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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第二章 オーバーライド編
33/55

第33話 豚骨スープに浮かぶ陰謀

 ラーメン屋の暖簾が、夏の風にぱたぱたと揺れた。

 冷房の効きが悪く、店内の空気はスープの湯気で満たされている。

 三人が座るカウンターには、湯気と食欲と若干の緊張が漂っていた。


「お、きたきた! 豚骨!」


 御影千尋は両手を合わせ、勢いよく箸を割る。

 その目の輝きは、殺し屋よりも完全にラーメン好きのそれだった。


「うわ、湯気が尊い。これぞ命の汁」


「食レポみたいなこと言うな」


「九重くん、食の感動を共有しようよ。これ、アートだから」


「殺しに来たやつのセリフじゃない」


 言真が呆れ顔で突っ込む横で、澪は黙ってレンゲを握っていた。

 丼から立ち上るスープの香りが、空腹を一気に刺激する。


「うま」


「でしょ! この濃さがいいんだよなー。氷炎みたいでさ」


 スープを啜りながら、千尋がぽつりと言った。

 澪の手がわずかに止まる。


「うん。あれ、映像で見た。すっげー綺麗だったよ。青白い光が街を包んで、炎と氷が混ざって爆ぜるやつ。破壊の美ってやつ? 正直、鳥肌立ったよね」


 無邪気に笑う千尋に、言真の眉がピクリと動く。

 澪はスープの中を見つめたまま、小さく息を吐いた。


「……あれが綺麗? 冗談じゃねぇよ」


「うん?」


「俺、あの中にいたんだよ。綺麗どころか、熱と冷気で息もできなくて、誰かの悲鳴がずっと響いてんだ」


 店内の喧噪が一瞬だけ遠のく。

 湯気の向こうで、澪の表情は影を落としていた。


「俺さ、ただ普通に生きたいだけなんだよ。働いて、飯食って、寝て。それだけでよかったのに、気づいたら危険指定とか言われて、生きてるだけで誰かに監視されるんだぞ」


 箸を置く音が静かに響く。

 千尋は、スープを啜る手を止めた。


「あー、そりゃ生きづらいね。澪くん、当事者だもんな。かわいそ」


 何気ない一言だった。

 けれど、湯気の向こうで千尋の目は笑っていなかった。


「俺、やっぱ……殺されそうになっても、生きるために必死で抵抗する。でも、誰かを傷つけたくはないんだ」


 澪の表情は湯気に隠れて見えない。

 それでも、その声には冗談も防衛もなく、真面目さだけが滲んでいた。


「あー、そういうの好き」


 千尋が笑う。

 軽い声音なのに、言葉の芯だけが妙に柔らかい。


「殺さないよ。澪くん、人間くさくて俺、好きだわ。人を傷つけたくないって言いながら狙われてんの、そりゃしんどいよね」


 スープを啜る音が、静かに混ざる。

 その一言に、澪の肩の力がほんの少し抜けた。


 ――この人、本当に敵なのか?


 澪がそんな疑問を胸の奥で反芻した、その瞬間。


「ま、それはそれとしてさ」


 変わらない軽い口調で、千尋の視線が澪に向かう。


「ラーメン伸びるよ?」


 あまりにも唐突で、澪は一拍置いてからむくれた顔をした。


「もっと早く言えよ!」


 慌てて麺を啜る。

 勢いよく音を立てながら、食わないと死ぬと言わんばかりに箸を動かす。


 その様子を、千尋は楽しそうに眺めていた。

 スープをひと口啜り、にやりと笑う。


「ははっ、おもしれー。澪くん、飯友にならね?」


「は? お前殺し屋だろ!」


「まぁ仕事は仕事。飯は飯」


「線引き雑すぎだろ!」


 隣で言真が呆れ顔でため息をついた。


「……お前ら、今ラーメン屋の中で何の交渉してんの」


 湯気が立ちこめるテーブル越しに、千尋の顔がふっとほころぶ。

 その笑顔に、どこか得体の知れない暖かさが混ざっている。


「俺さ、澪くんのこと守りたくなっちゃった。澪くんが傷つけられないなら、俺が代わりに襲ってきたやつ全部、撃退しちゃうよ?」


 言葉は冗談めいているが、どこか本気が滲む。

 スープの表面が揺れ、澪は一瞬、箸を口から離して目を丸くする。

 その純真な驚きに、言真が眉をひそめる。


「ちょ、ちょっと待て。何言ってんだお前」


「別に本気って言ってるわけじゃねえよ。……多分」


「『多分』じゃ安心できない」


 言真の声には、怒りにも似た緊張が混ざる。

 千尋はそれを鼻で笑い飛ばした。


「九重くん、肩凝りそうな顔してるよ」


 軽く言いながら、湯気の向こうで澪を見つめる。

 その目だけが、冗談ではなかった。


「あと……澪くん、純粋だね。無知な子供みたいで、未完成な感じが堪らない」


 ぞくり、と空気が揺れた。

 言真の箸が止まり、澪が小さく身を引く。


「褒めてるのか、馬鹿にしてんのか、どっちだよ」


「褒めてるって。俺、未完成なやつ好きなんだ。伸びしろ感じるし」


 千尋の軽い笑みは消えない。だが、その声色にはいつもの脱力した明るさとは違う、すこしだけ冷たい芯が差した。


「たださ、騙されて不利に立ってほしくないんだよね。『事故に見せかけて処理しろ』って、本部から指示が来てる」


 言葉はさらりと出た。

 周囲の湯気と人声は相変わらずだが、三人の世界だけが一瞬、凍りついたように静まる。


 言真の箸が止まる。

 顔に怒りと焦りがにじみ、視線が千尋へ向く。

 澪は目を丸くして麺を半分すすったまま動けず、スープの湯気の向こうで小さく震えた。


「――本当か」


 言真の声は低い。

 襟元に刃物があるかのような緊張感が、言葉になって漏れ出す。


 千尋は箸を置き、ふと真面目な表情を浮かべる。

 軽薄な笑みを崩さないまま、しかし言葉はいつになく真剣だ。


「本当だよ。『表向き事故、現場処理で』って。言い方は色々だが、要するに“始末しろ”ってことさ」


 箸を持つ澪の手が止まった。

 だが、怯えるよりも先に、眉がぐっと吊り上がる。


「澪くんの処分は、特災観が凍結させたんだけど、上の人たちは納得してないみたいだからね。君のことは一切考えてない。人として見られてるのかも謎」


 ふざけた調子のまま千尋は笑う。

 けれど、その目だけは笑っていなかった。

 無邪気さの奥に、ほんのわずかな殺気が潜んでいる。


「俺には人権ないってこと? 何それ。人の命なんだと思ってんだ……って、あっちぃ!!」


 怒りに合わせるように、澪の髪がぼっ、と燃え上がった。

 瞬間的に立ちのぼる火。

 澪は慣れた手つきでグラスの水を掴み、頭からぶっかける。


「……鎮火」


 じゅう、と小さく音を立てて煙が消える。

 店内の空気が一瞬固まり、隣の席の客が小声でざわついた。


「やべぇ! 澪くん、怒ると物理的に燃えるタイプだったんだ! さっすが〜」


 千尋が爆笑しながら拍手する。

 言真はこめかみを押さえ、深くため息をついた。


「店燃やしそうなのに笑うな。……水、もう一杯もらえますか」


 店員が震えながら差し出すグラス。

 澪はそれを受け取り、黙ってちびちび飲みながらぼそりと呟く。


「……俺、異能制御できるようになったって思ってたのに」


「いや、十分制御できてるよ。頭だけで済んでるし」


「フォローが雑すぎる!」


 千尋の無責任な笑い声と、澪のツッコミが響く。

 湯気と笑い声に包まれたその空間だけが、外の世界より少しだけ平和だった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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