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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第三章 変異日常編
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第46話 残響の在処

 一晩が過ぎた。

 夜明けの光が白く部屋を照らす。


 澪は電池の切れた人形のように、ベッドの上で虚ろな目を開けていた。

 呼吸はある。瞳孔も反応する。

 それでも、その中に“人”の焦点がなかった。

 言真はその手を握ったまま、一度も眠っていない。

 血の気の失せた顔で、ただ脈を確かめ続けていた。


 インターホンが鳴る。

 何度も。執拗に。

 言真は無言で立ち上がり、鍵を外す。


「どうもー! 執行官でーす。九重くん、顔が死んでるけど生きてる?」


 御影千尋の声はいつものように軽かったが、

 目の奥には警戒の光が宿っていた。


「千尋くん、空気読んで」


 背後から日菜の声。

 白衣の裾を押さえ、彼女と医療班が並んでいる。


「言真さん。昨晩、澪くんの異能波形が直線になりました。確認させてもらってもいいですか?」


 言真は頷き、部屋の中へ通す。

 医療班が機材を運び込む間に、千尋はベッドへ歩み寄った。


 澪の顔を見た瞬間、彼の軽口が止まる。

 頬の色、唇の乾き、呼吸のリズム、そしてまぶたの動き――。

 一瞬で全てを“見た”。


「……ダメだ。中身、空っぽだな」


 その声に、日菜が振り向く。


「千尋くん、まだ検査も――」


「いや、分かるよ。呼吸が“自律”じゃない。筋肉の緊張も、心拍も、全部“反射”で動いてるだけ。魂がいない体って、こうなるんだよね」


 静かな言葉だった。

 けれど、誰よりも現実的で、残酷な宣告だった。


 日菜は唇を噛み、端末を開く。

 波形は一本の直線。

 千尋の言葉が、データで裏づけられていく。


「……異能活動ゼロ。脳波、直線。でも生命反応は正常。“死んでいない”けど、“生きてもいない”。」


 彼女の声が震えた。

 千尋は短く息を吐き、目を閉じる。


「……こいつ、ギリギリで止まったな。もう一歩で、“完全な死体”だった」


 その言葉に、言真の拳がわずかに震えた。


「……言真さん。これから言うことは言真さんを責めるつもりはありません。ただ、確認させて下さい」


 言真は小さく頷く。

 声も出ないまま、ただ息を飲む。


「澪くんが食事を摂る時の様子、どうでしたか」


「……食事?」


 かすれた声で繰り返す。

 思考を辿るように、ゆっくりと目を閉じた。


「いつもと変わらず、“うまい”って笑顔で……そう、笑ってた」


 日菜は、ほんの少しだけ視線を伏せた。

 そして静かに、もう一歩踏み込む。


「味の感想は? 特に好物。普段から澪くんは、味の感想を言うタイプでしたか?」


「まあ、そうだな……」


 言真の言葉が途中で止まる。

 何かが胸の奥で引っかかったように、眉が寄る。


「……いや、待て」


 頭の中で、これまでの食卓の記憶が次々と蘇る。

 焼肉、ラーメン、カレー、そして……牛丼。

 どれも同じ言葉で終わっていた。


「……此処ずっと、“うまい”しか言ってない。言わない日もあった」


 その言葉が落ちた瞬間、

 部屋の空気がぴたりと止まった。


「……牛丼プロトコルのときから、澪はろくに感想を言ってない」


 日菜は唇を結び、ゆっくりと目を閉じた。

 端末の画面を見ず、まっすぐに言真を見て言う。


「……それが、“虚無相”の初期症状です」


 淡々とした説明に、言真は思わず声を荒げる。


「ちょっと待て。うまいしか言わないなんて、そんなの普通だろ。毎回いちいち“辛い”“甘い”だの言うやつなんていない」


 その反論に、日菜は首を横に振った。

 けれど、責めるような口調ではない。


「……そうなんです。普通なら、そう。でも澪くんの場合、“うまい”しかないんですよね。他の言葉が全部、抜け落ちてた。“辛い”も“熱い”も、“お腹いっぱい”も。それは、感じなくなってたからです」


 言真は何も言えず、目を伏せた。

 その沈黙を切るように、千尋が口を開く。


「俺はさ、虚無相になる前の澪くんは知らないけど――」


 軽い調子の声。けれど、目だけは鋭い。


「澪くん、味言わないタイプかなって思ってたもん。初めて会ったとき、飯食ってても、匂い嗅いでも、うまって一言で終わり。反応が均一っていうか、語彙力ないレベルじゃないよ」


 日菜が振り向く。

 千尋は続けた。


「……食べ物って、生きてる奴ほど“揺れる”んだよ。旨いも不味いも、熱いも冷たいも、全部“感情”に出る。でも、あいつは違った」


 千尋の目は澪を見たまま動かない。


「うま! って言葉は出てんのに、体が反応してねぇ。舌も、喉も、呼吸のリズムも、食ってるふりだけしてる。俺、何人も殺してきたけど……あの感じ、“死んだ直後”に似てんだよ」


 日菜が息を呑んだ。

 千尋は淡々と続ける。


「生きてるのに、生理反応が追いついてない。心臓は動いてるのに、脳が“うまい”を理解してない。笑ってても、感情の筋肉が動いてなかった」


 言真は俯いたまま拳を握る。


「……つまり、笑ってたけど、喜んでなかったってことか」


「そう。表情はあるのに、感情がない。人形が笑うのと同じ。澪くん、明るくていいやつだったじゃん。だから、この寒気が嘘だって信じたかったんだよ」

 

 千尋の声が、部屋の空気を切った。目は逸らさず、しかしどこか遠くを見ている。

 言真は背をぶつけるように壁に寄りかかり、拳を握り締めた。唇が震えているが、言葉は出ない。


「……だったって、澪を死んだみたいに」


 小さく漏れたその言葉に、千尋は顔をしかめる。


「死んでるどころか、ないんだよ」


 その一言は、救いを拒絶するように冷たかった。

 日菜の指先が端末の縁を押さえ、画面の直線波形が白く瞬く。医療班の誰かが、かすかな咳払いをする。


 言真はやっとのことで目を上げ、千尋を睨みつけた。

 だがその視線は、抗議でもなく、哀願でもなく、ただ壊れかけた何かを探る目に変わっていた。


「……分かった。だが、まだやることはあるだろ」


 言真の声は低く、掠れていた。


 千尋は肩をすくめ、日菜は短く頷く。

 医療班が手早く検査の続きを準備し、静かに動き出す。


 部屋の外では、世界が普段どおりに回っている。だがこのベッドの周りだけは、時間が止まったようだった。


 日菜は端末を操作し、ホログラムを切り替えた。

 淡い光が空中に浮かび、澪の脳構造が立体映像として展開される。


「……やっぱり、根本は“オーバーライド”です」


 言真が顔を上げる。


「職輪転化じゃないのか?」

「いえ。職輪転化は安全装置です」


 日菜は小さく首を振った。


「その外殻ごと、今回の暴走で焼き切れてます」


 千尋が眉を上げる。


「安全装置が焼けた? そりゃ暴走するわけだ」

「澪くんの脳は、本来“オーバーライド”で他人の異能を内包できる構造なんです」


 日菜は画面を指差す。


「いわば、異能の“保管庫”みたいなものです」

「保管庫ねぇ。……そんなもん作れるのか」


 千尋の声は半分呆れ、半分感心していた。


「理論上は。でも、限界はあります」


 日菜は苦い表情で息を吐く。


「それが“コップ理論”です。器の容量を超えると、破裂する」


「つまり、コップが割れたってことか」


「異能の出力に脳が耐えきれなかった。普通なら、中身……精神や感情は全部こぼれて消えるんです」


 言真が拳を握る。


「じゃあ、今の澪は……」


「中身がこぼれきる前に固まったんです」


 日菜は画面の一点を拡大した。


「中に詰まっていた異能データが、器の破片ごと凝固している。意識だけ抜け落ちて」


「……つまり、異能のカタマリになってるってことか」


 千尋の声は低い。


「はい。だから虚無相。生きてるけど、生きてない」


 モニターの端で、微かな光が瞬く。

 日菜が指先で示す。


「でも、完全には終わっていません。ここ、見てください。同調率3.7%」


 言真の目が揺れた。


「……俺とのリンク?」


「そうです。澪くんのオーバーライドと、言真さんの言霊律令は構造が似ています。どちらも“意思と言葉”を媒介に現実を書き換える異能です」


「要は似たOSってことか」


 千尋がぼそりと呟く。


「その共鳴が、澪くんの内部に純正データとして残っている」


 日菜は頷き、淡い光を指でなぞった。


「混線した異能の中で、唯一“本人の意識”を覚えている破片です」


「つまり、九重くんが外付けのバックアップってわけか」


「この3.7%を使えば、理論上は再構築リコンストラクトが可能です。割れたコップを、言真さんの器を足場にして“形を取り戻す”ことができる」


「……それで澪を取り戻せるのか」


 言真の声は低く、掠れていた。


「成功すれば、あるいは」


 日菜は小さく頷く。


「ただし、境界が曖昧になれば、言真さんの器も一緒に割れます。共鳴が強すぎれば、二人とも同じ“虚無”に沈む」


「命綱どころか、一緒に落ちるロープだねぇ」


 千尋の苦笑が、静かな部屋に落ちる。

 日菜は端末を閉じ、短く息を吐いた。


「……それでも、まだ繋がっている」


 沈黙。

 モニターに残る光が、かすかに揺れた。

 再び静寂が戻る。

 言真は、ベッド脇に座ったまま澪の手を握った。


「……なあ、澪。お前、まだそこにいるんだろ」


 応える声はない。

 けれど、指先がほんのわずかに温かかった。

 ――3.7%

 それでも、ゼロじゃない。

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