第16話 監視強化、ほぼ同棲
翌朝。
疲労困憊の様子で出勤した言真がデスクに腰を下ろすと、パソコンと睨めっこしていた日菜が顔を上げた。
「言真さーん! おはようございます!」
にっこりと人懐っこい笑顔を向ける日菜に、言真は椅子にだらしなく沈み込む。
「おはよー……。日菜ちゃん、元気だね」
「逆に言真さん、ゾンビみたいですよ。……あ、もしかして。昨日報告に上がってた“異能無効化”の件ですか?」
その言葉に、言真の顔色はさらに悪くなる。
「容赦ないね、日菜ちゃんって」
「事実を言っただけです。で、対象は澪くんで……頭も燃えたんでしたっけ?」
「……うん。小火程度だったけど……やばいよ、あれ」
言真が項垂れると、日菜は腕を組んでモニターに視線を落とし、険しい顔をした。
「前に部屋を凍らせた件。昨日の小火。そして――言真さんの異能を無効化」
言葉を区切りながら、目を細める。
「……これ、もうレッドゾーンですよ」
「まだ確定じゃないだろ。偶然……」
「偶然で片付けられる範囲を超えてます。今の澪くん、ほんのちょっとの刺激で暴発しかねないんですよ」
日菜の声が、いつになく重かった。
***
澪は、自宅の床に大の字で寝転がり、スマホ片手に天井を睨んでいた。
「……バイト禁止って、拷問じゃね?」
冷蔵庫を開けても、見事に空っぽ。
財布を開けても、小銭が数枚。
「収入ゼロ……これ、リアルに死ぬんだけど!? 死因“バイト禁止”って、ニュース記事にどう書かれんの!?」
仕方なくテレビをつければ、よりによってグルメ特集。
画面いっぱいに焼肉やハンバーグが映し出され、澪の腹が盛大に鳴った。
「……よし。見て食った気になりながら、カップ麺で我慢するか」
そう呟き、やけくそ気味にカップ麺を取り出す。
だが湯を入れる直前、胸の傷がズキンと痛んで手が滑り、粉末スープを床にぶちまけた。
「…………なんなの、マジで」
澪は床に崩れ落ち、ぶちまけられた粉末スープを見下ろす。
粉雪みたいに散った茶色い粉が、現実の厳しさを容赦なく突きつけていた。
――ピンポーン。
インターホンの音に、澪の肩がびくっと跳ねた。
思い出す。あの夜のこと。
もしまた、妙な連中だったら……。
――ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポーン。
「どあああ!! うるせー!!」
怒鳴りながら鍵を解除し、勢いよく玄関を開け放つ。
「居留守使ってんだから帰れっつの! このーー」
言葉を吐き切る前に、視界が真っ暗になった。
顔にガサリと紙袋の感触。さらに鼻を突く異臭。
「は!? ちょ、何これ!? やってること昭和の誘拐劇すぎんだろ!! しかも……くっっさ!!」
袋の中にこもる強烈な臭いに、澪は盛大にむせ返った。
次の瞬間だった。
――ボッ。
紙袋が炎を噴き、澪の髪ごと燃え上がった。
「どあああ!! あっっちぃぃ!!」
慌てて頭を振る澪。
焦げた紙袋を引き剥がすと、床に黒い塊となって崩れ落ちた。
異臭が立ち込め、煙の中から白い粉末がふわりと舞い上がる。
「……薬品……?」
胸がズキリと痛み、足元がぐらりと揺れる。
額から冷や汗が伝い落ちるのを自覚した瞬間――。
――パチパチパチパチ。
拍手の音が響いた。
煙の向こうから、白衣を着た数人の影が姿を現す。
「やはり……氷炎の子だ」
「予想以上の反応だ。良いデータが取れた」
研究員たちは楽しげに笑う。
澪の背筋を冷たいものが走った。
「……え、なに。氷炎の子って、俺のこと?」
声を振り絞る澪に、白衣のひとりが薄く笑った。
「おや、覚えてないのかな。君が初覚醒した――あの素晴らしい夜のことを」
背中を冷たい汗が這う。
「……お前ら、何なんだよ」
掠れた声で問い返せば、研究員たちは喉元で笑いを漏らした。
「我々は、異能応用技術研究機構」
重々しい響き。
だがすぐに、別の研究員がさらりと続ける。
「通称、イノ研」
「大学生のサークルかよ!? 一気にアホになったな!!」
澪の全力ツッコミをよそに、研究員たちは満足げに拍手していた。
「いやあ、やっぱ“氷炎の子”は違うねぇ」
「うんうん、いいデータが取れた。十分だ」
「……は? データ?」
澪が眉をひそめると、白衣のひとりがメガネを押し上げて薄笑いを浮かべた。
「今日はこれで帰るよ。我々には成果があれば十分だから」
「ま、あの夜の再現もそう遠くないだろうしね」
意味深な言葉を残し、白衣たちはスタスタと立ち去っていく。
玄関先にひとり取り残された澪は、焦げた髪をぺしぺし叩きながら叫んだ。
「帰るの早っ!! せめて片付けしてけよ!! ……って、あの夜って何!? 伏線置き逃げすんな!!」
近所の犬がワンと吠えた。
澪はため息をつき、天を仰いだ。
「……マジで、平穏ってやつが欲しい」
***
その夜。
言真が澪の部屋に入ると、玄関から漂う妙な臭いに眉をひそめた。
「なぁ、澪。玄関……なんか臭くね? これ何の匂い?」
ビクッと肩を揺らした澪は、慌てて目を泳がせる。
「そ、そう? 俺は全然知らないけどなー! むしろ言真の鼻が曲がってるとか……加齢臭とか!」
「いや、俺まだ二十六なんだけど。加齢臭は早すぎでしょ」
「と、とにかく! 俺は知らないから!!」
あからさまに視線をテレビへ逸らす澪。
言真は深いため息をつき、持ってきたコンビニ袋をテーブルに置いた。
「……お前、ほんっとわかりやすいのな」
「な、何が」
「髪。上の方チリチリになってんじゃん。――また頭燃やした?」
「い、いやいや! 違うんだって! 今回は偶然! ほんと偶然!!」
「偶然で頭燃えるやつがどこにいんのよ」
「……摩擦熱?」
「頭で摩擦起こすな」
バツが悪そうに笑う澪に、言真はじっと視線を注ぐ。
その重さに耐えきれず、澪は視線を泳がせる。
「とにかく! 俺は元気! 問題ナッシング!」
「いや、問題しかないだろ」
言真は思わず額を押さえた。
次の瞬間、澪が立ち上がって叫ぶ。
「でも、見て! 俺、生きてる!!」
「生きてて当たり前。……それをドヤ顔で言わない」
そのやり取りに、部屋の中にはどこか脱力した空気が漂った。
ふと、澪の脳裏に別の違和感がよぎる。
「ん? ……二十六?」
小さく首を傾げ、ポケットからスマホを取り出す。
検索履歴を辿って、八年前の記事を開いた。
《……現場で子供を抱えていたのは、当時十八歳の綾瀬言真》
その一文を見た瞬間、澪の心臓が強く跳ねた。
「……なあ、言真」
「ん?」
「お前って、結婚してる?」
唐突な問いに、言真は目を細める。
「結婚してたら、澪くんにここまでべったりしないでしょ」
「……それもそうか」
澪は妙に納得しかけたが、次の瞬間ハッと顔を上げた。
「じゃあ、なんでそんなに俺のそばにいるんだよ!」
「監視強化だからだよ。残業手当も色つくんだよねー」
「給料の餌にしてんなら何か奢れ!」
「奢ってるでしょ。ほら、今日のご飯。デザートにお菓子まで付いてる」
「……あ、ほんとだ」
「気付くの鈍いねぇ」
言真がコンビニ袋から次々と取り出す。弁当、唐揚げ、プリン、菓子パン。
テーブルの上は瞬く間に食欲を誘う香りで埋め尽くされた。
「おおっ……! 神か!」
「はいはい。さっさと食べなさい」
「じゃあ、いただきまーす!」
澪は勢いよく弁当をかき込み、すぐに顔を綻ばせる。
それを横目に、言真はプリンの蓋をぺりりと開け、スプーンですくった。
「なぁ言真、これさ……」
「うん?」
「監視されてるんじゃなくて、養われてる気がしてきた」
「……鈍いねぇ」
同じ言葉を繰り返しながら、言真はくすりと笑い、プリンを一口食べた。
(年齢と名前は合ってるけど、苗字が違うし。流石に他人か……)
弁当を咀嚼しながら言真を見る澪。
言真はというと、プリンをすくって口に運びながら、こちらに気付く。
「なに?」
「いや……あのさ」
「ん?」
「……プリン、先に食うタイプなんだな」
「そこ?」
呆れ顔の言真に、澪はわざとらしく肩をすくめてみせる。
胸の奥に引っかかっているものは消えないけれど、今は目の前のご飯に集中するしかない。
「……にしても、やっぱ監視ってより同棲じゃね?」
「気付くの遅いねぇ」
苦笑いを浮かべる言真に、澪は笑いながら白米をかき込んだ。
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