第23話 奪われた異能、残された想い
ガラス越しの取調室。
拘束された白衣の男は、俯いたまま目を泳がせていた。
「で、綾瀬澪を狙った理由は?」
皆上遼が低い声で問いかける。
男は深くため息をつき、諦め混じりに吐き出した。
「氷炎の再現が出来たら、データが取れる。異能薬の複製にも役立つ筈だ」
「異能薬?」
遼が眉をひそめる。
研究員は椅子の背もたれに体を預け、薄笑いを浮かべた。
「一般人も異能を使える異能文化を作る。選ばれたものだけの特権じゃない。誰だって異能を持てる社会だ。今や人が能動的に異能を手に入れる。夢見ている人は多いだろう? “自分も異能を使いたい”って。僕らはその後押しをするだけだ」
言葉の端々に高揚が混じる。
だが遼は眼鏡をクイッと上げ、淡々と返した。
「その理想のために、一人の少年を実験台にしたわけか」
研究員は口角を吊り上げる。
「綾瀬澪は、氷炎の子だ。衝動型と記録型の二つを持つ。これ以上の被験体はないだろう?」
取調室の空気が重く沈む。
沈黙を破ったのは、拘束された研究員の歪んだ笑みだった。
「別に氷炎を再現できなくても構わない。綾瀬澪の存在そのものが、研究の証明なんだ」
眉を寄せた遼が、目を細める。
「異能は生まれ持った才能でも、血統でもない。外部から上書きできる。彼がそれを体現している。奪い、混ぜ、再現する……オーバーライドは進化の鍵だ」
研究員の声は熱を帯び、両手の鎖を揺らす。
「異能薬が完成すれば、誰でも異能を持てる! 街の子供だって、老人だって、因課の人間だってね!」
遼は眼鏡を押し上げ、冷ややかに言い放つ。
「力をばら撒いて管理を崩壊させる。結局は混乱と暴走しか生まない。……それで救われる命があるとでも?」
「混乱こそ進化の始まりだよ!」
研究員の叫びは、取調室の壁に反響した。
「どうしてそれを言った? 黙秘もせずペラペラと」
「え? 話したかったから」
男は軽い調子で頭を掻いた。
「いやー、言ってみたかったんだよね。こういうサイコパスな研究員って感じのやつ。あ、研究員ではあるんだけど」
フランクな口調で男は白衣の袖口を弄る。
飄々とした態度だが、目の奥には異様な熱が宿っていた。
「やっぱり異能って便利だからさ。異能薬は、使いたい人に渡してるだけ。押し付けとかはしてないよ。選ぶのは彼らだし」
「選ぶ……?」
遼が低く問い返す。
「そう。力を欲しいと願うのは、人間の本能だろ? 誰だって一度は考えるんだ。もし自分に異能があったらって」
男は肩をすくめて、口角を上げる。
「だから、僕らは夢を叶えてあげてるだけ。その結果、ちょっと壊れる奴が出ても、それは自己責任さ」
取調室に得体の知れない冷気が走る。
遼は。鋭く男を見据えた。
「……自己責任で済ませるつもりか。街を巻き込む暴走も、夢を叶えた副作用と言うのか?」
男は答えず、にやりと笑うだけだった。
***
先日の澪のオーバーライドは、幸い死者も重傷者も出なかった。
だが、ラボ周辺は建物が倒壊し、地面は割れ、電柱も折れ曲がっている。
結衣は、その瓦礫撤去作業に加わっていた。
鉄骨を担ぎ、コンクリートを押しのけるたび、彼女の鋼腕は頼もしく輝く。
壊して困ることはあっても、こうして壊せて助かる場面は少ない。
「結衣ちゃん、ありがとう。来てくれて」
声をかけたのは、担当官の梢だった。
普段はデスクワークの多い彼女も、この日は腕まくりをして現場に立っている。
格闘技経験のある梢は、非力ではないが鉄骨相手ではやはり分が悪い。
「いえ。私の異能がお役に立てること、中々ありませんから」
結衣は淡々と答えながらも、瓦礫を軽々と動かす手を止めなかった。
そのとき、近くで一緒に作業していた三十前後の男たちがぼそぼそと会話を交わした。
「まるで八年前みたいだな〜」
「あの時のガキかな、やったの」
鉄骨をどけながら、彼らは眉をひそめる。
「氷炎の夜、再来? ……俺らの異能混ぜると、ああなるんだな」
ぞっとするような言葉。
結衣は手にしていた瓦礫を持ったまま、音を立てて男たちの前へ歩み寄った。
「……あの。今の話、聞かせてもらえませんか」
真剣な声に、男たちはびくりと肩を跳ねさせる。
結衣が片手で抱えている瓦礫の塊は、人ひとり分は優にある大きさ。
視線を奪われた一人が、思わず指を差した。
「え、君……それ重くない?」
結衣はきょとんと首を傾げ、瓦礫を少し持ち上げて見せる。
「それ、とは?」
彼女にとってはただの瓦礫。
だが周囲にとっては、常識外れの重量物を軽々と扱う少女でしかなかった。
「う、うん。大丈夫ならいいや。で、何が聞きたいって?」
男の一人がおずおずと問い返す。
結衣は瓦礫を下ろさず、まっすぐに見据えた。
「八年前と……今回のこと。それから異能が混ざったって、どういう意味ですか」
「ああ、うん。八年前、一部地域がぶっ壊れた氷炎の夜な」
「俺たち、たまたま近くにいたんだよ。そしたら、何か吸い取られる感じがしてさ」
もう一人が肩を竦めて続ける。
「そうそう。身体が急に重くなったと思ったら、現場にいたガキが俺らの異能を混ぜたみたいな暴走起こしてて」
結衣は眉をひそめ、耳を澄ます。
「そっから俺ら、異能が使えなくなったんだよな」
「異能吸って、混ぜる……って、やばくね?」
男たちの声は怯えと興奮の入り混じったものだった。
結衣の胸の奥に、冷たいものが落ちていく。
(異能を吸って、混ぜる? そんなことが……)
胸の奥にざわめきを覚えながら、結衣はさらに問いかけた。
「……異能が使えなくなったって、今でもですか?」
「ああ、そう。俺らもう超一般人」
「異能なくても生活に不便はないし、別に気にしてないけどさ」
男たちは苦笑しながら肩を竦める。
「ただ……異能を吸い取ったあの子、身体の方は大丈夫なのかなって。ずっと心配してたんだ」
「あんな小さい身体で大人二人分の異能吸い取ったんだ。負担もでかいんじゃないかなって」
結衣は小さく息を呑んだ。
その言葉は、胸のざわめきをさらに強くするのだった。
「ありがとうございます。……作業中に、すみません」
「いやいや、こっちも喋りながらやってたからさ」
「お互い頑張ろうね」
男たちが軽く手を振る。
結衣は深く会釈を返し、その足で梢のもとへ戻った。
「滝口さん。……綾瀬さんって、今どこにいるんですか? 最近、姿を見ませんが」
問いかけに、梢はすぐには答えなかった。
だが、結衣の真っ直ぐな視線に押され、やがて小さくため息をつく。
「因課の管理施設で、元気にしてるわ」
「管理施設……? どうしてそんな場所に」
「色々あるのよ。……今は落ち着いてると思うけど。どうする?」
結衣は拳を握りしめ、ためらわずに答えた。
「……面会を希望します」
その眼差しの強さに、梢は眉を顰める。
「何をそんなに熱くさせてるのかは分からないけど、行くなら私が付き添うわ。ただ、その前に」
梢の視線が、結衣の脇に抱えられた瓦礫へと向けられる。
粉塵がパラパラとこぼれ落ちた。
「――それ、置いていきなさい」
はっと気付いた結衣は、瓦礫を集めていた場所へ置く。
置いた場所の瓦礫の山が沈む音がした。
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