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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第三章 変異日常編
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第53話 再構築体の鼓動

 道路には、澪の炎とアキの水の名残……蒸発した煙が、薄く漂っていた。


「澪が赤ん坊って……言いすぎだ。確かに今の澪は何も分からない状態だけど、でも――」


 言真が否定を口にする。

 しかし、アキは鋭い目のまま、黙って言真を睨んでいた。


「……言真が、いじめられてる」


 小さく呟いた澪が、アキへと腕を伸ばす。

 手のひらの中心で、火球が生まれようとしていた。


「澪っ! 止まれ!!」


 言真の声が響く。

 その言葉――言霊律令の命令によって、澪の身体がピクリと硬直した。

 燃えかけた火は、徐々に収まっていく。


「……これが理性のある人間?」


 アキの声は、低く冷たかった。


「…………」


 言真は返せず、ただ唇を噛む。


「別に僕には関係ないけどさ。だけど、ちゃんと育てないと壊れるよ」


 アキの言葉が、夕焼けの中に溶けていった。

 焦げた空気の匂いだけが、静かにその場に残っていた。

 澪は立ち尽くしたまま、自分の手のひらを見つめていた。

 さっきまでそこにあったはずの炎の残滓が、風に溶けて消えていく。

 熱も痛みもない。ただ、胸の奥だけがじんじんと焼けるように熱かった。


「……俺、間違えた?」


 澪の声は、かすれていた。

 答えはすぐには返ってこない。

 言真も、アキも何も言えなかった。


 世界のどこにも、正解はない。

 それでも誰かが傷つくたびに、澪は自分の存在が間違いのように思えてしまう。


 やがて、言真がゆっくりと口を開いた。


「……生きてるだけで、もう戦ってるんだ」


 その言葉が、焦げた風の中に淡く溶ける。

 澪は小さく瞬きをし、胸に当てた手を握りしめた。


「……生きる、ことが……戦い?」


「誰かを守ろうとすることも、自分を責めることも。全部、そうだ。でも、今の澪は間違いだった」


 澪はしばらく黙ったまま、うっすらと息を吐いた。


「……間違い」


「危険なものを排除すればいいわけじゃないって、朝に俺が言った言葉を覚えてるか?」


 その問いに、澪は小さく頷く。


「今回もそうだ。守るためとはいえ、他を壊すのは違う。生きる戦いってのは、壊すことじゃなくて……選ぶことなんだ」


 言真の声が、焦げた空気の中に静かに響いた。

 澪はその言葉を噛みしめるように、胸に手を当てた。

 まだ熱い。けれど、その熱はもう暴れる火ではなく、

 心の奥で小さく灯る焔のように感じられた。


「……頭の中、変」


 澪が額を押さえ、苦しげにうずくまった。

 言真がすぐに駆け寄り、覗き込む。


「澪? どうした、痛いのか?」


 冷や汗が頬を伝う。

 その表情は、痛みというより“混乱”に近かった。


『俺なら、絶対こんなことしない』


 ――声がした。

 頭の奥から、確かに“自分”の声が聞こえた。


「……俺は、こんなこと……しない? 頭、痛い……」


 澪の声が震える。

 何かが、内側でぶつかり合っている。


「澪、大丈夫。落ち着け、大丈夫だから」


 言真が肩を支え、静かに声をかける。

 けれどその声も、今の澪には遠くに聞こえた。

 頭の奥で、誰かがまだ囁いている。


『壊すのは違うだろ。俺は、ただ見捨てられなかっただけで』


 それは、かつての澪の記憶。

 再構築される前、“本物の彼”が抱いていた願いの残響だった。


***


 夕飯を終えたあと、澪は湯船に身を沈めていた。

 今の彼にとって風呂は、体を清潔に保つための場所――それ以上の意味はまだなかった。


「澪、熱くないか?」


 洗面所から、言真の声がかかる。

 澪は湯の中でゆっくりと首を傾げた。


「……わからない。ただ、痛い。皮膚が、赤い」


「それは熱いってことだな」


「味噌汁と一緒? 温かくなる?」


「澪は味噌汁の具じゃないからなぁ。早く上がりな、のぼせちゃうから」


「……のぼせる?」


 湯気の向こうで、澪の声が小さく反響する。

 意味を掴めずに繰り返すその調子が、まるで言葉を覚え始めた子供のようだった。

 言真は思わず笑みをこぼす。


「そう。長く入りすぎると、頭がくらくらする。ほら、上がっておいで。タオルは置いておくよ」


「……うん」


 澪はゆっくりと湯船から立ち上がり、滴る湯を見つめながら呟いた。

 温度も痛みも、まだ正確にはわからない。

 それでも、胸の奥に広がるこの“温かさ”だけは、なぜか少し心地よかった。


***


 電気を消し、ベッドに横になる。

 言真が布団の端を軽く整えた。


「じゃあ、おやすみ。ゆっくり休みな」


「うん。……おやすみ?」


 小さく繰り返した澪の声に、言真はふっと笑う。

 それは言葉の意味よりも、言葉を交わせたことへの喜びの笑みだった。


「そう。それで合ってるよ。おやすみ、澪」


 短い返事のあと、静寂が部屋を包む。

 窓の外では夜風がカーテンを揺らし、遠くで誰かの笑い声がかすかに響いた。

 澪は布団の中で目を閉じる。

 “おやすみ”という言葉の温度が、胸の奥にゆっくりと広がっていく。


***


 ――夢を見る。


 暗い、暗い、光のない場所を歩いている。

 地面はどこまでも続いていて、足音さえ吸い込まれていく。

 空も、壁も、境界もない。

 ただ、永遠に続く黒の中を、澪はひとりで歩いていた。


(ここ……どこ?)


 声を出したつもりだった。

 けれど、音は生まれなかった。

 唇が動いても、空気は震えず、言葉はどこにも届かない。


 澪は立ち止まり、胸に手を当てる。

 鼓動がない。

 代わりに、遠くで何かが――微かに響いている気がした。


 ゆっくり、ゆっくりと歩く。

 どこへ向かっているのかもわからない。

 けれど、何かがそこにある気がした。

 それが何なのか、澪にはまだ分からない。


 ただ、その気配だけが確かに前方から漂ってくる。


 足音のない世界を進む。

 闇は深く、温度のない空気が肌を撫でる。

 それでも、ほんの少しだけ前が明るくなった。


 ぼんやりと、薄い光が見えた。


 澪は、その光を追って歩いた。

 一歩ごとに、足元の闇がわずかに透きとおり、

 黒だった世界が灰色へと変わっていく。


 やがて――光の中に、誰かの影が見えた。


(……俺?)


 それは、澪の姿をしていた。

 少し幼さの残るその姿を、今の澪はじっと見つめる。


『お、見つかった。よっ、今の俺』


 影――かつての澪が、へらりと笑った。

 その笑顔は、懐かしいようで、どこか切なかった。


『完全に俺、消えたのかなって思ったけど……いや、消えたんだな。今の俺は、残響みたいなもんでさ』


 声は明るく、軽やかだった。

 それが逆に、儚さを際立たせていた。


『お前、俺の身体であんなに暴れんなよ。こっから見てると、ヒヤヒヤするっての』


 冗談めかした調子。

 でも、その奥には確かな温度があった。

 まるで兄が弟を見守るように、かつての澪は、静かに微笑んでいた。


(……前の、俺?)


 澪が首を傾げる。

 かつての澪は、ふっと小さく口元を緩めた。


『未練がましくここにいるの、俺……多分、まだそっちに戻りたいからなんだと思う』


 笑みは崩れない。

 けれど、細めた目の端に小さな雫が浮かんでいた。

 光を受けて、涙は淡く輝く。


『……なぁ、もしそっちが不安なら、俺が一緒にいてやるから。だからさ――』


 その先の言葉は、光の中に溶けた。

 声が遠のき、世界がまた静かになる。


 澪は手を伸ばした。

 けれど、指先が触れるより早く、彼の輪郭はゆらりと崩れ、光の粒になって空へ昇っていく。


 何もない闇。

 けれど、その中心に、ひとつだけ音があった。


 ――トクン。


 小さな鼓動。

 それは血でも機械でもなく、確かに“心”の音だった。


「……俺の、音……?」


 澪は胸に手を当てる。

 そこに確かに温もりがあった。


 光はもう消えている。

 けれど、その音だけが、闇の中で優しく響き続けていた。



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