第36話 揚げたての匂いと、焦げる記憶
フードコート奥のカツ屋。
あんな地震が起きた後でも関係なく、昼時を過ぎても行列ができていた。
揚げたての衣が油の香ばしさを放ち、キャベツの山が眩しいほど白い。
「すげぇ……キャベツが山脈みたいだ……」
「食い切れんの?」
「食う!」
澪は箸を握り、勢いよくカツを噛みちぎる。
衣のサクッという音に、千尋が満足げに頷いた。
「うまいね。やっぱり命の次に大事なのは飯」
「お前、命より飯優先してそう」
「否定はしないかもねー」
くだらない会話に、言真のため息がまた一つ落ちる。
けれど、澪の表情が久しぶりに心から明るく見えたので、何も言えなかった。
そのときだった。
隣のテーブルから、学生風の二人組の会話が聞こえてきた。
「なぁ、さっきの地震、異能暴走だったらしいよ。イノ研の薬のやつ」
「イノ研の薬ってセミナー受けてもらえるやつだよな。具体的にはどうなん?」
「飲むと異能が覚醒する。しかも効果はランダムってガチャ効果らしい」
「ヤバすぎ。それ捕まらないの?」
「違法薬物でまず捕まるよな、普通」
澪の箸が止まる。
油の弾ける音の向こうで、ざわりと空気が冷えた気がした。
(イノ研……)
あのラボの光景がよぎった。
過去全て思い出して、再覚醒されて暴走した。
今の澪の状態を作った原因。
沈黙に気づいた千尋が、口の端を上げる。
「澪くん、どうしたの。カツ冷めるよ?」
「うん。でも、なんか……放っとけない気がして」
「またヒーローモード?」
「違う。ただ……変な予感する」
小さく呟いた澪の視線の先。
フードコートのテレビには、“異能体験セミナー開催”の広告が流れていた。
その画面の隅には、小さく、【協賛:異能応用技術研究機構(イノ研)】 の文字が書いてあった。
揚げ油の香りに混じって、胸の奥で何かが焦げるような感覚が残った。
***
腹いっぱいになったところで、ショッピングモールを見回る三人は家電コーナーに辿り着いた。
並ぶ最新家電の光沢がまぶしく、展示モニターからは涼しげな風の音が流れてくる。
「わぁ……空気が冷たい! 文明すげぇ!」
棚を見渡した澪は、目を丸くした。
「え、扇風機少なっ! しかもこれ、俺の知ってる扇風機じゃない!」
「それ、サーキュレーター。風の流れ作るやつ」
「さーきゅ……必殺技……?」
スイッチを押した瞬間、髪がバサァッと逆立つ。
「うおっ!? 風つよ!!」
「寝てたから知らないもんねぇ」
言真が苦笑する横で、千尋が腹を抱えて笑った。
「あっはは! 文明浦島太郎すぎる! 異能より文明の衝撃受けてる!」
「だって見たことねぇもん! 俺が昏睡してる間に何があった!?」
「いや、可愛いよ。文明デビューが扇風機とか萌える」
「萌えんな!!」
頬を膨らませる澪に、千尋がニヤリと笑う。
「ほら、そこのコーナー見て。窓付きエアコン。文明Lv2」
「おおっ! あれが噂の!」
澪は目を輝かせて走り出した。
展示機の冷風を浴びて、感動したように両手を広げる。
「……すげぇ、風が優しい! 人類すげぇ!」
「それはただのエアコンだ」
「でも、心まで冷やしてくる感じする!」
テンションMAXの澪に、千尋が笑いながら言う。
「どうする? 買っちゃう? 今ならポイント十倍だって」
「えっ……まじで!? 言真、買って!!」
「お前が買うんだよ。欲しいの澪でしょ?」
「財布、千円しかない!」
澪が情けない声で財布を見せると、言真はふっと笑って肩を竦めた。
そして、ため息を一つ。
「……エアコンよりはマシか」
「え?」
「ほら、型番メモして。同じやつネットで買う。多分そっちの方が安いし」
澪がぽかんと顔を上げた。
「……え、ほんとに!? 言真、神!?」
「支払い俺だけど、設置は澪だからね」
「文明の恩恵!!」
澪が感動の涙を浮かべて抱きつく。
言真は苦笑いをしながらも拒むことなく、わしゃわしゃと澪の頭を撫でた。
「壊すなよ、文明」
「はいっ! 大事に使います!!」
「声大きくて元気だねぇ」
千尋が横でスマホを構えながら、にやにやと呟く。
「いいねぇ……兄弟愛。写真撮ってSNSに上げていい?」
「いや、やめて?」
「撮るなよ!」
三人の声が家電コーナーに響き、周囲の客がくすりと笑う。
買い物袋の中に、新しい“文明”が一つ。
そんな些細な幸せが、今日の洛陽の午後をやさしく満たしていた。
***
「はい! やってきました! 食の祭典!!」
上階の催事エリアに響く、澪の元気すぎる声。
テンションが完全にお祭りモードで、通路の真ん中を全力で進もうとした。
「こら」
言真が首根っこをがしっと掴んだ。
「さっきカツ食べたのに元気だねぇ。周りの迷惑になるし、ゆっくり回ろうか」
「そんくらいわかってるわ!」
膨れ面の澪が手を振り払う。
だが、次の瞬間には鼻をひくつかせていた。
「めっちゃいい匂い……って、千尋いなくね?」
「……あそこにいるよ」
言真の指差す先。
屋台の列の間、満面の笑みで食事を両手に構える千尋の姿があった。
右手には焼きおにぎり、左手にはソフトクリーム。
「アホみたいな組み合わせ……いや、でも飯とデザート同時食い、アリか!?」
「……うん、ない」
言真が即答する。
千尋は二人の視線に気づくと、軽く手を振った。
「おーい、澪くん! ソフトクリーム、焼きおにぎりにディップすると意外と……」
「やめろ!!!」
澪が全力で叫ぶ。
だが千尋は涼しい顔で一口。
「うん……思ってたより……カオスな味」
「食レポすな! 自業自得だろそれ!!」
そんなやり取りの最中、言真は腕を組んでため息をつく。
「まったく……異能より自由な奴だな」
「お祭りは楽しんだもん勝ちでしょ? 澪くんも食べよ!」
そう言って千尋が差し出したのは、見た目がやけに怪しいチーズまん。
「限定販売、とろける灼熱チーズまん」
「名前からして嫌な予感しかしねぇ!!」
澪が思わず後ずさると、言真が片眉を上げる。
「食の祭典で一番危険そうなの選ぶなよ」
「だって、光ってたんだよ?」
「飯が光るな」
その言葉に、千尋が嬉しそうに頷く。
「異能都市の屋台、発光くらい当たり前でしょ?」
「異能で照明演出するな!」
三人の声が入り混じり、屋台エリアの喧騒の中でひときわ目立っていた。
焼ける匂い、湯気、ざわめき、笑い声。
そのどれもが、ほんの一瞬だけ“日常”を照らしていた。
***
洛陽市駅前。
休日の昼下がりは人通りが多く、通りには甘い香りが漂っていた。
SNSでも話題のスイーツ店のキッチンカーの前で、姫乃つばさが店員と並んでスマホを構える。
「はいチーズ〜! ……よしっ、映えた!」
撮った写真を確認しながら、満足げに微笑む。
「これでハッシュタグつけて……“#姫乃つばさレビュー”って入れたら、バズ間違いなし!」
店員が笑いながら手を振る。
「つばさちゃん、ありがとう! でも、顔は隠してね!」
「もちろん! ちゃんと加工するよ。目線も隠すし、光も盛っとくから安心して!」
つばさの軽やかな声に、店員も思わず笑みを返す。
「ありがとう〜! あ、拡散のお礼にクッキーあげる」
手渡された小さな紙袋から、ほんのりとバターの香りがした。
つばさは目を輝かせ、嬉しそうにそれを受け取る。
「うわっ、ありがと! こういうの地味に嬉しいんだよね〜!」
人混みの中で、キラキラとした笑顔が一瞬光を帯びる。
スマホのカメラには、完璧な日常のワンシーンが収まっていた。
けれど、この街の日常は、いつだってほんの少しだけ非日常の上に成り立っている。
「異能体験セミナーです! 君も明日から異能者! 便利な社会を築きませんか! なんと今なら無料です!」
駅前広場の真ん中で、白衣を着た人物がマイク片手にチラシを配っていた。
人混みの中でもひときわ目立つ、満面の笑顔。
その声に、つばさの足がぴたりと止まる。
手元のクッキーの袋を持ったまま、ちらりとその人物に視線を落とした。
(……これ、大学の中庭で、話してた……)
少しだけ胸の奥がざわついた。
良くない噂は聞いている。
でも、それでも。
異能体験って、ちょっと気になる。
危険なら、その危険性を発信しないと。
つばさの好奇心と警戒心が胸を騒がせる。
スマホを握り直し、白衣の人物の前に歩み出た。
「そのセミナー、私も受けたいです!」
満面の笑みで言い切る。
驚いたように目を瞬かせた白衣の人物に、つばさは得意げにウインクした。
「そちらがよければ、ネットでバズらせますよ! “体験レビュー・異能ver.”ってタイトルで!」
白衣の人物の口元が、ゆっくりと歪む。
「もっちろん、歓迎しますよ! あなたのような方に、ぜひ体験してほしかったんです」
差し出されたチラシを受け取る手に、夏の日差しが反射して眩しかった。
その瞬間、ほんのわずかに空気が冷たくなった気がした。
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