第24話 面会の午後
夕方。因課の収容施設。
面会用の観察室に通された結衣は、落ち着かない様子で椅子に座っていた。
ガラス越しには監視職員が数名控えており、視線が突き刺さる。
「緊張してる?」
横に座る梢が問いかける。
「……少しだけ。でも、聞きたいことがあるんです」
「綾瀬くんは今、リハビリの最中だから。余計な刺激にならないようにね」
梢の声は柔らかいが、その奥に釘を刺すような響きがある。
結衣はこくりと頷き、手のひらを膝の上でそっと握りしめた。
ほどなくして、扉がガチャリと開く。
勢いよく飛び込んできた澪が、両腕を広げながら叫んだ。
「あー、疲れた! マジで腹減るわ、これ!!」
後ろからついてきた言真が苦笑しながら声をかける。
「今夜はご飯大盛りにして持ってくるよ。ほら、お客さん」
「は? って、結衣さん!!?」
澪はガラス窓の方へばっと駆け寄り、ぴたりと張り付いた。
目を丸くして、息を荒くする。
「え、え、えっ! 何で結衣さんが? 幻覚? ご褒美? 俺死ぬ!?」
「死なない死なない」
言真は澪の肩を軽く押して、椅子に座らせた。
「はい、落ち着け。ちゃんと向き合って話そうな」
澪はまだ混乱しているのか、ちらちらと結衣と梢を交互に見ながら、ようやく椅子に腰を下ろした。
「……えっと、幻覚じゃない?」
澪は、結衣を凝視する。
「幻覚じゃありません」
結衣は落ち着いた声で答えた。
表情はほとんど動かない。
「結衣さんが何で此処に……」
澪の声は震えていたが、結衣はあくまで淡々としていた。
「綾瀬さん。八年前と今回の氷炎について、確かめたいことがあります」
場の空気が一瞬で変わる。
澪はきょとんとした顔で、目をぱちぱちさせた。
「え、あ……俺? 今、ここで?」
「はい。あなたに聞かなければ分からないことです」
結衣の声音に迷いはなかった。
言真が澪の肩を軽く叩き、落ち着かせようと穏やかな声色を向ける。
「落ち着け。大丈夫だから」
澪は、顔に影を落としながらも小さく頷いた。
「……俺、八年前も今回も暴走して、人傷つけて……。で、その異能の名前がオーバーライド。異能を無効化して、吸って、混ぜるやばいやつ。職輪転化は、その日常モード」
俯きながら自嘲気味に言葉を紡ぐ澪。
結衣は僅かに瞬きをしてから、迷いなく問いかけた。
「八年前、あなたが吸った異能のこと、覚えていますか?」
「へ? 覚えてるかって、どういうこと?」
澪は思わず顔を上げる。
「当時、近くにいた異能者が力を吸われて、そのまま異能を失ったと言っていました。今回も、同じように炎や氷を扱えた。つまり、あなたが誰かの異能を記録したのではと」
結衣の声は淡々としていたが、その内容は澪の胸をざわつかせた。
「……え、俺が奪ったってこと? いやいや、そんな自覚ないぞ」
両手をぶんぶん振って否定する澪。だがその目には困惑の色が浮かぶ。
「俺、誰かの能力パクったとか、マジで覚えてないんだけど……!」
声は強がり半分、本音半分。
沈んだ暗さよりも、理解できないことへの戸惑いが前に出ていた。
その様子に、言真が腕を組んで口を開いた。
「それが記録型の厄介なところなんだよね」
「厄介?」
澪が眉をひそめると、言真は淡々と説明を続けた。
「普通の異能は、自覚して使うから残るんだ。けど、お前の場合は違う。オーバーライドは他人の異能を吸って混ぜると同時に、そのまま記録する。無意識のうちに、だ」
「無意識に……?」
「ああ。だからお前本人に自覚がなくても、一度吸った異能は残ってる。八年前の炎と氷を、今回も使えたのはそのせいだ」
澪は口を開けたまま固まった。
「……え、じゃあ俺、知らんうちにデータ増やしてるってこと? スマホのストレージかよ……」
「イメージ的には近いかもな。ただし容量オーバーしたら暴発する。だから今の訓練は容量管理も兼ねてる」
結衣は静かに頷いた。
「……やはり。あなたの中には、八年前の氷炎が今も生きているんですね」
澪は頭を抱えながら、呻くように言った。
「バグじゃん、マジで俺の異能。……誰が得すんだよ、こんなの」
澪は、膝の上で拳を握った。
「……八年前に異能を吸われた人たち、俺のこと恨んでるかな。お礼参りとかきたらどうしよ」
ぽつりと零れた声は、思った以上に弱かった。
言真は答えを探すように視線を伏せかけたが、それより早く結衣が口を開いた。
「恨んでなんかいません」
きっぱりと、迷いのない声。
澪は驚いて顔を上げた。結衣はまっすぐ澪を見据えていた。
「寧ろ心配していました。『あの子の身体は大丈夫か』って」
「心配って……俺を?」
「ええ。異能を失っても不便じゃないし気にしていない、と。あなたを恨む理由なんて、どこにもありません」
きっぱりとした口調に、澪の胸の奥がじんわりと温まる。
澪の肩から力が抜けて安堵の息が漏れる。
「うわ、よかったー!!」
澪はガクッと背もたれに沈み込み、バタリと頭をのけぞらせる。
「あーもう、町で会ったらボコられるのかと……! 石投げられるとか、釘バットで顔面ボコボコとか……!」
大げさに胸を押さえて息を吐く姿に、張り詰めていた空気が一気にゆるんだ。
「……結衣ちゃん、これを伝えたかったのね」
梢が呆れ半分で小さく笑う。
「気になっただけです。……でも」
結衣は無表情のまま、しかしじっと澪を見据える。
その瞳にはわずかな心配が滲んでいた。
「……綾瀬さん、大丈夫ですか」
結衣の声音はいつもと変わらず淡々としていた。
「えっ、今の心配!? 俺、結衣さんに心配された!? 本当に!?」
澪は勢いよく身を乗り出し、嬉しそうに顔を輝かせる。
「……ただの確認です」
「確認でもいい!! 認知されてる! 俺、生きててよかった……!」
澪は勝手に感極まった様子で燥ぎだすが、言真に再び椅子に座らせられる。
「はい、落ち着こうね」
その言葉に被せるように、梢が眉間を押さえて溜め息を吐く。
「元気すぎて逆に心配になるわ」
場の緊張は解け、気づけばただのやり取りに変わっていた。
澪だけが「俺は今、最高に元気だから!」と胸を張っている。
「綾瀬さんは、この施設にずっといるんですか」
結衣の問いに、澪の表情が一瞬固まるが、ふっと小さく笑った。
「うん。コントロール出来るように訓練しないと、また爆発するし」
「訓練……ですか」
結衣は口元に指を添え、少し考えるように視線を伏せる。
やがて顔を上げ、梢にまっすぐ向き直った。
「滝口さん。私もここで訓練してもいいですか?」
「……ん? 結衣ちゃん、壊れちゃった?」
「いえ、正常です」
梢は思わず目を瞬かせる。
「ここは収容施設よ? 綾瀬くんみたいにコントロールできない子が……」
そこまで言って、ふと口を噤んだ。
結衣もまた、鋼腕を完全に制御できず物損を繰り返している。
その後始末をしているのは、他ならぬ梢だった。
「……ありかもしれないわね。訓練して結衣ちゃんの物損が減れば、私も定時で帰れるし」
さらりと本音を言う梢に、言真が苦笑を漏らした。
「本人の前で本音ダダ漏れっすよー、梢さん」
場の空気がふっと緩む。
澪は半ば呆れ顔で、結衣は変わらず真顔。
結局、いちばん取り繕えていないのは梢だった。
軽口が飛び交ったあとも、空気はどこか柔らかかった。
収容施設という堅苦しい場所でさえ、四人のやりとりは日常の匂いをほんの少し運んでくる。
「……まぁ、せっかくだし一緒にやればいいんじゃない?」
言真がさらりと口にすると、結衣はこくりと頷いた。
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしないようにします」
「何かあったら、即報告して。九重くんがいるなら大丈夫だろうけど」
その言葉に言真は「俺っすか」と苦笑いを浮かべた。
「やった! 結衣さんと訓練なら張り切れる!」
澪が目を輝かせた。
結衣と顔を合わせるだけで大喜びの澪がこの話に食いつかないわけがないのだ
呆れながらも、その場にいた誰もが「悪くない雰囲気だ」と感じていた。
訓練はまだ始まったばかり。
それぞれが不安や課題を抱えながらも、同じ場所で向き合おうとしている。
そうして、収容施設の白い部屋に小さな笑い声が残った。
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