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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第三章 変異日常編
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第44話 熱の底、静寂の街

 夜。

 ガチャリとドアの開く音が、冷房の風を切った。


「お、帰ってきた」


 言真はソファから顔を上げる。

 テレビではバラエティ番組の笑い声が響いていたが、玄関の空気だけは異様に重かった。

 窓付きエアコンの風はリビングにしか届かない。

 玄関は、むわりとするほど蒸している。


「お疲れさま。脳とろまで時間あるし、ご飯食べる?」


 声をかけると、澪は小さく笑った。

 だが、その笑みはどこか引き攣っている。


「……途中で暴走止めちゃってさ。オーバーライド使ったから、寝る」


 軽く言ったつもりだった。

 けれど、息が乱れている。

 肩で呼吸をしながら靴を脱ぎ、足取りも僅かにふらついていた。


「お前、使ったのか!? 職輪転化中にオーバーライドを?」


 言真の声が鋭く跳ねる。

 澪は視線を逸らし、弱く笑った。


「大丈夫。いつも通り、二十四時間経ったら起きるし……俺――」


 言葉が終わる前に、澪の膝が音もなく折れた。


「澪っ!」


 倒れ込む身体を、反射的に言真が受け止める。

 腕に伝わる熱が、息を詰まらせた。

 まるで、燃える鉄を抱いたようだった。


「……っ、熱っ……!」


 額に触れると、皮膚の下で何かが微かに脈動しているのがわかる。

 それは体温でも鼓動でもなく、もっと深い――異能の回路が、軋むような動きだった。


「なんだこれ……今までのオーバーライドと違う」


 言真は息を呑んだ。

 澪の呼吸は浅く、ひどく早い。

 胸が上下するたび、汗が喉から首筋へ伝い、シャツをじわりと濡らしていく。


「……大丈夫、すぐ……落ち着く……。心配すんなって……」


 掠れた声が、熱の隙間から漏れた。

 その直後、瞼が静かに閉じる。

 身体が脱力し、完全に言真に預けられる。


「澪! おい、澪!」


 肩を揺さぶる。

 だが、反応はない。

 けれど、胸はゆっくりと上下している。


 生きている。

 ただ、眠っているだけ。


 いや、固定されたのだ。

 オーバーライドを使った後、澪の意識は二十四時間、強制的に沈む。

 目を覚ますまで、誰も触れられない。

 肉体だけが、かろうじてこの世に留まっている。


「……二十四時間、だな」


 呟きながら、言真はゆっくりと澪を抱き上げた。

 思ったより軽い。

 燃えるような熱だけが、異様に強く感じられる。


 ベッドに運び、シーツの上へと横たえる。

 その瞬間、布地にまで熱が伝わり、淡く蒸気が立ち上った。


「……火傷しそうだな」


 苦笑を浮かべながら、タオルを濡らして額に置く。

 けれど、すぐにぬるくなった。

 熱がそれほど強い。


 冷水を足して、また絞る。

 何度繰り返しても、効果は薄い。

 まるで、体の奥から絶えず何かを燃やしているようだった。


「……頼むから、ちゃんと戻ってこいよ」


 言真は、椅子を引いてベッドの傍に座る。

 冷たい麦茶を手にしても、喉を通らなかった。


 エアコンの風がゆっくりと回る。

 テレビの音はいつの間にか消え、部屋には二人分の呼吸音だけが残る。

 カーテンの隙間から漏れた街灯の光が、澪の頬を照らす。

 その肌は汗に濡れて、ガラス細工のように透けていた。


 呼吸はある。脈もある。

 でも、何かがズレている。

 人間としての律動ではなく、機械が微振動を繰り返すような、無機質な鼓動。


「……何が、起きてるんだ」


 言真は呟く。

 澪の指先がわずかに動いたように見えた。

 だが、それはただの反射かもしれない。


 ふと、ベッド脇のコンセントの赤ランプが一瞬だけ点滅した。

 電流の流れが澪の“内側”に干渉されたかのように。


 部屋の空気がわずかに揺れた。

 静電気のような光が、澪の体の下を走る。

 見えない神経の奥で、光の線がゆっくりと脈動していた。


 それはまだ、誰にも理解されない現象。

 だが確かにそこに、異能の余熱が残っている。


 言真は両手を組み、視線を澪の胸元に落とした。

 ぬるくなった麦茶を一口だけ飲み、長く息を吐く。


「……お前、ほんとに“人間”のままで戻ってこいよ」


 夜風が、窓を揺らす。

 外では虫の声が、ひどく遠くに聞こえていた。

 澪の胸が上下している。

 けれど、その呼吸はどこか拍子を外していた。

 熱の中の沈黙が、ゆっくりと部屋を包み込む。


 誰も気づかない“虚無”の始まりだった。


***


 夜の商店街。

 街灯の光がまばらに揺れ、アスファルトからはまだ昼の熱が微かに立ちのぼっていた。


「はい、みんなー。おうち帰ろうねー」


 御影千尋は指先を軽く払った。

 そこから伸びた透明な糸が、地面に倒れていた人々の手首を包み、ゆっくりとほどいていく。

 糸が切れるたび、夜気の中で小さな光が散った。


「ご、ごめんなさい……そんなつもりじゃなかったんです」


 制服姿の女子高生が涙をこぼしながら頭を下げた。

 その周りで、大人たちも次々に顔を伏せる。


「しゃーない。でもさ、薬とかサプリとか、簡単に飲まない方がいいよ。健康食品じゃなくて異能食品だからね。賞味期限も倫理も切れてるやつ」


 冗談めかして笑うと、誰も笑わなかった。

 それでいい。

 怖さを現実に戻すには、軽口がちょうどいい。


「わ、私たち……もう大丈夫なんですか?」


「ひとまずはね」


 千尋は糸を巻き取りながら頷いた。


「暴走は止まったし、後遺症もなさそう。もし異能が芽吹いちゃってたら、明日因課で登録してね。寝坊しても、俺が寝過ごし申請書いといてあげるから」


 その軽い口調に、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 泣いていた子どもが、小さく「うん」と呟いた。


「よし、撤収ー」


 千尋は伸びをして、通りを見回した。

 夜風が背中を撫で、乾いたシャツがひやりと冷たい。

 ポケットから取り出したグミの袋を破り、一粒を放り込む。


「働いた後の糖分、サイコー!」


 歩きながら、スマホを耳に当てる。


「はーい、こちらストリングス。商店街の件、完了。暴走者全員鎮静、被害軽微。イノシード反応は残留のみ、自然消滅待ち」


 通信の向こうで、洛陽支部の皆上遼が安堵の息をついた。


『お疲れさま。異能反応、かなり強かったらしいな。大丈夫か?』


「平気平気。糸は焦げてないし。……でも、一瞬だけ混ざったんだよな」


『混ざった?』


「うん。暴走を抑える波形。俺の糸に触れた。つまり、近くで誰かが止めたってこと」


 遼が短く息を呑む。


『……綾瀬くんか?』


「んー、多分。あの出力、俺の知る中じゃあいつしかいないよ」


 千尋は夜空を見上げた。

 街灯の光が糸に反射して、細い線のように瞬く。


「でも、燃やした跡も撒いた跡もなかった。あいつは、壊すより守る方を選ぶ」


 口の中でグミを転がしながら、苦笑する。


「……けど、拾い続けたらいつか自分が燃える。だから、次は俺らの番ってこと。いやー、執行官の使いどころ間違っててウケる」


 通話を切り、夜風を吸い込む。

 コンビニのビニール袋が風に鳴り、遠くで犬が吠えた。

 どこにでもある夜の音が、やけに静かに響く。


 千尋はもう一粒グミを口に放り、ぽつりと呟いた。


「ま、人生は糖分と現場対応でなんとかなるっしょ」


 糸が風に溶け、夜だけが残った。


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