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日替わり異能、24時間後には人間以下  作者: 森鷺 皐月
第一章 日替わり異能編
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第20話 氷炎の記憶

「お兄ちゃんをいじめないで!!」


 澪の叫びと同時に、胸の奥で何かが千切れる音がした。

 熱が走る。けれど同時に、骨まで凍るような冷たさが血管を逆流していく。


「っ……あ、あれ……!?」


 赤い炎と青白い氷が、澪の小さな体から同時に溢れ出した。

 矛盾した力が衝突し、空気が爆ぜる。

 街灯が轟音とともに吹き飛び、アスファルトは瞬時に凍りつく。

 熱と冷気が交互に奔流し、夜空を赤と青に染め上げていった。


「澪!!」


 言真が必死に手を伸ばす。

 けれどその声も、暴走する異能の轟音にかき消される。

 澪自身は状況を理解できていなかった。

 ただ胸の奥が熱く、痛く、悲しくて、必死に叫ぶ。


「違う! どうしよう! ……止まらないっ!」


 その感情に応じるように、炎はさらに燃え盛り、氷はさらに凍てつく。

 やがて矛盾した力は嵐を呼び、建物が倒壊し、人々の悲鳴が夜を裂いた。

 空は赤く燃え上がり、身体の芯は氷のように冷えきる。


「お兄ちゃん、助けて……!」


 切実に伸ばされた小さな手から、赤と青の嵐がさらに吹き荒れていく。

 炎の熱波が肌を焼き、氷の刃が大気を切り裂く。

 近づくだけで皮膚が裂けそうな灼熱と極寒の境界。


「澪!! 大丈夫だ……大丈夫だから!!」


 言真は、躊躇わず踏み込んだ。

 足元のアスファルトは凍結と熱で割れ、爆ぜ、足を裂く。

 けれど一歩も止まらない。

 嵐の中心で、澪は小さな体を震わせて泣いていた。

 涙すら途中で蒸発し、凍り、消えていく。


「一人にしないから……!」


 言真は腕を伸ばす。

 熱に焼かれ、氷に切り裂かれ、それでも少年の腕は止まらない。

 次の瞬間――。

 暴走の奔流を突き破り、震える小さな体を強く抱きしめた。


「澪……! 俺が近くにいる! もういいんだ!!」


 その声は、炎と氷の轟音に呑まれても確かに届いた。

 澪の胸に渦巻いていた悲鳴のような感情が、一瞬だけ揺らぎを見せる。


 ――轟音、閃光、赤と青。


 街は炎と氷の嵐に呑み込まれ、倒壊と悲鳴が夜を裂いた。

 やがてすべてを吐き尽くした澪の体は、糸が切れたように崩れ落ちる。


「澪ッ!!」


 言真が駆け寄り、その小さな体を抱き上げた。

 熱いのに冷たい。呼吸は浅く、意識は完全に途切れている。


「お願いだ……生きてくれ!」


 泣きそうな声で叫びながら、震える手で必死に抱きしめる。


***


 サイレンの音。

 救急車の赤い光が夜を切り裂く。


「搬送急げ! 意識なし!」


「心拍弱い、低体温と熱傷が混在してるぞ!?」


 大人たちの怒号が飛び交い、担架の上で澪はぐったりと横たわっていた。

 酸素マスクを当てられ、点滴の管が差し込まれていく。

 その横で、まだ少年の言真は血のついた手を握り締めて立ち尽くす。

 ただ一つ、必死に繰り返していた。


「澪は……俺の弟だ。だから……」


***


 ――それから、長い昏睡の時間。

 気がつけば七年の時が経過していた。


 目を覚ました時には、澪の頭の中からあの夜の記憶はごっそり抜け落ちていた。

 気付けば病室の天井で、事件の記録も、誰に抱き上げられたのかも、全部霧の中。

 残ったのは「八年前の異能暴発事件」という、他人事のようなニュース記事だけ。

 そして、胸の奥に残る得体の知れないざわめきだった。


***


 数日後。

 病室のドアが開き、ラフな格好の男が入ってきた。


「……初めまして。国家異能者登録・管理課、洛陽支部の九重です」


 穏やかな声。

 澪が彼が浮かべたその表情を見た瞬間、胸の奥がちくりと疼いた。

 どこかで……いや、ずっと前から知っていたような気がする。


「君の異能、“職輪転化”について登録が必要だ。しばらく僕が担当する」


 書類を机に置き、冷静に説明を続ける男。

 その横顔がなぜか妙に懐かしくて、胸がざわざわする。


「……おに……い……」


 そう言いかけて、声は喉の奥でかき消えた。

 言葉にするには確信が持てない。

 彼はただ、因課の担当官として目の前に立っているだけだった。


「澪くん。今は身体を休めて。それから、一緒にやっていけばいい」


 差し出された手を、戸惑いながらも握る。

 その瞬間、澪の心臓は強く跳ねた。

 忘れてしまった記憶が、どこかで繋がっている気がした。


***


 記憶の奔流が胸を焼き、氷で抉る。

 八年前の夜。

 母の罵声、兄の叫び、自分の暴走。

 全部が鮮明に蘇った瞬間、澪の中で何かが弾けた。


「やめろ……やめろ!!」


 椅子ごと吹き飛ばす衝撃。

 金属の拘束具は粉々に砕け、研究員たちの異能が次々と吸い込まれていく。


「な、なんだ……力が抜け……!? 俺の異能が……!」


「異能が……混ざり合ってるぞ……!」


 赤い炎。

 青白い氷。

 黒雲のような嵐。

 相反するはずの力が混ざり合い、天へと突き抜ける巨大な柱となった。

 轟音が街全体を揺らし、窓ガラスが次々と震える。


「……オーバーライド……」


 研究員の誰かが呟く。

 その声は畏怖に濁っていた。


***


 夜の街を、言真は息を切らして走っていた。

 ビルの谷間、雑踏を抜け、ひたすら澪の痕跡を追う。

 位置情報など、もう意味はない。


「……どこだ、澪……!」


 その瞬間だった。

 遠くの空を赤と青と黒が切り裂き、一本の柱が天へ伸びていく。

 視界の端でそれを捉えた瞬間、言真の心臓が凍りついた。

 迷う余地はなかった。

 脚が勝手に動く。


 あの日と同じ光を、もう二度と見過ごすわけにはいかない。


「澪……っ!!」


 言真は、光の柱へ向かって駆け出した。


***


 赤と青と黒の渦が、ラボの天井を突き抜ける。

 轟音が鳴り響き、研究員たちは恐怖に逃げ惑った。


「……もう、無理……!」


 澪は自分の中から溢れ続ける異能に怯え、必死に息を荒げる。


「澪!!」


 瓦礫を飛び越えて駆け込んできた言真が、一直線に抱きしめた。

 炎と氷が腕に突き刺さるように痛み、服ごと皮膚が裂けるが、構わず叫ぶ。


「もう大丈夫だ! 俺がいる!!」


 その声に、澪の瞳が揺れる。


「……こと、ま……?」


 光が少しずつ弱まり、渦が収まっていく。


「澪、落ち着け。大丈夫だから」


「俺……俺、また……」


 ――その時。


「九重さん! 後ろ!」


 因課の現場処理班が飛び込んできた。

 黒服の職員たちが麻酔銃を構え、言真と澪を囲む。


「待て! 今、落ち着いて――」


 言真が制止するより早く、銃声が乾いた音を響かせた。

 澪の肩に麻酔弾が突き刺さる。

 驚いたように澪が息を呑み、崩れかける体を言真が抱きしめ直した。


「……ごめんね」


 班長が声を落とす。


「乱暴に見えただろうけれど、被害を出すわけにはいかなかったんだ」


 もう一人の職員がそっと麻酔弾を抜き取り、タオルで傷口を押さえる。


「心配しないでください。眠っているだけです。痛みも残らないように処置しています」


 優しい手つきに、言真は奥歯を噛みしめた。


「……もっとやり方、あったろ」


「分かっています。ですが、街ごと巻き込むよりは……」


 言い返そうとした言真の胸の中で、澪の小さな寝息がかすかに聞こえた。

 その音に、彼はようやく力を抜いた。


***


 澪が目を覚ましたのは、白一色の無機質な部屋だった。

 壁も床も消毒液の匂いが染みついたような淡い白で、家具は最低限。

 ベッドと小さなテーブル、それに椅子が一脚だけ。

 まるで病室と牢獄を掛け合わせたような空間だった。


「……此処……」


 視線を動かすと、ガラス越しに数人の因課職員がこちらを観察していた。

 ただ、その目は冷たさだけではなく、心配も混じっている。


「気がつきましたか」


 ガラスの横のインターホンが鳴り、落ち着いた女性職員の声が響く。


「ここは因課の管理施設です。安心してください、怪我の処置は済んでいます」


 澪はがばりと上体を起こし、両手を確かめた。

 手首には簡易的な拘束具が装着されている。


「……え? お、俺……捕まった? 犯罪者、ってこと?」


 苦く笑う澪に、職員の声は静かだった。


「未登録異能の複数回の暴走は、本来なら裁かれます。あなたの場合、これが初めてじゃありませんから」


「は……? 未登録……?」


「……今回は“事故”として処理します。あなたが本気で誰かを傷つけようとしたわけではないと、私たちは理解していますから」


「……」


「ただし、暫くは此処で観察させてもらいます。危険性の有無を判断するために」


 言葉は事務的だが、声色には柔らかさがあった。

 罪人として裁くのではなく、暴れる子供を保護するような響き。


 そのとき、部屋の扉が開き、息を切らした言真が入ってきた。

 澪は反射的に顔を逸らす。


「……なんだよ」


 弱々しい拒絶めいた声色。

 だが言真は、足を止めずにベッドの前に立った。


「ごめん。……でも、またお前を見捨てるわけにはいかなかった」


 澪は唇を強く噛み、言真の顔を見ようとしなかった。

 胸の奥では、まだ燃えるような熱と凍りつくような冷気が渦巻いている。

 それは自分のものなのか、薬のせいなのかも分からない。


「……俺、もう普通じゃないんだな」


 小さく吐き出されたその言葉に、言真は何も返せなかった。

 ただ黙って傍らに立ち、澪の震える肩を見つめる。

 ガラス越しの職員たちは一歩も動かず、けれどその表情には確かな哀れみが浮かんでいた。

 無音の天井灯が白々と澪を照らす。

 その光の下、彼の瞳には深い影が落ちていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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