第2話 爆速配達と再会
「ん……」
澪の視界がじわじわとクリアになっていく。
窓から差し込む光と、テレビから流れる笑い声が現実に引き戻してくれた。
テーブルには食べかけのスナック菓子とジュース。
そして隣には、担当職員の九重言真が座っている。
「お、起きた? おはよう、一般人くん」
「……また勝手に入ってきたのか。いっそ合鍵やろうか?」
「あ、くれるの? じゃあ貰っちゃおうかな」
にこっと笑う言真に、澪は目を細めた。
「やるわけないだろ。やるなら、彼女に渡す」
「見込みもないのに?」
「うるさい!」
野生動物のように牙を剥いて威嚇すると、言真は冷蔵庫を指さした。
「お弁当、買ってきたよ」
「……ありがと」
澪は冷蔵庫から弁当とペットボトルのお茶を取り出す。
「おっ、ハンバーグ弁当! やった!」
たちまち機嫌が良くなり、レンジで温め始める。
「溶けた後って腹減るんだよな。もう慣れたけど」
チン、と音が鳴り、弁当をテーブルに置く。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
澪は弁当をかき込みながらスマホを手に取った。
言真が覗き込むと、画面には異能者優遇の日雇い求人アプリ。
「今回はどのバイトにする?」
「んー……比較的お金になりそうなやつ」
もぐもぐと咀嚼しながら画面をスクロールし、ふと手が止まる。
フードデリバリーの仕事。給料もそこそこ良い。
「これにする」
「配達か。移動系の異能が出そうだね。先方に連絡しとくよ」
「……異能者って楽だよな。面接なしで即採用だもんな」
澪は求人票を見ながらぼやいた。
「今の澪くんは一般人だけどね」
「ちゃんと登録してるから異能者だろ」
「はいはい、それそれ」
言真はバッグから書類を取り出した。
「今日の更新。IDカード自体は変わらないけど、役所仕事的に必要でね。君、日替わり異能だから」
「仕方ないだろ。職輪転化ってそういうもんなんだから」
「でも面白いよねー」
そう言って言真は配達バイト先に電話をかけ、澪の異能について簡単に説明する。
数分後、採用はすぐに決まった。
「明日の九時から十七時だって。だからそれまでは一般人モードね」
「はいはい」
澪は弁当をきれいに平らげると、書類に昨日の異能、超力持ちを記入した。
「いっそ紙、うちに置いとく? 毎日変わるし」
「そうしたいけどねぇ。一応、重要書類だから」
「それもそうか」
ふう、と息を吐いて書類を渡す。
言真は確認して頷き、クリアファイルにしまった。
「じゃ、俺は因課に戻るから。何かあったら気軽に連絡よろしくねー」
手を振って出ていく言真を見送り、澪はテレビに目を向ける。
画面では芸人がグルメ旅で美味しそうに食べていた。
「うまそー……」
先ほどハンバーグ弁当を平らげたばかりの男が、ぼんやりと呟いた。
***
翌朝九時。
澪は配達員の制服に袖を通し、貸与された自転車を押しながら事務所を出た。
「よっし、行くか!」
最初の配達先までは平坦な道のはずだったが、すぐに上り坂。
汗を垂らしながら必死にペダルを漕ぐ澪。
(あっれ、俺って異能者だよな!? なんで普通にしんどいんだ!?)
その瞬間、脚に力が宿り、ペダルが急に軽くなった。
異能、職輪転化が発動したのだ。
「えええっ!? はやっ!」
ハンドルを握りしめたまま、自転車はロードレーサー顔負けのスピードで地獄坂を駆け上がる。
「やっば、ブレーキ効かねぇ!」
キィィィッ、とタイヤが悲鳴を上げ、前輪が小刻みに震える。
積んでいた弁当がガタガタと揺れ、今にも飛んでいきそうになる。
「ちょ、待て! 崩れんなよ!? 給料から天引きはマジ勘弁!」
額に冷や汗をにじませながら、澪はハンドルを必死に押さえ込む。
加速と制御不能のスリルが、超脚力の威力を実感させた。
なんとか急ブレーキで自転車を停めた澪は、ゼェゼェと肩で息をしていた。
「人力ジェットコースターかよ……! 死ぬかと思った!」
配達先の家のインターホンを押す。
「はい」
ガチャリと玄関扉が開いた。
「洛陽デリバリーです。ご注文のお弁当ーー」
言いかけて、澪が固まった。相手も同じく固まる。
澪の瞳がキラキラと相手を映す。
灰がかったロングヘア、涼やかな眼差し。
昨日出会ったばかりの、水瀬結衣だった。
「結衣さん!? あ、プレートに水瀬ってあるわ」
「えっと、綾瀬さんでしたっけ。今日は配達なんですね」
「はい! 今日は、超脚力って異能なんですよ。これなかったら、あの坂上れなかったかも」
「ああ、あの坂……確かに皆さん苦労してるみたいですね」
人ごとのように言う結衣に、澪は首を傾げた。
「あの、結衣さんは坂きつくないんですか」
「まあ、多少は」
「多少!?」
怪力の異能、鋼腕は脚力にも反映されているのか。
あの細い足で地獄坂を上る姿を想像し、澪は思わず呟いた。
「かっけぇ……」
「はい?」
「あ、いや! と、とりあえず注文のお弁当です!」
慌てて弁当を差し出す。
「ありがとうございまーー」
——ぐしゃ。
結衣が受け取った途端、弁当が潰れた。
やってしまったという表情で結衣が小さく溜息を吐き、澪は慌てふためく。
「ちょっ……あ、あの……交換とか!」
「いえ、気にしないで下さい。私の問題なので。綾瀬さんにも、お弁当にも罪はありません」
異能を制御できていないのでは、と澪は思う。
昨日も段ボールや財布を潰したと言っていた。
冷静で理性的に見えるが、能力のほうが追いついていないのだろう。
(……苦労してるんだな)
華奢な体で、しかも女の子なのに怪力の異能。
それを暴発させないように気を配っているのが、なんとなく伝わってきた。
「それじゃあ。バイト頑張って下さい」
静かに玄関扉が閉まる。
***
夕方五時。
全ての配達を終え、澪は事務所に戻って自転車を返却した。
アプリを起動すると「おつかれさまでした。本日の給与:7800円」と表示される。
下に出ているボタンを押すと——。
ピロンッ。
「おっ! もう口座に入った!」
スマホ画面に、振込完了の文字。
通帳アプリの残高が瞬時に増えている。
「やっば……! 毎回ビビるけど、働いた瞬間に金が入るとか、時代の進化だよな」
喜ぶのも束の間、時計を見遣る。
二十四時間後には、脳とろモード。
「金はあるのに……使う暇がねぇ……」
澪はうなだれ、虚しくスマホを握りしめた。
***
帰宅すると、コンビニ袋からアイスを取り出して冷凍庫に入れている言真がいた。
「よっ、おかえり。今日も生き延びたね」
「また勝手に人の家に……」
「まあまあ。ピザも買ってきたし、一緒に食べよ」
テーブルの上にあるピザの箱。まだ温もりが残っていて、澪の腹がぐうと鳴った。
くくっと笑いながら、言真が皿とタバスコ、麦茶を並べる。
澪はその間に蓋を開け、テレビをつけて適当なチャンネルに切り替えた。
「あ、そういえばさ」
言真が紙の束を差し出す。
「来週、駅前で『異能フードフェス』があるんだよ。臨時スタッフの求人票。出店準備とか運営とか、雑用だけど日給は悪くない」
「フェス……? 食い物?」
「うん。異能を使った屋台がずらっと並ぶやつ。毎年けっこう盛り上がるんだ」
「やる!」
即答する澪に、言真は苦笑した。
「動機が見えた。ま、期待してるよ」
そう言って書類をテーブルに置く。
澪はじっと求人票を見つめ、頬を緩めた。
「フェス……試食とか、あるよな……?」
「食べながら食い物のこと考えるって楽しそうだねぇ」
「金と食は世界を救う」
「洛陽市は常に平和だよ。世界は分からないけど」
言真は大量のタバスコを振りかけ、真っ赤になったピザを頬張った。
その色はもはやマルゲリータではない。
「相変わらず、言真のピザ赤いな」
澪は付属のスパイスをほんの少しだけ振り、熱々の一切れをかじる。
「うまっ」
幸せそうにピザを食べながら、テレビを眺める。
来週のフェスにはどんな食べ物が並ぶのだろう。
次のバイトへの食欲は、もう止まらなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ブクマや評価をいただけると、とても励みになります。




