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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第三章 変異日常編
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第51話 再構築体の心音

 朝。

 カーテンを開けた言真が、振り返って笑いかける。


「澪、朝だぞ。起きろ」


 布団の中で、澪が眠たそうに目を擦る。

 ゆっくりと上体を起こし、窓の外に視線を向けた。


「……眩しい」


「今日は晴天らしいからな。もう少しすれば秋だけど、まだ暑い」


「気温の高さは体感で分かります。この水……汗? 代謝が良いから、ですか?」


「暑かったら誰でも汗をかくよ。水分補給も忘れずに。……まず、飯か」


 澪は自分の手のひらを見つめた。

 指先に光る水滴が、朝の光を弾いている。

 ただの生理現象のはずなのに、何故か胸の奥が少しだけ温かかった。


 朝食の準備をする言真の背中を、澪はじっと見つめていた。

 まるで母親の動作を観察する子どものように。


「……飯。……栄養補給?」


「間違ってないけど、意味はそれだけじゃない。食卓を囲むだけで、“うまい”と感じるときもある」


「うまい……?」


 澪の胸の奥で、ズキリと痛みが走った。

 それはどこかで聞いたことのある言葉。

 記憶というより、身体に染みついた音のようだった。


「座ってていいよ。ひとまず食ってくれたら十分」


 言真が笑顔を向ける。

 しかし澪は、少し考えたあと首をかしげ、そのまま言真のそばへ寄った。


「……見学しても、いいでしょうか」


 言真は一瞬、目を瞬かせた。

 けれど、すぐに小さく笑って頷く。


「包丁と火には触らないようにな」


「包丁……? 武器ですか」


 言真が吹き出した。


「違う違う。食材を切る道具だ。……まあ、使い方間違えたら武器にもなるけど」


 澪は真剣な顔で包丁を見つめ、わずかに首を傾げた。

 その視線に、言真は苦笑をこぼした。


「武器なら……危険」


 澪の指先から氷が発せられようとする。包丁目掛けて一直線に。


「やば……砕けろ!」


 氷が包丁目掛ける前に、言真の言霊律令が発動して氷が砕けた。


「澪、落ち着け!」


 言真は思わず声を荒げた。

 氷の粉が宙を漂い、朝の日差しを反射して白く光る。

 澪は指先を見つめたまま動かない。表情もない。

 けれど、その肩はかすかに震えていた。


「……ごめんなさい。危険だと、思ったんです」


「分かってる。だから止めた。お前は悪くない」


 言真は包丁をまな板に置き、澪の手をそっと取った。

 冷たい。けれど確かに、血の流れる温度があった。


「危険を排除するのは間違いじゃない。でもな――危険は、扱うものでもある」


「……扱う?」


「そう。包丁も火も、人間は使い方を覚えて生きてきた。お前も少しずつ覚えればいい」


 澪はしばらく黙っていた。

 やがて、ゆっくりとうなずく。


「……排除ではなく、理解」


「そう。理解できたら、世界が少し優しくなる」


 言真が微笑む。

 その笑顔を見て、澪の瞳がわずかに揺れた。

 心臓の鼓動が一拍、遅れて響く。


 ――温かい。

 その感覚に、澪はまだ名前を持たなかった。


「……俺は、あなたを何と呼べばいいですか。あなたでも構いませんか」


 答えを待つ子どものような瞳で、澪はじっと言真を見つめていた。

 言真は小さく息を吐き、穏やかに笑みをこぼす。


「言真でいいよ。敬語もいらない」


「……ことま」


 澪はその名を、ゆっくりと噛みしめるように口にした。

 何度も反芻しながら、考えているのか、思考が止まっているのか分からないほどに動かない。


 しばらくの沈黙。

 そして、かすかな息のあとにもう一度、言葉が落ちた。


「……言真。分かった」


 その声には、まだ感情はなかった。

 けれど確かに“呼ぶ”という行為だけが、澪の中で小さく芽を出していた。


***


 テーブルの上に、味噌汁の湯気が立っていた。

 言真が箸を渡すと、澪は両手でそれを受け取る。


「熱いから気をつけてな」


 澪はこくりと頷き、ゆっくりと汁を口に運んだ。

 舌の上に広がるはずの味が、何もなかった。

 けれど、痛いほどの熱を感じる。


「……痛い」


「え?」


「味は……感じない。でも、痛い。これは……熱い?」


 言真が慌てて身を乗り出した。


「大丈夫か? 火傷してないか」


 澪はきょとんとした顔で、唇を指先でなぞる。


「……わからない。でも、痛いのはもう、ない」


 言真は息を吐き、胸を撫で下ろした。


「いやいや、びっくりさせないで。最初の言葉が“痛い”とか、心臓に悪い」


「……心臓、悪くなる? 病気?」


「そういう意味じゃないよ」


 言真が苦笑する。

 澪は小さく瞬きをして、また椀を覗き込んだ。

 もう一度、ゆっくりと啜る。


「……温度が下がった。今は、温かい」


 その言葉には、ほんの少しだけ安堵の色があった。

 言真がそれに気づいて、柔らかく笑う。


「ちゃんと感じてるじゃん。……それで十分だよ」


 澪は一瞬、顔を上げる。

 その目に、わずかに光が宿った。


「……感じてる。これが、生きてるってこと?」


 言真は答えず、ただ小さく頷いた。

 その仕草だけで、澪は少し満足したように息を吐く。


「……うまい」


「ん?」


「味がなくても、温度で分かる。多分、うまい」


 言真は一瞬だけ言葉を失った。

 そして、ふっと笑って頭を撫でる。


「……そっか。なら、最高だな」


 湯気が、二人の間を静かに通り抜けていく。

 味を知らなくても、確かにそこには“生きている時間”があった。


***


 因課・洛陽支部。

 医療棟の一室。無機質な白の壁に、機械の電子音が一定のリズムで鳴り続けている。


 澪は検査台に腰を下ろし、脳波計のセンサーを頭部にいくつも貼り付けられていた。

 細いコードが幾重にも束ねられ、隣のモニターへと繋がっている。


 スクリーンに波形が流れる。一定のリズムで揺れるそれを、医療班の職員が食い入るように見つめた。


「……異常なし。むしろ整いすぎてる」


 低く呟いた検査員の声が、静寂に溶ける。

 再構築体の脳波は、まるで規則的に調整されたプログラムのようだった。

 けれど、ほんのわずかに“乱れ”が混じる。


「ここ、わずかに反応あります。……感情波?」


 別の職員が声を上げる。

 監視ガラスの向こうで、言真が無言のまま腕を組んだ。

 その視線の先で、澪がゆっくりと目を瞬かせる。


「……頭、変な感じ」


「痛いか?」


 ガラス越しの言真に、澪が首を傾げて答える。


「痛くない。でも……重い。考える音がする」


「考える音?」


 隣でモニターを見ていた日菜が、首を傾げた。

 澪は目を伏せ、言葉を探すように続ける。


「うん。……中で何かが動いてる。熱くて、落ち着かない」


「それ、たぶん――悩んでる音なのかも」


 日菜が小さく笑みを浮かべた。

 澪が顔を上げ、きょとんとした目で彼女を見る。


「……悩む、音?」


「そう。人間はそれを、心って呼ぶの」


 その瞬間、モニターの波形が大きく跳ねた。

 淡い青の線が、感情を示す部分で綺麗に波打っている。


「澪くん、君はちゃんと心を持ってるよ」


 日菜の言葉が、静かな検査室に溶けた。

 無機質な機械音の中で、その一言だけがあたたかかった。


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