第5話 夜空に映える『美味しい』
表彰式が終わり、客席が徐々に落ち着きを取り戻していく。
優勝フリーパスを手にしたのは、澪だった。
「うおお……これ、実質、結衣さんの奢りでは? いいのか、マジでいいのか!?」
良心と欲望が鬩ぎ合う中、結衣はフリーパスを一瞥して、澪にまっすぐ視線を送る。
「行かないんですか?」
短い言葉に、澪の思考は吹っ飛んだ。
(これって、誘われてる!? 異能フードフェスで、しかも結衣さんと!? 屋台巡り、これもうデートだろ!? いや、ただの食べ歩き……でもデートって言ってしまえ、俺!!)
「い、行きますぅ! お供させて下さい!!」
勢いで叫んでしまった澪に、結衣は小さく首を傾げる。
そのやり取りを眺めていた言真が、りんご飴をしゃくっと噛みながら肩をすくめる。
「はいはい、脳内お祭り男、落ち着きなさい。……まぁでも、せっかくだし楽しんできたら?」
観客たちが屋台へ散っていくざわめきの中、澪はフリーパスを掲げて拳を握った。
「よっしゃああああ! 全力で食うぞおおお!!」
「……うるさいです」
冷静なツッコミを背に、二人は連れ立って屋台の列へと歩き出す。
人混みを抜けると、結衣が迷わず牛串の屋台に並んだ。
香ばしい煙が風に乗り、澪の腹を容赦なく刺激する。
「……さすが肉系。行列エグいな」
「ここの牛串、毎年一番人気らしいです」
結衣は淡々と答え、列に並んだ。
その横で澪はフリーパスを握りしめ、内心で小躍りしていた。
「でも、今年の一番人気は、結衣さんが出たとこの牛串屋さんじゃないですか?」
「……貢献出来たら、出た甲斐がありますね」
落ち着いた口調で口元を緩める結衣に澪の心のボルテージが上昇する。
(幸せ……ほんとに好き……! 結衣さんと並んでるのが尊すぎだろ。屋台デートってこういうことか? やっば、今日死んでもいい! 俺の命日!)
「……そんなに楽しみですか?」
「へっ!?」
「祭りでテンションが上がりすぎてる人の顔してますよ」
「あ、あはは! やっぱり、こういう賑わいいいなーって思うんですよね!」
「……そうですか」
結衣は特に気にした様子もなく、すっと牛串を二本受け取ると、一本を澪に差し出した。
湯気と共に溢れる香りが、澪の理性を溶かす。
「どうぞ」
「……あ、ありがとうございます!」
かぶりついた瞬間、肉汁が弾け、口いっぱいに広がる。
澪は思わず叫んだ。
「うんまっ……!!」
周囲の客がちらりと振り返る中、結衣は無表情のまま一口。
そして、淡々と。
「確かに、美味しいです」
シンプルな感想。
それだけなのに、澪の胸は変にドキドキしていた。
(やばい……! 俺、肉より結衣さんの「美味しい」にやられてる……!!)
結衣はスッと澪の口元を指差した。
「……肉汁、ついてます」
「え!?」
澪が慌てて拭おうとするより早く、結衣はティッシュを差し出した。
「どうぞ」
「あ、あ、ありがとうございます……! 今、異能フリーパスより尊いものを受け取った……!」
「ティッシュです」
結衣は依然として無表情だが、澪の心は踊りっぱなしだった。
「うええぇん……ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
振り返ると子供が泣いている。
小さな手は空っぽで、足元には転げ落ちたアイスの残骸。
その子の前に立ちはだかるのは、いかにもガラの悪そうな金髪のヤンキーだった。
黒いシャツに、アイスがべったりと広がっている。
「ふざけんなよ、クソガキが! 俺に今日、このままこの格好でいろってか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
泣き叫ぶ子供に、ヤンキーは舌打ちを響かせ、拳を振り上げた。
ゴッ、と鈍い音が広場に響く。
拳が与えた衝撃に周囲の観客がざわめいた。
だが倒れたのは子供ではなく――。
「いっっっ……てて……」
子供とヤンキーの間に立ちはだかり、拳を受けた澪だった。
頬を赤く腫らしながらも、苦笑いを浮かべる。
「子供に暴力はダメだって……お兄さん」
周囲が「今庇ったよな?」とざわつく。
澪はすぐに子供の方へ振り向いた。
泣きじゃくるその頭を、ぽんぽんと撫でる。
「ちゃんとごめんなさい出来て、えらいえらい」
子供はしゃくりあげながら、澪の胸にしがみついた。
ヤンキーがさらに口を開こうとした瞬間。
「どいてください」
無表情の結衣が、串を片手に無造作に前へ出た。
その一言にヤンキーは怯んだように後ずさりし、周囲の視線を浴びながら気まずそうに舌打ちをして、人混みへと消えていく。
「お兄ちゃん、ありがと!」
涙を拭った子供が手を振る。
人混みの奥で母親らしき女性が駆け寄り、ぎゅっとその小さな手を握った。
ほっと場の空気が和んだところで、誰かが小声で漏らす。
「結衣さん……あれ無言で串持ってるの普通に怖ぇな」
「いやあれ殴られるより痛いやつ」
笑い混じりのざわめきが広がっていく。
「おお、噛ませ犬澪くん。ヒーローじゃん」
りんご飴を齧りながら現れた言真が、にやにやと笑う。
「……うるせぇ……痛いんだぞ、これ」
腫れた頬を押さえる澪に、結衣が氷の入った袋を差し出す。
「少し座って待ってて下さい」
ベンチに誘導され、結衣は小走りでどこかへ。澪は天を仰ぎ、大げさに嘆いた。
「折角のデートが……」
涙がこぼれそうになったその瞬間、目の前にストロー付きのジュースが差し出される。
「握力異能のジュース屋さんから頂きました。生搾りらしいです」
振り向けば、ゴリラみたいな腕でオレンジを握り潰してる屋台の男が、遠くで親指を立てていた。
ジュースを飲み干せば、空は夜の暗闇に覆われ、星が瞬く。
(もう終わりか……)
そんなことを考えていると、夜空にドンと大きな音が響いた。
色鮮やかな花が、闇に咲き誇る。
「……花火?」
観客が一斉に空を見上げ、広場は歓声と拍手で包まれる。
赤、青、金色の火花が次々に弾け、屋台のネオンと混ざって煌めいていた。
「綺麗ですね」
無表情のまま結衣がぽつりと漏らす。
その横で澪は、胸を押さえて天を仰ぐ。
(やべぇ……隣で花火見るとか、最高すぎ)
赤面して黙り込む澪を見て、言真が肩を揺らして笑う。
「おーい、噛ませ犬くん。顔まで打ち上がってるぞ」
「……花火と一緒に爆発してぇのかお前」
最後の大輪が夜空を染め上げる。
火花の残光が淡く広場を照らし、やがて夜空は静けさを取り戻していった。
「……また来年も楽しいといいですね」
「へ?」
「お祭り……楽しかったので」
結衣がほんの少しだけはにかむ。
その笑みに打ち上げられたように、澪の顔は一気に真っ赤になった。
(俺の今年の夏、全部優勝……!)
花火の煙と同じくらい熱い湯気を立ちのぼらせながら、澪は胸の鼓動を必死に押さえ込むのだった。
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