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六章

 昨日までの雨は上がったようだ。

 ソフィアは、窓から外を見た。地面はまだ濡れているが、空はきれいに晴れている。

 なのに、一向に心は晴れない。

(ここに来て一週間……)

 ――バンフィールド邸

 首都にあるその屋敷は、伝統と格式あるバンフィールド家に相応しく、大きくて堅牢だ。そこに部屋を与えられ、不自由なく過ごさせてもらっている。

 なのに、閉じ込められている気がするのはなぜだろうか。

(……)

 理由はわかっている。

 もちろん、警備上の理由から外に出させてもらえないのは大きいだろう。それに、エステルやキューウェルが退屈していないか気を配ってくれているのも、少し窮屈に感じていた。

 とはいえ、一番の原因は、ユルが今なにをしているのかまったくわからないことだった。

(元気になったとは聞いているけど、それだけ)

 人に殺してくれなどと言っておきながら、姿をまったくあらわさない。つたえ聞いたところによると、別の仕事で忙しくしているらしい。

 無論ソフィアは彼を殺したくなかった。

(……だからってそのまま放置されるとも思っていなかった)

 結局のところ、もやもやするのはそれが原因なのだろう。好き放題に人の心を乱しておきながら、なにも便りをよこさない。

 あるいは、『その瞬間』に姿をあらわせばいいとでも思っているのだろうか。

(こんなことじゃ、やっぱり夜会になんて出る気になれないわ)

 ……そもそも、ソフィアは命を狙われているはずだ。つい最近、実際に危うく命を落とすところだった。

 なのに、夜会……。それは、議会が以前から用意していた彼女のための宴なのだという。

 すでに出席を断っていた。

 少佐は彼女の気持ちを尊重してくれると言った。しかし、こうしてふさぎ込んでいると、いかにもそれが自分勝手な決断のように思えてきて躊躇する。

 境域の乙女として、毅然とした姿を見せるのが本当なのではないか、と。

 そんなことを考えながら窓の外をぼんやり眺めていると、扉がノックされた。

「入るよ」

「――少佐」

 あらわれたのは、バンフィールド少佐だった。

 慌てて立ち上がるソフィアに、そのままでいいと手ぶりで示す。

「ここでの生活は慣れたかな」

「あの……はい。よくしていただいて、とても快適に過ごせています……」

 少佐の優雅で朗らかな気遣いに、ソフィアはどうにか礼儀正しく答えられた。

 実際、感謝していた。少々息苦しいとはいえ、灰の宮にいるよりはずっといいと思っていたからだ。

「しかし、外に出られないのは退屈だろう」

「事情が事情ですから、しかたがありません。それに、分宮にいたときからあまり外出は許されていませんでした」

「では、広い世界を見てみたくはないか?」

 バンフィールド少佐の言葉に、顔を上げる。

「広い世界……?」

「ふふ……まあ、その一部だが。きっと、多少は気が晴れるだろう」

「あの……」

 謎めいた微笑みで、手を差し出す。まるで姫をエスコートする王子のような所作だ。

 少佐が女性でなければ、ソフィアはきっとのぼせあがっていただろう。

 ……というか、女性だとわかっていたが、思わずどぎまぎしたことは認めなければならない。


 地平線がかすんでいる。

 首都の東方には大陸中央のほとんどを占める眠りの園の荒野や、急峻で険しい山脈がある。西方には大海。のぞきこむと、眼下には都市――イオルティア。馬車から見上げたときには、背の高い建物ばかりだと感心したものだが、こうしているとなにもかもが小さいようにも思えてくる。

「我々は大陸の縁辺、眠りの園と海に押しつぶされるようにある、狭い土地に生きている」

 背後から声がかかって目を上げると、少佐が微笑んでいた。

「世界は広大であり、狭小である……その意味がわかるかな」

「なんとなく……」

 大陸は広い。その外にも海があって、別の大陸がある。しかし、現実としてイオルティアに住む西方人やアゼール人の目に映る世界は、ちっぽけである。

 そんなような意味だろうと思った。

 ――軍用飛行船。

 少佐に発着場へと案内され、あっというまに空の上だ。

 はじめての空の旅は、ソフィアにとっては心が浮き立つような、恐ろしいような出来事だった。旅といっても、ほんの数時間でもとの発着場へと戻らなければならないが。

「狭い土地といっても――」

 バンフィールド少佐が言った。

「欲張らなければ十分な土地ではある。なるほど、大陸のほとんどは人を拒む不毛の地だ。とはいえわずかに許された地にへばりついて生きるのが、我々人間には分相応だというものかもしれない」

「はい……」

 ソフィアは曖昧にうなずいた。

 その話にどういう意図が込められているのか、わからなかったからだ。その様子を見てとったか、少佐がぴくりと眉を上げた。

「あなたの使命にかかわることだから、興味のある話題かと思ったが」

「わたしの使命に?」

「ああ。……なにも知らされていないようだね、乙女」

 少佐はソフィアの反応だけで、なにかを悟ったらしい。納得したような顔になると、しつらえられたソファに身体を沈めた。

「使命、つまり、献灰の儀のことだ。あなたの役目だろう」

「……あの、わたし……」

「いや、責めているのではない。あなたは首都の市民よりも、自分の使命についてなにも知らされずに生きてきたようだね」

 責めているわけではない、という彼女の言葉は、実際とても柔らかくて穏やかだ。

 しかし、ソフィアにとっては切り刻むように痛い言葉なのもまた事実だった。

 少佐の言うとおりだった。ソフィアはなにも知らない。尋ねても答えてもらえず、ただ言うとおりにしていればいいのだと教えられてきた。

 バンフィールド邸が堅牢で彼女を守るための鳥かごなら、灰の宮は彼女を柔らかく締め上げる牢だ。

「……とすると、灰の宮は先代乙女の儀式失敗によほど動揺したと見える」

「……儀式失敗?」

「献灰の儀というのは、眠りの園にとらわれた神々を解放するための儀式だ」

 少佐の視線がソフィアの灰の短剣を一瞥する。

「我々西方人がこの大陸へ植民するはるか前、アゼール人同士の争いで大陸は大きな災いに見舞われた。その結果、神々は土地にとらわれ、そして、その地は呪われて生命を拒むようになった。歴史の授業で習わなかったかな」

「あの……眠りの園に神々がとらわれているのは知っています。彼らは解放の日を待っているのだと……」

「そう、その『解放』こそがあなたの役目だ」

 ソフィアはまばたきした。

 自分に大きな役目があるのはわかっていた。明かされてみると、確かにそのようだ。

(……でも、なぜそれを徹底的に隠していたのかしら)

「神々の解放とともに、大地は祝福され生命力を取り戻す。つまり、あなたが献灰の儀を執り行えば、それは、我々イオルティアの版図が広がるのと同様の意味を持つのだ」

 窓の外に視線を投げる。

 眼下に広がる広大な世界、その縁辺に住むイオルティア人。

「その灰の短剣で大地を突き刺す。すると、神々は解放される、そういうわけだ。畑にだって灰をまくだろう。その象徴なのではないかな」

「し……知りませんでした。わたし……てっきり、儀式とはもっと形式的なものかと……」

 そこで、ハッと顔を上げた。

「先ほど、先代の乙女が献灰の儀に失敗したとおっしゃいましたね、バンフィールド少佐」

「どうかエステルと呼んでほしい」

「その……エステル」

 ソフィアが顔を赤らめながら訂正したので、少佐――エステルは満足そうに微笑んだ。しかし、それはつかのまのことだ。彼女はすぐにどこか遠くを見るようにして語り始める。

「そのとおり、あなたの言うように、先代の乙女は失敗した。神々の解放をしくじり、イオルティアの市民の期待を裏切り、灰の宮は異例の事態の責任をすべて彼女に背負わせた……」

「今まで失敗した乙女はいなかったんですか?」

「記録にはない。そもそも、先代乙女のシャナイアの件に関しても、公式には儀式は失敗したのではなく、拒否されたということになっている」

「……」

「しかし、私の耳には彼女が儀式を拒否したわけではなく、失敗したのだという噂が聞こえてきている。その真偽は今はおくが、ともかく、シャナイアは数ある辺境の分宮のうちのひとつへと追いやられた。それきり、彼女のことは忘れ去られている」

「……では、その……なぜ、それがわたしにはなにも知らされなかったことと関係するのですか?」

「シャナイアがアゼール系の歴史学者の家の生まれだったからだ」

 エステルの言葉の調子が、わずかにあきれを帯びる。

「彼女の家には古い文献や、手記、記録があるという。それを読んでいたせいで、儀式を拒否したのだろうとまことしやかに信じられている――少なくとも、灰の宮の内部ではね」

「だからわたしにはなにも知らせずに育てた……?」

「そう。『シャナイアは誰も知らない真実の歴史とやらに感化され、役割を放棄したのだ』、あるいは、『乙女に自分で考える頭は必要ない』……灰の宮がそう考えているのなら、あなたにはなにも知らせないように育てるのは不思議ではないだろう」

「……わたし、本当になにも知りませんでした」

「いいか、乙女」

 エステルが立ち上がる。

 そして、戸惑うソフィアを導いて、窓際へ立たせた。

「この万華鏡(カレイドスコープ)を覗いてごらん」

「え……」

 エステルの首から下がっていた小さな筒を渡される。

 アゼール式の模様の入った美しい万華鏡だ。おそるおそる、それを覗く。

 最初は、美しいがなんということはない幾何学の世界へ迷い込んだと感じた。

「……?」

「この世界の光も、色も、ほんの少し視点を変えるだけでまったく新しい、美しい法則を見せてくれる」

 どうしたことだろう。

 緑や赤、オレンジの幾何学模様が、次第に像を結ぶ。

 その中にはソフィアがいた。自由でどこにでも行ける大地がある。

 それから、ユルがいた。

「なにが見えた?」

 びくりと顔を上げる。

 気づくと、冷や汗を感じていた。

「その……広い世界が、見えました……」

 ソフィアはそうとだけ答えた。

「それはアゼールの遺物だよ。聞いたことがあるだろう? 神々が健在だったころに、その力を借りて作られたものだ」

 エステルが微笑む。

「それは、覗いたものの望みを見せる。それだけの他愛のない遺物だが、気に入っていてね……」

 万華鏡を返す。他愛のない、といえばそうかもしれない。

 しかし、あまりにも本物のように感じられた。草原を渡る風や、隣にいるユルの体温まで感じたようで、逆に目の前の現実感を失わせる。

「あなたの願いが叶うといいのだが」

 そこで、エステルはふと、飛行船がいつのまにか発着場へと近づいているのに気づいたようだった。

 空の旅が、終わりに近づいている。

「ああ……そうだ、つまらない話もしなければならない。夜会の話だが……欠席ということで決意はゆらがないだろうか」

「ええ。そんな気分になれないので……」

「無理もない。夜会という名の、乙女お披露目パーティーだ」

「その……ダンスも、したことがありませんし」

「ダンスのことはともかく、誰があらわれるかわからない場所へ行くのは得策ではないだろう。私が警備を采配するが、かといってわざわざ出向くようなものでもないからね」

 エステルはおそらく、ソフィアの命を狙う輩のことを言っているのだろうとはわかっていた。

 しかし、『誰があらわれるかわからない』という言葉で連想したのは――万華鏡のせいだろうか――ユルのことだった。

(……そうだ、もしかしたらユルも夜会にはくるかも……)

 エステルが警備を采配するのなら、彼女の部下であるユルも動員されるのではないだろうか?

 そもそも、汽車に『新入り』として潜入していたぐらいだ。少佐に認められ、ある程度のことは任されているに違いない。

 乙女を守るためにユルをもう一度護衛として配置する……それは、いかにもありそうなことに思えた。

「……エステル……」

「……?」

 不思議そうに振り返った彼女に、わずかな躊躇のあと、決意を告げる。

「夜会には、出ます」

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