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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第二章 オーバーライド編
31/55

第31話 凍る決定、溶ける夜

 因課・本部。

 会議室では、紙を捲る音が響く。


「……通達入りました。特災観、正式決定です」


 職員が報告書を掲げる。

 モニターには、太字の文が映し出されていた。


【特災観・洛陽監察局 通達】

 綾瀬澪に関する処分決定を凍結。

 九重言真の監察下における一時保護を承認する。


 その文面を読んだ瞬間、水島詩は無意識に息を吐いていた。

 眼鏡の奥で光が揺れる。

 机の上には未処理の報告書。冷めたコーヒー。そして緊急対応の通達書が散らばっている。


「……凍結、か。……よかった……」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと零れた声。

 隣の席の職員が眉を上げた。


「水島さん、そんなに心配だったんですか?」


「うん。……処分なんて、冗談でも口にしていい話じゃない」


「でも、上は納得してないですよ」


 同僚が囁く。


「“現場の情に流されすぎだ”って」


 詩は、くすっと笑う。


「情がなきゃ、誰も人を救えないのに?」


 静かな言葉。

 その一言に、周囲の数名が小さく目を見開いた。


 彼はモニターを見つめながら続けた。


「僕らは殺人集団じゃない。管理は守ること。市民もだけど、当事者も。切り捨てたら終わってしまう」


 机の上のコーヒーを取り、冷めきったそれを一気に飲み干す。

 苦味が舌に残る。


「九重さんがついてるなら、僕は信じる」


 その言葉に、周囲の空気が少し和らぐ。

 誰かが小さく笑い、誰かが溜息をついた。

 ひとりの若手がモニターの表示を切り替える。


「正式文書、全局に回しました。……“監察継続”で確定です」


「ありがとう。……定時も近いし、今日はゆっくり休んで」


 立ち上がる詩のその横顔には、安堵とほんの少しの疲労が滲んでいた。


 窓の外では、夕陽が街の端に沈みかけていた。

 遠くの蝉の声が、静かに遠ざかっていく。


***


 日が暮れて、アパートに辿り着いた澪は口を尖らせた。

 テーブルには、ホットプレート。

 その脇には、スーパーの袋に入ってる大量の肉と野菜。


「焼肉って店じゃないのかよ」


 不服そうに澪が睨むと言真は苦笑いを浮かべる。


「お前の飯を全部外食に使ったら、俺の財布が軽くなるでしょ。いいじゃん、たまには」


「いいけどさぁ……」


「澪の希望通り食べ放題。制限時間は肉が尽きるまで」


 澪はじとりと目を細め、ホットプレートの上でじゅうじゅうと音を立て始めた肉を見つめた。

 煙とタレの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっていく。


「……なんか、思ってた焼肉と違うんだよなぁ」

「家焼肉は立派な文化だよ。文明の味」


 言真はトングを器用に動かしながら、肉をひっくり返す。

 油が弾け、光を反射して一瞬きらめいた。


「文明って……煙で部屋曇ってんじゃん」


「味が良けりゃ問題ない。肉焼けるまでに倒れないようにね」


「もう倒れそう……」


 澪はぐでんとテーブルに突っ伏した。

 ことりと白米の乗った茶碗が目の前に置かれる。


「焼けるまで食べな。米はいくらでもあるから」


 がばりと起き上がり、澪は目を輝かせる。


「いただきます!」

「はい、召し上がれ」


 勢いよく箸を握りしめ、澪は白米をかき込んだ。

 炊きたての湯気が鼻先をくすぐり、甘い香りが広がる。


「……うまっ。米って……こんなにうまかったっけ……!」


「はは、数日食べてない人の感想みたいだねぇ」


「いや、でもこれは別格だよ。米の粒が生きてる」


「……ポエムかな?」


 言真が笑いながら肉をひっくり返す。

 油がじゅっと弾け、香ばしい煙が立ちのぼる。

 澪の腹が、タイミングよくぐぅと鳴った。


「よく鳴る腹だね。コンサートにでも出る?」


「お前の肉の音のせいだろ!」


「なら責任取って食わせてやらないと」


 トングで掴んだばかりの肉を、白い皿に置く。

 表面はこんがり、端は少し焦げ目がついていて、匂いだけで胃が鳴る。


「お、いい焼き色!」

「焦げる前にどうぞ」

「やった!」


 澪は白米に肉を乗せ、一気に頬張る。

 肉汁が米に染み、口の中で熱と甘みが混ざる。


「……幸せって、こういうことかもしれない」


「そんな悟り顔で言わないで」


「いや、マジで。生きてる実感する……」


 箸を止めずに次の肉へ伸ばす澪を、言真は横目で見ながら小さく笑った。

 その笑みには、どこか安心と、ほんの少しの疲れが混じっている。


「ほら、食べ放題だって言ったでしょ。食べろ」


「上等だね。じゃあ今日は死ぬまで食う」


「生きて」


 ホットプレートの音がまた弾ける。

 夜のアパートに、ふたり分の笑い声と煙が満ちていった。


***


 因課・洛陽支部、情報管理室。

 夜の庁舎に、冷房の低い唸りとキーボードの音だけが響いていた。


 日菜はモニターを前に、頭を掻きながら項垂れる。

 隣のマグカップは、すっかり冷めたコーヒーの匂いしかしない。


「澪くん、問題児すぎるよ……」


 ぼやきながら、端末に映るデータをスクロールする。

 七年間の昏睡、学業の欠落、バイト経歴、異能の発現履歴。

 画面いっぱいに並ぶ数字と記録を見つめながら、日菜は頭を掻いた。


「七年寝てたから仕方ないけど……学力ゼロ、社会常識も微妙。精神年齢は小学生。感情豊かっていうより、もう全身で生きてる感じだもんなぁ……」


 苦笑して、カップのコーヒーをひと口。

 冷めきった苦味に顔をしかめる。


「それでも、よくバンバン暴発しなかったよね。澪くんみたいな子なんて、普通なら一日で施設吹っ飛ばしてるよ」


 独り言のように呟き、モニターを切り替える。

 画面上には、新しく登録された通達文書の番号が点滅していた。


【特災観 洛陽監察局決裁/因課本部通達】

【件名:綾瀬 澪 処分凍結・経過観察指示】


「ひとまず、特災観がまともで助かった。処分にならなかったのは大きいけど……本部のお偉いさん、怖いなぁ」


 ぽつりと漏らした言葉が、静かな室内に溶ける。

 日菜は画面から視線を離し、天井を仰いだ。


「ま、澪くんが死ななくて済むならそれでいいや。あの子、普通に生きたいだけだしね。脅威どころか、まだ子供だよ」


 書類の端に小さく付箋を貼り、端末の電源を落とす。

 薄暗くなった室内に、蛍光灯の残光が滲んでいた。


「……こっちも、もう少しだけ息ができる。完全に安心ではないけど、ひとまずは」


 呟きながら立ち上がり、カップを片手に扉の方へ向かう。

 廊下の向こうには、夜の街の光。

 夏の風がほんの少しだけ流れ込み、書類の端を揺らした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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