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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第二章 オーバーライド編
22/29

第22話 牛丼プロトコル

 因課、洛陽支部の会議室。

 資料とコーヒーの匂いが混ざる中、プロジェクターには事件の映像が映し出されていた。


 赤と青と黒の嵐、街を呑み込む氷炎。

 そして、その中心にいたのは――綾瀬澪。


「……まぁ、派手にやらかしたねぇ」


 皆上遼が苦笑交じりに漏らす。

 眼鏡を押し上げる仕草は真面目だが、口調は肩の力が抜けている。

 外見は二十代後半だが、不老の異能を持つ彼は四十を過ぎても変わらぬ若さを保っていた。


「八年前の再来、なんて言われても仕方ない。でもさ」


 指先で紙コップを転がしながら、遼は言葉を続ける。


「今回は薬物と記憶刺激。本人が望んで暴れたわけじゃない。処分だの危険人物だの、軽々しく言うのは筋違いだと思うんだよ」


 職員たちは頷き合う。

 別の若手が遠慮がちに口を挟む。


「ただ……都市規模の被害を出しかけたのも事実です。二度目はもう、言い訳できません」


「そりゃそうだ」


 遼はあっさりと認め、両手を広げて見せた。


「だからこそ、保護するんだよ。放っといて暴発させたら誰も得しない。だったら僕らで囲って、ちゃんとケアしてやる方が現実的だろ」


 年配の女性職員が微笑みながら頷く。


「同感です。彼はただ普通に暮らしたい子ですものね」


「そういうこと」


 遼はプロジェクターの映像を消し、場を見回した。


「処分は最終手段。経過観察と制御支援を優先。これが洛陽支部の方針ってことで、いいね?」


 会議室に安堵の空気が広がる。


「上からなんか言われたら、僕が責任取るから、安心して業務に取り掛かろうね」


 誰も処分を望んではいない。

 ただ一人の少年をどう守るか、その答えが、因課の総意だった。


***


 午前中。

 訓練室の中央、澪はぎこちなく右手を前に突き出す。

 対面する職員が火花を散らすと、空気がビリ、と震えた。


「――止まれッ」


 声と同時に、職員の異能がぷつりと途切れる。


「おおっ、成功!」


 ガラス越しに日菜が両手を叩いて跳ね上がりそうなほど喜ぶ。


「すごいじゃん澪くん! 今の“無効化”はバッチリ!」


 澪は肩で息をしながらも、口元を引きつらせた。


「……マジで? 俺、ほんとに出来た?」


「できたできた! ね、言真さんも見てたでしょー!」


 日菜がガラスの外を指差す。

 言真は腕を組んだまま、小さく頷いてみせた。


(……俺でも、やれるじゃん……!)


 胸の奥で熱が弾ける。

 けれど次の瞬間、視界に赤と青の残光がチラついた。


「っ……!」


 握った拳が熱を帯び、背筋を凍らせる冷気が這い上がる。


「澪くん!? そのまま深呼吸して! 落ち着いて!」


 日菜の声がスピーカーから響く。


「だ、駄目だ……また……!」


 澪の手のひらから炎と氷の気配が同時に噴き出す。

 床のパネルが軋み、訓練室全体が震え始める。


「澪ッ!」


 ドアを乱暴に開け、言真が飛び込んだ。

 炎の熱波と氷の刃が入り混じる訓練室。

 職員たちが息を呑む中、言真は叫ぶ。


「――昼飯は、牛丼だ!!」


 その一言に、渦巻いていた熱と冷気がぴたりと止まった。

 赤と青に染まった空気が霧のように消えていく。


「……牛丼マジ?」


 しん、と室内が静まり返る。


「ああ、そうだ。つゆだくびちゃびちゃの牛丼だ」


「やったー!!」


 澪がキラキラした目で叫ぶと、オーバーライドの気配は跡形もなく消え去っていた。

 職員も唖然と立ち尽くし、日菜がガラス越しに頭を抱える。


「……何この治め方」


 呆れる声の中、言真だけは小さく笑った。


「やっぱり、お前は飯で全部解決するんだな」


***


 昼食の時間。

 言真はトレイを持って澪の収容部屋へ入ってきた。牛丼定食が二人分。


「はい。澪のは、つゆだくびちゃびちゃ」


 箸とレンゲを添えると、澪は子供みたいに目を輝かせた。


「お、待ってた!」


 勢いよく「いただきます!」と手を合わせ、そのまま丼ごとかっ込む。


「……本当に食いしん坊だねぇ」


「飯は世界を救うって言ってんだろ」


「世界はどうか分からないけど、命くらいは救えるかもね」


 軽口を叩き合う空気は一見日常的だが、漂う消毒液の匂いと監視カメラの視線が“ここ”が収容施設だと突きつける。


 箸を動かす言真の丼は、紅生姜が山のように積まれていた。


「紅生姜、多くね?」


「かさ増しにいいからね」


 紅生姜に埋もれた丼は、もはや肉が隠れて紅生姜丼になっている。

 その滑稽さに一瞬笑いかけた澪だったが、ふいに視線を落とした。


「……外って、どうなってんの? 俺、あの時……ぶっ壊したじゃん」


 空気が一瞬だけ重くなる。

 言真は箸を止め、真剣な目で澪を見た。


「死者ゼロ。あれだけのことをして、今回も八年前も死者を出さなかった。それは、お前の中の衝動がそれを許さなかったのかもしれない」


 澪はレンゲを握ったまま黙り込む。

 言真の言葉が、じわじわと頭の奥で反芻された。


「……衝動、か」


 低く呟く声に、言真が頷く。


「八年前も今回も、人だけは不思議なくらい避けてた。建物は壊れても、進路は空いてた」


「……確かに、道が開いてた」


 思い出す。

 赤と青の渦の中で、確かに“誰も傷つけない”道が開けていた感覚。


「それが初期反応だ。守りたいって衝動が先に出る。でも出力が上がると器ごと割れる。ラボの天井まで抜いたみたいにな」


「……だから制御」


 澪は眉をひそめ、レンゲの柄を指でカチカチと鳴らす。


「そう。二段階に行く前に止める。そのためにアンカーを作る」


 言真は静かに指を立てた。


「合図、感覚、呼吸。俺が、“昼飯は牛丼だ!”って叫んだら止まったろ」


「効いたね。脳が米を優先してた」


 澪は苦笑しつつ、紅生姜をつまんで鼻先に近づける。

 つんとした匂いに、小さく息が抜けた。


「……確かに、ちょっと落ち着いた」


「だろ? こういう戻れる合図を作っていくのが訓練の第一歩だ」


 言真が肩をすくめると、澪はふっと視線を逸らす。


「名付けるなら“牛丼プロトコル”とか」


「だっさ…….。でも、覚えやすい」


 二人は同時に吹き出し、短い笑いで張り詰めた空気がほどける。

 笑いが収まると、言真の顔は再び真剣なものに戻っていた。


「……ただ、もう一つ。オーバーライドには副作用がある」


 その声の調子に、澪の背筋が強張る。


「副作用?」


「フルで使った後、必ず二十四時間“脳とろ”状態になる。思考も判断も人間以下。バイト中に発動すれば即アウト。今までの脳とろは三十分程度だったけど、オーバーライドは二十四時間固定」


 澪は顔を引きつらせ、頭を抱え込む。


「……マジかよ。俺の脳、ただでさえ容量少ないのに」


 情けない声に、言真は苦笑しながらも視線を逸らさない。


「だからコントロールだけじゃなく、使うタイミングも重要。暴走を防ぐ仕組みと、終わった後に安全に過ごせる環境。両方整えないとね」


「……なるほど。つまり牛丼とベッドのセットか」


「そういうこと」


 澪は長く息を吐き、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「飯と睡眠で世界を救うってか」


「悪くないじゃん。澪らしくて」


 軽口を交わした直後、言真は少し真顔に戻った。


「……で、もう一つ。お前のオーバーライドが厄介なのは、“衝動型”と“記録型”を両方持ってることだ」


「は?」


「普通の異能は大体どっちかに偏る。感情や反射で暴発する“衝動型”か、一度覚えた動きを再現したり力を蓄積する“記録型”か。でもお前は両方フルで走らせてる」


 言真は指を折りながら言う。


「感情で爆発的に発動する。これが衝動型。で、その瞬間に他人の異能を吸って保存する。これが記録型。同時処理だから、脳にかかる負荷は倍どころじゃない」


「……だから、脳とろ二十四時間固定?」


「そういうこと。起動するたびに頭を焼かれてるようなもんだし、二十四時間で済むのが救いなくらい」


 澪は丼を抱え直し、苦い顔をした。


「チート異能ってより、バグ異能じゃん」


「だから、なるべく使わないほうがいい」


「じゃあ、職輪転化も?」


 沈黙が訪れる。


「……ん?」


「いや、職輪転化もなるべく抑えた方がいい? でも、バイトやりたいしな……。異能二つあるのって面倒だよな」


 更に沈黙。

 言真は、ため息ひとつ吐いた。


「お前、ちょっと勘違いしてるみたいだから教えとくよ」


「何が?」


 言真は腕を組み、わざと間を置いてから口を開いた。


「……澪。お前、二つ持ちじゃないよ」


「は?」


「職輪転化もオーバーライドも、根っこは一緒なんだ。枝分かれしてるだけで、元は一つの異能」


 澪は目を瞬かせる。


「どゆこと? 俺、てっきりレアケースの二刀流かと」


「違う。オーバーライドが“本体”。職輪転化はその“日常用モード”みたいなもんだ」


「……え、日常用?」


「そう。お前の衝動は“人を傷つけたくない”。それが無意識に働いて、オーバーライドを暴走させないために作られた安全回路が職輪転化。バイトで能力を切り替えるのも、記録型の変形みたいなもんだ」


 澪はぽかんと口を開け、頭を抱えた。


「……じゃあ俺、バイト異能で無邪気にドヤってたの、完全に保護者の子供用ナイフ握ってただけってこと!?」


「そういう言い方も出来る」


「はぁぁぁぁ!? チートだと思ったらバグだし! バグだと思ったら今度は幼児用モード!? 俺のアイデンティティどこだよ!」


 頭を抱えて喚く澪に、言真は苦笑しつつも真顔に戻る。


「でもな、日常を守るために職輪転化があるのは事実だ。だから俺は、その安全装置をもっと強化する。オーバーライドが“核”なら、職輪転化は“外殻”だ。二つ揃えば……お前は人を守りながら生きられる」


 澪は口を尖らせて睨みながらも、ほんの少しだけ息を吐き、呟いた。


「……最初から言えよな、そういう大事なこと」


「悪い。でも、今言えてよかっただろ」


「……牛丼プロトコルなかったら許してなかった」


「はいはい」


 澪は、ふっと力が抜けたように肩を落とす。


「……結局さ。俺、オーバーライドでも職輪転化でも、どっちでも普通に生きたいだけなんだよな」


 声は弱々しかったが、その奥に確かな願いがあった。

 言真は静かに頷き、真っ直ぐに見つめ返す。


「だから支える。お前が日常を取り戻すまで、何度でも」


 その真剣さに、澪は思わず視線を逸らした。

 それでも口元には、わずかな苦笑が浮かんでいる。


「……牛丼プロトコルと、バイト代プロトコルがあれば……なんとかなるかもな」


「お前は本当に、それでいいんだな」


「いいんだよ。飯とバイトがある世界なら、俺は生きていける」


 短い沈黙のあと、二人は同時に笑った。

 張りつめていた空気が、ようやくほどける。


 ――澪にとっての“普通”は、まだ遠い。


 けれどそのための道筋は、確かにここから始まっていた。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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