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終章

 イオルティアのほぼ中心部にある灰の宮。

 ソフィアはその正面階段を降りながら、背中に敵意のある視線を感じていた。気づかないふりでやりすごし、そしらぬ顔を続けた。

「やれやれ、こんなことをいつまで続ければいいのやら」

 隣のホロウェイがタイを緩めながらつぶやく。

 ――いい天気の日だった。

 にもかかわらず、朝から今まで……つまり昼過ぎまで、ソフィアとホロウェイは灰の宮の薄暗く圧迫感のある一室で、長いこと不毛な折衝を行っていた。

 境域の乙女を返せの一点張りの灰の宮。それに対して、境域の乙女の独立性を主張するのはなかなかに難しい交渉だった。ここ数週間何度も行われた話し合いは、一歩も進んでいない。妥協点すら見つけられていない。

 今日も数時間をかけての折衝の末、なんの進展も見られずお開きとなってしまった。

 前代未聞の乙女の行動、そして強情さ。

 業を煮やしているのはお互いさまだが、それにしても灰の宮の近頃の不穏さはすさまじい。

「次回から交渉の場所には当家を使ったほうがいいかもしれません。今日は身の危険すら感じましたよ」

「ええ。……」

 ソフィアはふと、階段下の馬車のところに見たことのある人物が立っているのに気づいた。

「……キューウェル大尉!」

「お久しぶりです、乙女」

 一段飛ばしで駆け降りる。

 以前見たときに巻いていた頭の包帯はなくなっていた。ただし、骨折した腕はまだ釣っている。

 仕事をあまり休むわけにはいかないのか、すでに軍務に復帰しているようだ。

「こんなところでなにをしていたんですか?」

「いえ、通りがかっただけです。新しい上官の命令で使い走りをさせられているところでしてね。ホロウェイ家の馬車が灰の宮の前に停まっていたのでもしやと思いましたが、今日は宮と交渉ですか?」

「ええ」

 乙女が自主性を主張して灰の宮や議会と交渉に当たっているのは、すでに新聞でも報じられている。

 その背後にはホロウェイ家がいるということになっていた。テロリストの資金源の疑いも完全には晴れぬうちに起きた、バンフィールド少佐の不審死……世間ではいろいろと噂が流れている。

 すべてを仕組んで乙女を手に入れたのが、若きやり手アーネスト・ホロウェイなのだとか……。

「大尉も怪我のわりにお元気そうでよかった。でも、もう働いてもいいんですか……?」

「そうは言っても、命じられれば従わないわけにはいきませんからね。……すでにお聞き及びかもしれませんが、新しい上官は私より年下の小僧でして、やはり下々のものの苦労など気にもかけない。生まれながらのエリートというやつは、どうしてああも傲慢で鼻もちならないんでしょうね?」

「そんなことを言っていいんですか?」

「秘密にしておいてくださいよ。信頼してます。……それでは」

 キューウェルはそう言うと、頭を下げて立ち去った。

 それを見送るソフィアの背後から、ゆっくりとホロウェイがやってくる。

「乙女、階段を降りるときに走らないでください。怪我でもしたらどうするんですか」

「足を踏み外したところで数段落ちるだけ。別に死ぬわけじゃないし、いいでしょう?」

「あなたは境域の乙女なんですよ。そんなことになったら、僕が新聞になんと書かれるか――」

 ソフィアはホロウェイの小言を無視して、さっさと馬車に入った。議員はきっと、馬車の中でも同じような小言を繰り返すだろう。

 数週間、彼とつきあってみてわかったことがある。

 ホロウェイは別に悪人ではない。キューウェルが言うところの『生まれながらのエリート』だ。育ちがよすぎて多少抜けているところもあるが、基本的にはまともな常識の持ち主だった。

 しかし、なんといっても口うるさい。

(彼の小言は聞き流すのに限るわ)

 ソフィアはため息をついた。

 いつか『ごちゃごちゃうるさい』と言ってしまいそうだ。今のところ、なんとか我慢できていた。


 研究所での出来事は、非常にあいまいなものとして片づけられた。

 境域の乙女が関わっていることが理由のひとつにあげられる。深く追求していくと面倒なことが起こりそうだと直感したらしい議会は、老獪さを発揮して事件の捜査をつぶしてのけた。

 それに、もうひとつ……死んだのがエステル・バンフィールドだったからだ。こちらの理由のほうが大きいかもしれない。

 彼女には味方も多ければ、敵も多かった。

 イオルティアのあちこちに手を伸ばし、根を張り、強固に巣くっている――そんな彼女が死んだのだ。

 エステルには秘密を抱えたまま死んでもらったほうが都合がいい。

 そのような暗黙の合意のもと、彼女の死は疑いの余地のない事故だということになった。霊機炉の爆発で遺体が失われているので、なにかを調べようにも難しいという事情もあった。

 ソフィアは、イオルティアという都市の難しさを感じていた。豊かで開放的なこの都市は、血筋と縁故で結ばれた寡頭制に支配されているという側面も持つ。その中でうまく立ち回り、誰を味方にして、誰を敵にするのか選ばなければいけない。

 ぞっとしたのは、ある日、ソフィアのもとに匿名の封書が送られてきたことだった。

 中を覗くと、紙が何枚か入っていた。時候の挨拶や、どのような目的で封書を送り付けたかなどの余計な情報は一切なかった。

 ただエステル・バンフィールドの経歴がつづられていただけだ。


 ……バンフィールド家の二番目の子どもとして生まれた彼女は、少女のころから非常に優秀だったらしい。そのまま大学へと進学し、一時期は実家を離れて暮らしていたようだ。

 飛び抜けた英才であったという事実があっても、まだそこまでは平凡な経歴だと言えた。

 大学在学中――当時の当主であるエステルの父と、次期当主である兄を含めた家族全員が事故死する。

 バンフィールド家当主エステルの誕生だ。

 大学を休学した彼女は、そのまま軍に入隊した。バンフィールド家は伝統的に軍高官を輩出してきた家系だからだ。

 某高官の副官に着任した彼女は、とある実験施設への強硬突入を指揮することになる。激しい戦闘が起こって、関係者は全員死亡……。

 上官の高官もその戦闘の中で帰らぬ人となった。

 その後も、エステルの周囲には死人が出続けている。敵対していた政敵が謎の失踪。エステルに入れ込んでいたとある高貴な令嬢の自殺――。

……しかし、それ以上のことは書かれていなかった。エステルがなにかを企んだという証拠も、彼女の行動の意味も書いていない。

 時系列で書かれた、ただの事実の羅列。

 封書をさかさまにして覗いてみたが、それ以外のものはなにも見つからなかった。

 誰かがなにかの思惑からソフィアにこれを送り付けたものなのはわかったが、その真意を推察することは難しい。

 ソフィアは迷った末、この封書のことをホロウェイには黙っておくことに決めた。必要になることがあれば、話せばいいだろう。


 夕方、ソフィアはへとへとになって帰りついた。

 灰の宮での交渉のあと、すぐに次の予定へ向かい、今ようやく帰ってきたところだ。微笑み続けていたので顔の筋肉が強張って痛い気がした。

「夕食は部屋に運ばせますか?」

「いえ、あまりお腹がすいてないので……」

「しかし、食べないと持ちませんよ」

「いいんです。……今日は早めに寝ます」

 気を使ってあれこれ言ってくるホロウェイに首を振り、自分の部屋へと急ぐ。

 今は彼の屋敷に世話になっていた。

 なかなかよくしてもらっている。なにより、バンフィールド家より自由だ。当主の気質の影響か、居心地が格段にいい。

 自分の居場所、というものがあればいいのだが、今のソフィアには高望みというものだろう。それほど状況は厳しいし、呑気に住むところを吟味している場合でもない。

(明日は議会へ出頭して、また話をしないと……)

 それに、その次の日は孤児院への慰問の予定が組まれていた。

 なんといってもソフィアは境域の乙女なのだ。いろいろな意味で話題になっているので、あちこちからの招待状――議会や灰の宮からの不穏なもの含む――が舞い込んでいる。

(疲れた……)

 それらの予定をこなしていくだけで精いっぱいの日々。

 身体は重いし、ベッドに入れば気絶するように眠りに落ちてしまうぐらい疲れている。

……なのに、ソフィアはここ数週間の忙しさが好きだった。

 以前の自分がいかにぼんやりと過ごしていたのか、今更ながらに痛感した。灰の分宮での静かな日々。汽車の中でただ窓の外を眺めた。それから――。

「……」

 自分の部屋に入る。

 扉を開けると、風がさっと吹き抜けていった。見ると、確かに閉めていたはずの窓が開いている。カーテンが揺れてなびいていた。

 その手前。

 椅子が一脚置いてある。そこに寄りかかってこちらに背を向けている男の姿があった。

「ユル……」

「ソフィア」

 振り向く。

 淡い褐色の肌。金色の瞳は右目だけ……左側は、黒い眼帯の下に隠れている。椅子に座っていても長身で大柄なのはすぐにわかる。

 その表情は明るかった。

 ユルだ。

「……来てるって聞いてないわ」

 ソフィアはまばたきした。

 それから、ふと窓に目を向ける。急にいやな予感が湧き上がってきて、後ろ手に開けたままだった扉を閉めた。

「……え? まさか……窓から入ってきたの? また?」

「他にどこから入れっていうんだよ。正面から来るとホロウェイの執事に追い返されるだろ。いないとかなんとか言ってさ」

「だって本当にいないんだもの」

「だから二時間は待ってたぜ」

 彼が窓から入ってきたのは、今日がはじめてではない。

 今週の日曜に窓からあらわれて以来、もう正面から入ってくるよりこちらのほうが早いのだと完全に学習してしまったらしい。

 ため息をついたソフィアには構わず、ユルは立ちあがった。

「あーあ、座りっぱなしっていうのも疲れるな」

 ゆっくりと全身を伸ばす。

 どこか猫科を思わせるしなやかさだった。つい数週間前に死の際までいった人間だとはとても思えない。

「身体の調子はどう?」

「悪くないよ。前よりいいな。ほら」

「見た目は前と変わらないけど……うん、それならよかったわ」

 腕をぐるぐる回されたが、よくわからない。……しかし、元気であることは間違いなさそうだったので、ほっとした。

 ソフィアは腰にある灰の短剣に触れた。

(……)

 灰の短剣――神々に問いかけるための祭器。境域の乙女がこれをふるえば、答えは必ず返ってくる。

 ……ナヤの心に触れたときに、否応なく灰の短剣の使い方がソフィアの中に流れ込んできた。

 ナヤが死んでしまったのは、彼が死を選んだからだ。仮に生を選んでいれば、まだ生きていただろう。

 そして、彼が生を選んでいたら……ユルはこんなに元気ではいられなかったはずだ。

 短剣を通してユルの心に触れたときに、ソフィアは再び大きな存在を見た。そこから細く長く伸びた、かすれた絆も。

「……オハラシュとあなたの仲立ちをしたときに、ナヤとオハラシュの絆の名残であなたの絆を修復できた……けど、それは偶然だし、わたしもできると思ってやったことじゃないから……」

「でも、できてるんじゃないのか? 傷も治ったし……目以外はだけど」

「……その……あなたの設計図(バックアップデータ)が損傷しているんじゃないかと思うわ……」

 確証はない。……しかし、ソフィアにはなんとなくわかった。

 オハラシュのもとには、ユルの肉体の情報がある。復元を繰り返すうちに絆が擦り切れてしまい、現実の肉体にうまく情報を渡せなくなってしまう現象、それが復元失敗――。

 しかし、それがすべてではなさそうだった。

 復元失敗を繰り返しすぎたのか、あるいはほかの要因でかはわからない。が、オハラシュのもとのユルの情報そのものが一部損傷してしまったようだった。

「へー……絆を修復しても、元が壊れてるから戻らないのか」

 しかし、当人はあまり気にしている様子もない。気楽、というよりは軽い調子で感心してみせただけだった。

「も、もう少しわたしがうまくやれれば、視力を失う前のユルに戻れたかもしれないけど……ごめんなさい、これ以上のことはわたしにもわからない……」

「いや、俺はこれが気に入ってる」

「……気に入ってる……?」

 顔を上げると、ユルの明るい顔が目に入った。

「俺はあんたとともにいることを選んだんだ。あのときは、たとえ壊れていくだけだとしてもそうしたいと願った。あんたが、俺がどうなっても生きていてほしいと願ってくれたからだ」

「……」

「身体は完全に治ったし、前より調子がいいぐらいだが……」

 ユルはにやりと笑った。

「でも、この左目だけはもう二度と戻らない。設計図の損傷ぐらいで落ち込むなよ。俺がどうなっても生きててほしいんだろ、ソフィア」

「……左目が、約束の証拠……?」

「そういうこと」

 ユルに肩を抱かれる。遠慮がなく、親愛に満ちた接触だ。

 不器用な言い方は彼らしかった。どうなっても側にいる、というその証拠――すべてが元どおりになってきれいになってしまっても、絶対に消え去らないふたりだけの傷痕(きずあと)だった。

「だから元気を出せよ。……あ、それとも、単に俺にあんまり会えないから元気がないだけか……?」

「……結構会ってる気がするけど」

「いやいや、二日ぶりに会っただろ。じゃあそれって全然だよ。俺は足りないね」

「そうね……そうかも」

 確かに、二日ぶりに会っただけでは足りないかもしれない。あまりに開けっぴろげな好意に、ソフィアも素直にうなずくしかなかった。

「よし」

 ユルは躊躇しなかった。

 ソフィアの足元をすくって抱きかかえる。一瞬のことだったので、特に抵抗はできなかった。

「外に行こうぜ」

「えっ。そ、外?」

「なんかおいしいもの――肉とか、甘いものを食べて通りを歩こう」

「今から……? え、まさか……待って」

 ずんずんと窓に向かって歩いていく。ソフィアは狼狽し、上を見上げた。

 悪戯っぽい金色の瞳と出会う。

「あんたからは取り立てなきゃいけないものがまだまだあるからな。一生かけて責任取れよ」

 ユルが窓に足をかけた。

「大丈夫、今度は追っ手も来ないだろ……たぶんな」

「え!? ここ二階――ユル! きゃああッ」

 必死の制止は悲鳴となって風に紛れた。

 夕日が沈んだばかりの空が見える。西の空はまだ名残惜しげなオレンジ色だった。

 その空がぐるりとまわって――。

 あとはもうなにがなんだかわからなくなった。

 最初に出会った日もこうだった。汽車からソフィアを抱えて飛び降りたあの日のユルと、まったく同じ……なのに、どうしようもなく違う。


 あの日に出会った死にたがっていた男はもう死んでしまった。

 ここにいるのは、ソフィアと生きる彼だけだ。


最後までお読みいただきありがとうございました。

↓↓↓ 以下勢いのまま ↓↓↓




ここまでお読みいただきありがとうございましたッああぁああぁぁぁあぁッッ!

残業しながら毎日書いてましたああぁあぁッ!!

毎日更新間に合うかHIYAHIYAしてましたぁああああッッ!!!

面白かったらどうかブクマ評価リアクションコメントくださああぁぁぁあぁッい!!!

社畜を憐れむ方もくださくださああぁぁぁあぁッい!!!


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