどこか幼く、けれど確かな意志を感じさせた。


 言真はしばらく黙ってその手を見つめ、それからゆっくりと息を吐く。


「……はいはい。しょうがないやつだね、お前は」


 苦笑まじりの声が、静かな部屋に落ちた。

 差し出された澪の手を取ると、その指先はほんのりと温かかった。


***


 廊下の待合室で、言真の仕事が終わるのを待っていた澪は、ふと顔を上げた。


 廊下の向こう――そこに、結衣の姿があった。

 お互いの目が合い、静かに会釈を交わす。


「また、イメージ変わりましたね。綾瀬さん」


 無感情に聞こえる声。

 けれど、その奥にはほんのわずかな弾みがあった。


「……そうかな。俺には分からないけど。でも、きっと結衣さんにも……心配かけた」


「……そんなことはありません」


 結衣は首を横に振り、澪の手にある書類へと視線を落とした。

 そこには、登録失効の判が押された控え。


「綾瀬さん、それ……」


「……うん。俺、もう異能ないから」


 澪はそう言って、静かに笑った。

 その笑顔は、どこまでも穏やかだった。


「異能がなくなる、というのは……初めて聞きました」


 結衣は言葉を区切りながら続けた。


「街では、まだイノシードの件が蔓延っています。人為的に異能を目覚めさせられた人たちが、後を絶たないんです」


 澪はわずかに眉を寄せた。


「結衣さんも、遭遇したことが?」


「ええ。何度か……。暴走まではいかなくても、恐怖の匂いはすぐ分かります」


 結衣は手のひらをそっと見つめた。


「……力って、本当に人を選ばないんですね」


 今も、何かを壊してきたのだろうか。

 結衣の手のひらは赤く腫れていた。

 だが、その腫れは見る間に引いていく。


「……え?」


 結衣は思わず顔を上げた。

 目線の先、澪が不思議そうに首を傾げている。


 風が通り抜け、カーテンが小さく揺れた。

 澪の周囲だけが、ほんの少しあたたかい。


(やっぱり、綾瀬さんは不思議な人……)


 結衣が、そっと微笑んだ。

 会うたびに表情が違う。

 あの、無邪気に笑っていた頃の澪はもういない。


 ――それでも。


「……変わらないんですね」


 澪は首を傾げ、静かに目を瞬かせた。

 その仕草さえも、どこか懐かしかった。


 それでも、澪は確かに“澪”としてそこにいた。

 変わり続ける世界の中で、ただ穏やかに息をしていた。


 誕生を果たした澪が穏やかに笑む傍ら。

 誰にも知られずひとつの種が今、芽吹こうとしていた。


 風に揺れるその小さな芽は、かつて街を蝕んだイノシードと同じ波を、かすかに宿していた。


 だが、それはもう毒ではなかった。

 力でも、渇望でもない。

 ただ、生きようとする微かな鼓動だった。


 陽が昇り、光がその芽を照らす。

 新しい朝の気配の中で、街は静かに息をした。


 再構築された世界の片隅で――

 澪は、穏やかな風を胸いっぱいに吸い込んだ。



「……おはよう、洛陽市」



 その声は、静かに風に溶けていった。

 風はビルの谷を抜け、川を越え、次の街へと流れていく。

 まるで、新しい“物語”の始まりを告げるように。



 ――芽吹くものは、今日も息をしている。

再構築体として異能を失った澪の人生はこれからも続きますが、此処で区切りとさせていただきます。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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