第41話 査問と再生
因課・本部。
白と灰で統一された会議室は、冷房が効きすぎている。
その静寂を、軽やかな靴音が破った。
御影千尋が片手で報告書の束をひらひら振りながら入室する。
髪をかき上げ、無造作に席へと腰を下ろした。
「はーい、お待たせしました。一般通過執行官による地獄の現場リポートでーす」
明るい声に、役員たちの眉間が一斉に寄る。
誰もが面倒そうに彼を睨みながら、テーブルに置かれた書類をめくった。
「イノ研関連施設、壊滅。市民救出。オーバーライドが制御された……本当か?」
最年長の役員が低く問う。
千尋はあっさり頷き、口の端を上げた。
「本当本当。破壊だけじゃなく“抑制”にも使えるって判明した。ショッピングモールでの異能暴走、あったでしょ? あれも澪くんが止めた。オーバーライドの制御下で、暴走を抑えて、暴走者は怪我ひとつなし」
数名の役員が顔を見合わせる。
千尋はそれを見て、わざとらしく肩を竦めた。
「いやー、暴走を止めたってすごくない? 街が崩れる前に止めた子にはさ、感謝状くらい出してもいいと思うんだけどね」
沈黙。
誰も笑わない。
会議室の空気が、ぴりりと張り詰めた。
「……彼は不安定だ。イノ研の影響を受けた異能者を野放しにするのは危険だ」
冷たい声が響く。
その瞬間、千尋の笑みがすっと薄れた。
「危険、ねぇ」
椅子から身を乗り出し、両肘をテーブルにつく。
目が笑っていない。
軽口の裏に、鋭い棘が覗く。
「現場で暴走止めて、誰も死なせなかった子を“危険”呼ばわり? ……あんた達、現場の映像見た? 見てもいないのに管理してる気になってんの?」
役員の一人が顔をしかめるが、誰も反論できなかった。
「まぁ、いいけどさ。澪くんがいなかったら、ショッピングモールは瓦礫。イノ研が残したサプリで暴走した市民も、救えたか分からない。それどころか二次災害で多くの人が危険に晒されたかもね」
その言葉に、一瞬、部屋の空気が重く沈む。
千尋はそれを見逃さず、軽く笑った。
「でも澪くんなら、守れると思うんだよね。少なくとも、机の上で安全確認してるあんた達よりは」
乾いた沈黙。
誰も言葉を返さない。
千尋はポケットに手を突っ込み、テーブルの上の書類をトン、と指先で揃えた。
「報告書はそこに全部あるから。あとは好きに判断して。現場の判断が気に入らないなら、次は自分で行けば?」
そう言い残し、手をひらひら振ってドアへ向かう。
扉の前で一度だけ立ち止まり、肩越しに呟いた。
「イノ研は終わった。でも、街の火種はまだ残ってる。暴走したくない普通の人まで巻き込まないように、今度こそ、上がちゃんと仕事してくれよ」
そして、軽い足取りで部屋を出ていった。
重い扉が閉まる音が響く。
その後の会議室には、誰も口を開けなかった。
沈黙と冷気だけが漂う。
その空気を破ったのは、ノックの音だった。
「失礼します」
低く落ち着いた声とともに、ドアが再び開く。
入ってきたのは、眼鏡をかけた水島詩と、その隣に立つ黒いスーツ姿の男――
特災観所属・城戸廉だった。
白と黒の対比が、室内の空気をさらに引き締める。
役員たちの背筋が、わずかに強張った。
「な……特災観? なぜここに」
誰かが小声で呟く。
それに答えるように、詩が静かに前へ出た。
「……特災観の決定を無視し、執行官を派遣して、綾瀬くんを殺害しようとしたのは本当ですか」
その声は震えていた。
怒鳴りもせず、淡々とした口調。
しかしその一言に、室内の空気が一瞬で凍りつく。
詩の眼鏡が逆光で光り、表情は読めない。
だが、言葉の端々には確かな怒気が宿っていた。
「わ、私はそんな命令を――」
「では、なぜ執行官派遣の事故死想定処置依頼が出ていたんですか?」
詩の声が、低く重なった。
静かに、だが逃げ場を与えない。
役員の一人が口を開きかけたが、
隣の城戸が一歩前に出た瞬間、その声が喉の奥で凍りついた。
「特災観の決定に意見があるのならば、言えばいいものの……困ったものだ」
低く通る声。
それだけで室内の温度が数度下がった気がした。
城戸は淡々と息を吐き、
鞄から書類を取り出して机に置いた。
「――此処の者全員、研修課からやり直してもらおうか」
乾いた紙の音。
それが落ちた瞬間、役員たちの表情が一斉に強張る。
「は!? 研修課って……新人の教育課程の、あの!?」
「冗談だろ! 我々は上級管理官クラスだぞ!」
狼狽の声が重なる。
だが城戸は眉ひとつ動かさず、冷ややかに言葉を続けた。
「立場に関係はない。特災観の命令系統を無視し、独断で執行官を動かした。その事実だけで十分に“再教育”に値する」
誰も反論できなかった。
室内に沈黙が落ちる。
詩が一歩前に出た。
カーディガンの袖を握り、俯いたまま、低い声で言う。
「……因課は、彼らをサポートするのが仕事です。切り捨てることじゃない」
その言葉に、何人かの視線が動く。
詩はゆっくりと顔を上げ、眼鏡の奥の瞳で役員たちを見据えた。
「綾瀬くんは、殺されかけても誰も傷つけなかった。それでもあなたたちは彼を“処分対象”と呼んだ。あれを倫理と言うなら、僕はその倫理を信じません」
声は震えていた。
だが、そこに迷いはなかった。
役員たちの中に、わずかな動揺が広がる。
「水島君、君は感情的になって――」
「感情的で結構です」
詩の言葉が鋭く割り込む。
珍しく強い声音だった。
「現場で人を救うのは理屈じゃない。“感情”を失った判断が、何を生むのかあなたたちが一番分かっているはずでしょう」
その一言に、誰も口を開けなかった。
ただ、沈黙の中で詩の息遣いだけが響く。
城戸は静かに頷き、短く言葉を継いだ。
「……特災観は今回の一件を正式に査察対象とする。本日付で本部および洛陽支部の監査を開始する。異議は認めない」
机上の書類に刻まれた赤い封蝋が、重く沈んだ光を放つ。
その印章には、明確に“特災観査察局”の名が刻まれていた。
詩は眼鏡の位置を直し、静かに続けた。
「……これは罰じゃありません。人を守るという原点を、もう一度思い出してもらうための処置です。因課は切り捨てることはしない。あなた達のような方でも」
その声は小さいが、確かな温度を持っていた。
怒りでも冷笑でもない、まっすぐな言葉。
城戸は無言のまま書類を整え、出口へと歩き出す。
詩もそれに続き、扉の前で一度だけ振り返った。
「綾瀬くんを殺そうとした責任は、必ず取ってもらいます」
扉が閉まり、静寂が戻る。
役員たちは動けないまま、赤い印章だけを呆然と見つめていた。
***
因課・本部。休憩室。
「全く、困ったものだ」
城戸は深く息を吐き、肩を落とすように眉根を寄せた。
その声音には、呆れとも諦めともつかない静かな重みがある。
だが、次の言葉はあまりに軽かった。
「だが、今後は大丈夫だろう。……水島本部長?」
その瞬間、室内の空気が一瞬止まった。
「……え?」
詩が反射的に顔を上げる。
今、確かに聞こえた。
“本部長”と。
「え? え、いま、本部長って――」
「やはり、君のような芯のある若者に引っ張ってもらわないとな」
城戸は真顔のまま、さらりと言い放つ。
まるで前々から決まっていたかのように。
「え、えええええええ!?!?」
詩の声が廊下に反響する。
「ちょ、ちょっと待ってください! 僕、そういうの無理です! 性格的にも肩書き的にも! あと精神的にも!!」
「安心したまえ。特災観の補佐がしばらくつく」
「それ、余計怖いです!!」
詩が両手をばたつかせる。
城戸はそんな彼を横目に、淡々と書類を鞄にしまいながら小さく笑った。
「現場を知っていて、なお筋を通せる人間は貴重だ。君にしかできない」
その一言が、詩の動きを止めた。
心臓の鼓動がひとつ跳ねる。
「……僕にしか、できない」
その呟きに、城戸は短く頷く。
「期待しているよ。本部長」
詩の顔が一瞬で真っ赤になった。
「だからその呼び方やめてくださいってば!!」
詩の慌てふためく声と、城戸のくぐもった笑いが重なり、重苦しい空気はようやく少しだけ、和らいだ。
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