第15話 言霊が効かない夜
スマホを弄り、ブラウザの検索窓に《異能暴発事件 八年前》と入れると、都市伝説のサイトが並ぶ。
《【都市伝説】炎と氷が交錯した夜、子供が現場にいた?》
澪は画面をスクロールしながら、眉をひそめた。
(炎と氷って……いやいや、俺の職輪転化と関係ねぇだろ)
しかし、匿名掲示板の書き込みは盛り上がっていた。
《道路半分が燃えて、もう半分がカチコチに凍ってた》
《氷炎の夜って言われてるらしいwww》
《死者ゼロは不自然すぎ》
《ガキを抱えてた男いたわ》
《そのガキが炎と氷の化け物説》
「……は?」
澪は思わず声を漏らす。
(炎と氷の化け物説……? いやいやいやいや! 俺、ただのバイト青年だから!)
スクロールは止まらない。
《氷炎の子供は草》
《今もどこかで暮らしてる説》
《因課に監視されてる説》
《人体実験されてる説》
「勝手にSFホラー路線にすんな!」
ツッコミを入れながらも、胸の奥がざわつく。
そして次のレスを見て、思わず息を呑んだ。
《当時の子供が生きてるなら、今もう十代後半〜二十歳くらいだよな》
澪の手が止まる。
(……十代後半から二十歳って、俺の今の歳そのまんまじゃん!?)
心臓がドクンと跳ねた。
画面の文字が、不気味に自分を指さしているように見えた。
(こじつけが過ぎるか。匿名掲示板なんて作り話だらけだし)
澪は息を吐き、ブラウザを閉じる。
だが胸のざわつきは収まらず、今度は《八年前 異能暴発 ニュース》と検索を打ち込んだ。
すぐに、古い記事がヒットする。
⸻
『洛陽市で未登録異能者による暴発か 多数の建物が損壊』
(20XX年8月6日 洛陽日報)
5日深夜、洛陽市中心部にて異能とみられる大規模な現象が発生し、建物の損壊や停電が相次いだ。
市消防局と異能管理課が出動し、現場は数時間後に沈静化された。
現場周辺では、炎上した建物と凍結した路面が同時に確認され、専門家は
「複数の異能が重複して暴走した可能性がある」
と指摘している。
なお、死者は確認されていないが、十数名が骨折や凍傷などで病院に搬送された。
異能管理課は
「未登録異能者による突発的な暴発」
と説明しているが、詳細は明らかにされていない。
⸻
『“氷炎の夜” 市民の証言相次ぐ』
(20XX年8月7日 洛陽ニュース24)
5日深夜に発生した異能暴発について、現場近くの市民から
「夜空が赤と青に交互に光っていた」
「道路の片側は炎、もう片側は氷に覆われていた」
といった証言が寄せられている。
市内SNSでも当時の映像や写真が拡散され、
「氷炎の夜」
と呼ばれ注目を集めている。
異能管理課は
「未登録異能者の暴発」
として調査を進めているが、詳細な経緯については
「調査中」
とするのみで、新たな発表はない。
⸻
記事の端に並んだ文字に、澪の視線が釘付けになった。
《死者なし》
「……なんで」
唇から漏れた声は、かすれていた。
都市の区画ひとつを燃やし、凍らせた規模の現象で――死者ゼロ。
それが偶然なのか、それとも。
胸の奥に、氷の棘のような違和感が突き刺さる。
痛みとは違う。じわじわと心を冷やす感覚だった。
『洛陽市異能暴発 少年の介抱で沈静化』
(20XX年8月8日 洛陽日報)
5日深夜に発生した異能暴発について、新たな証言が寄せられた。
現場に居合わせた複数の市民によると、倒れていた未登録異能者とみられる人物の傍らで、当時18歳の少年が必死に呼びかけていたという。
少年の存在により暴走は一時的に収まり、その後駆け付けた異能管理課によって制圧されたとみられる。
因課は
「未成年者であるため詳細な氏名や経歴は公表できない」
とコメント。
⸻
『氷炎の夜――未成年が抱えていた“暴走者”』
(週刊ラック 20XX年8月号)
「あの子は“綾瀬” って呼ばれてたよ。細い体で必死に子供を抱きかかえてて……」
(現場近くの飲食店店主)
本誌の取材で、当夜に現場へ最初に駆け付けた少年が
「綾瀬言真(当時18)」
であることがわかった。
現在は消息不明だが
「異能管理課にスカウトされた」
という噂もある。
⸻
スマホをスクロールしていた澪の指が止まった。
画面の一文が、鋭く目に突き刺さる。
《……現場で暴走者を抱えていたのは、当時18歳の少年・綾瀬言真》
「……綾瀬?」
声が、思わず漏れた。
胸の奥がぞわりと震える。
姓が同じ。偶然かもしれない。
でも――偶然にしては、あまりに近すぎる。
(俺のことじゃない。……けど、なんでこんなに引っかかるんだ)
スマホを持つ手が、じっとり汗ばんでいた。
「こーら」
ひょい、と澪の手からスマホを取り上げる影。
顔を上げた澪の前に、眉間に皺を寄せた言真が立っていた。
「お前は、飯食って寝てろって言ったよな?」
「ひ、暇だったから調べただけだって! なあ、これ……俺のこと? だって“氷と炎”なんて、俺の異能と噛み合わないだろ?」
澪の言葉に、言真の表情は一瞬だけ固まった。
だがすぐに、冷ややかな声音で返す。
「違う。お前じゃない」
「おい、怪しすぎんだろ!」
「言ったよな。普通に食って普通にバイトしてろって。それ以上のことは考えんな」
スマホをポケットにしまい込む仕草は、拒絶そのものだった。
澪は膨れて肩をすくめるが、胸の奥のざわめきは収まらなかった。
「でもさ!」
澪はぐっと身を乗り出した。
胸の痛みを押し殺し、真っ直ぐに言真を見据える。
「違うって言われても納得できねぇよ。八年前の事故、俺が関わってたんだろ? 言葉濁すし、隠してんのはやましいことあるからだろ!」
言真の表情に、僅かな影が走る。
けれど声は低く、冷ややかだった。
「知ってどうすんの?」
「俺のことだし、普通は知っておきたいって思うだろ。その後のことは知らないけど!」
澪の声が震える。
思わず握りしめた拳に爪が食い込む。
「何も覚えてねぇのに……全部なかったことみたいにされるの、モヤモヤすんだよ」
言真の肩がわずかに揺れた。
それでも彼は、澪の視線から逃げずに言い放つ。
「……守ってるんだよ。お前自身からも」
一拍の沈黙。
空気が重く沈む。
「守ってるって……何からだよ!」
澪が声を荒げた瞬間だった。
――ボッ。
頭の上で小さな炎が弾け、髪の毛の一部がじりじりと燃え上がった。
「うわっ!? あっっっちぃ!!」
「おい、澪!!」
慌てて言真が手を伸ばし、自分の上着で澪の頭を覆って火を叩き消す。
焦げた匂いと、かすかな煙がふわりと漂った。
「やば……頭チリチリになった。最悪」
「あー……もう。頭に血が上って、燃えちゃったのかもね」
言真の手は震えていた。
それでも、澪の頭を確かめるように優しく撫で続ける。
「……火、出てたよな。これ……俺の異能、職輪転化じゃ――」
「黙れ」
言霊律令。
その一言で、澪の口を封じるはずだった。
――パリンッ。
「あれ?」
澪は普通に喋れていた。
「おい、今“黙れ”って言われたよな? でも俺、喋れてるよな? え、すごくね? これ、俺ついに“言真無効化マン”ってこと?」
澪は目を輝かせ、指差しポーズまで決めてはしゃぐ。
その横で、言真は青ざめていた。
「……はしゃいでる場合か、バカ」
「いや、だって! 言真の異能スルーできる俺、めっちゃカッコよくね? もう最強バイト戦士!」
「……最悪だ。ほんとに最悪だ」
「やべぇ! 完全勝利!!」
澪が興奮気味に叫んだ瞬間、胸の傷に激痛が走った。
「いってぇぇ!!」
「バカ! 動くな!」
肩を押さえつけ、言真は怒りと不安を混ぜて吐き捨てる。
「……本当に、やばいな」
震える声に、澪は苦笑しながら片手を上げる。
「でも、ちょっとかっけーって思っちゃった俺を許してくれ……」
額に汗を浮かべつつ、澪は気まずそうに笑う。
その笑顔に、言真は大きくため息を吐き、額を指で押さえた。
「……笑ってる場合じゃ無いって。ほんと、お前は困ったやつだね」
声には苛立ちと、しかし深い安堵が混ざっていた。
熱と焦げた匂いが、現実の危うさを突きつける。
「……ただのバイト青年でいろ。頼むから」
言真は小さくそう呟き、澪の頭を割と強めに叩いた。
澪は
「いってぇ」
情けない声を上げながらも、どこか誇らしげに口元を緩めていた。
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