表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第二章 オーバーライド編
39/54

第39話 効かない女

 白い壁。

 消毒液の匂い。

 冷たい金属が、手首に食い込んでいる。


 ――拘束具。


 ぼやけた視界の先で、誰かの声がした。


「あ、起きた? 元気?」


 白衣の男だった。

 柔らかい笑顔。だが、目だけが笑っていない。

 手元のタブレットを軽く操作しながら、椅子に腰をかけている。


「……え、誘拐?」


 かすれた声でそう言うと、男は愉快そうに肩をすくめた。


「いやいや、そんな物騒なことしないよ。ちょっと話を聞きたかっただけ。確認とか、諸々ね」


 言葉の調子は軽いのに、足音だけがやけに重かった。

 男は立ち上がり、机の上のケースから透明なカプセルを一つ取り出す。


 中身は淡く光っている。

 あの“イノシード”と呼ばれていたもの。


「君さ、これ持ち帰ったよね」


 男の声が、途端に冷たくなる。


「宣伝はいいんだけど、外に持ち出されるのは困るんだ。セミナーを受けた人には、その場で飲んでもらう決まりでね」


 その言葉に、つばさの心臓が一瞬止まった気がした。

 背中を伝う汗が、冷たく空気を切る。


「……違法でしょ、こんなの」


 ようやく絞り出した声は、思ったよりも震えていた。

 男は小さく鼻で笑う。


「ふーん、詳しいね。賢そうだなとは思ってたけど」


 軽くタブレットを指先で叩きながら、楽しそうに続ける。


「受付で写真撮るし、セミナーの動画回すし……正直、摘み出そうと思ったけどね」


 その言い方は、冗談のようでいて、どこまでも本気だった。

 つばさの喉が、乾いた音を立てる。


「空気悪くなっちゃうでしょ? だから、“補講”ってことにしたの。今」


 タブレットをパタンと閉じる。

 その小さな音が、やけに部屋に響いた。


 男が立ち上がる。

 足音が、近づいてくる。


 つばさは反射的に椅子の背にもたれた。

 けれど、逃げ場はどこにもない。


「君、やばかったら因課に通報しようとしてたでしょ?」


 男の声が、真っ直ぐに突き刺さる。

 息が詰まった。

 心臓が跳ねた音が、自分でも聞こえる気がした。


「――ッ」


 男は、にこりと笑う。

 その笑顔は、皮だけの仮面みたいだった。


「あはは、そんなに僕らバカに見えたかな?」


 軽口のようでいて、言葉の奥に鋭い刃が潜んでいる。

 視線だけで、息を奪われそうになる。


「大丈夫。乱暴なことはしないよ」


 その優しい声が、逆に恐ろしく感じた。

 何かが始まる。そう直感で分かった。


「その代わり……」


 男は笑顔を崩さぬまま、ゆっくりと前に出た。

 距離が、近い。

 息がかかるほどの近さで、低く囁く。


「試させてもらうけどね」


 その言葉が、耳に張り付く。

 つばさの喉が、音を立てずに動いた。


「は……? はぁ!? いやいやいや、何言ってんの!?」


 荒げた声が、かすかに震えていた。

 だが男は楽しげに首を傾げる。


「いいじゃん。インフルエンサーとして、ネタ作るのに最適でしょ?」


 にこりと口角を上げた瞬間――

 部屋の奥で、何かの機械が低く起動音を立てた。


「……分かった! うん、ちょっと急ぎすぎだから、その前に話しよ? その後に試していいから! 話し合いって大事だよ!」


 つばさは必死に声を張った。

 心臓が早鐘を打っている。

 とにかく時間を稼がなきゃ。そう思って口が勝手に動いていた。


 男の笑顔がわずかに崩れる。

 一歩引いて、興味深そうに首を傾げた。


「話ってどんな?」


 軽い調子。けれど、視線の奥は油断がない。

 つばさは喉を鳴らし、無理に笑顔を作った。


「実はね、あたし、セミナーの取材したかっただけなんだ。異能って、持てば便利だけどリスクもあるじゃん? その辺の実態を知りたくて」


 言葉を並べながら、脳内では必死に出口を探していた。

 視線だけで部屋の構造を確かめる。

 ドアは一つ、窓はなし。逃げ道ゼロ。


「ふうん、取材ね」


 男がタブレットを指で回す。

 その仕草ひとつにも、圧がある。


「そう。あたしの知り合いなんか、脳がとろとろになっちゃう人もいれば、怪力になって落ち込んじゃう友達もいるし」


 言葉を出した瞬間、空気がピリッと変わった。

 男の表情が、わずかに静止する。


「……脳とろ」


 短く呟き、ゆっくりと視線を上げた。

 今度は笑わなかった。


「ああ……綾瀬くんと、知り合いなんだ」


 つばさの全身が強張った。

 冷たいものが背骨を駆け上がる。


(なんで……澪くんを知ってるの)


 つばさの心臓が、音を立てて跳ねた。

 息がうまく吸えない。

 まるで空気そのものが、ゆっくりと凍りついていくようだった。


 男はその反応を楽しむように、唇の端をゆっくりと吊り上げた。

 笑顔の形だけを保ちながら、目はまるで人形のように冷たい。


「サービスで教えてあげる」


 軽い口調で、爆弾のような言葉を落とす。


「綾瀬くんのデータを使って、イノシードを作ったんだ」


 時間が止まった。

 心臓の鼓動が、はっきりと耳に響く。

 今聞いた言葉の意味を理解するまでに、数秒かかった。


「……は?」


 つばさの声が掠れる。

 だが男は構わず続けた。


「素晴らしい素材だったよ。事故の記録、脳波、反応値、全てが想定を超えていた。人間という枠を超えるには、あれほど最適なデータはなかったね」


 机の上のカプセルを、指先でコツコツと叩く。

 淡く光る粉が、わずかに揺れた。


「君が飲まなかったそれも、彼の“断片”なんだよ」


 ぞわりと、背筋を何かが這い上がる。

 理解した瞬間、体の奥で心臓が嫌な音を立てた。


(澪くんの……データ……?)


 男は楽しげに肩を竦める。


「本人は生きてるけどね。あくまで“データ”を参考にしただけ。倫理的にはグレー、ってやつ」


 その言葉を、平然と笑いながら言える神経。

 そこに“人間”という感情は欠片もなかった。


「さて。彼由来の因子がどこまで君に適合するか、試してみようか」


 男が指を鳴らす。

 直後、天井の換気口から、微かに白い煙が立ちのぼった。


 白い煙がゆらりと立ちのぼる。

 甘い薬品の匂いが鼻を刺し、つばさは反射的に息を止めた。


 けれど、次の瞬間にはもう吸い込んでいた。

 喉の奥が焼けるように熱い。

 目の前がにじみ、耳鳴りが遠くで響く。


 男は興味深そうにタブレットを操作しながら、淡々と呟く。


「どう? 熱くなってきたでしょ。血中濃度が上がれば、すぐに反応が出るはずなんだけどね」


 しかし、何も起きなかった。


 時間だけが、静かに流れていく。

 脈拍の音も、呼吸も、ただの“人間”のまま。


 男の眉が、わずかに動いた。


「……おかしいな」


 タブレットの数値を何度も確認する。

 指先で画面をスクロールしては、唇を噛んだ。


「何も効かない。濃度も上げてるし、少しは変化あると思ったけど……何やっても効かない」


 初めて、男の声に焦りが滲んだ。

 つばさは息を荒げながら、かすかに笑った。


「おもろ。……効かなくてよかった」


 それは、ほとんど掠れた声だった。

 だが男はその言葉に、ゆっくりと顔を上げた。


 笑っていなかった。


「へぇ……面白い。“効かない”ということは、抵抗値が想定外に高いってことだ」


 目の奥が、ぎらりと光る。


「綾瀬くんのデータ以上に、貴重かもしれないね。もしかして君――」


 男がつばさの肩に手を伸ばした、その瞬間。

 部屋の照明が、パチッと一度だけ明滅した。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ブクマや評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ