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十九章

 鳴り響いた銃声。ソフィアは反射的にぎゅっと目をつぶり、手で身体をかばった。

 かつん、となにかが落ちた硬質な音がした。ころころ……なにかが転がっていく。

 いつまで経っても痛みはやってこない。心臓が爆発しそうなほど鼓動は早いが、身体はなんともなかった。

「……」

 目を開けたのと同時――崩れ落ちたのはエステルだった。その足元には、万華鏡(カレイドスコープ)が転がっている。

 胸を抑えて膝をつき、なにが起こったのかわからない、という顔で背後を振り返った。

「ユル……」

 返事はなかった。

 ユルは相変わらず地面に伏していた。その場から動いた様子はない。彼が立ち上がりでもしていれば、エステルはそのことに気づいていただろう。

 なのに、銃を持っている。

 先ほど少佐は彼の手から銃を蹴飛ばしていたはずだ。

(……研究所の前で拾っていた銃?)

 ソフィアははっと気づいた。ユルは確か、同僚の武器を奪っていたはずだ。それは背後からの不意打ちを防ぐ意味合いが大きかった。ちょうど、エステルがユルの武器を遠ざけたのと同じだ。

 しかし、ユルはかさばる軍刀は草むらの中に放棄しつつも、銃は持ったままでいたらしかった。

 瀕死の重傷だ。不死とはいえ、痛みまでなくなるわけではない。……それでもユルは尋常ならざる意志で力を振り絞り、エステルを撃ったのだった。

「……」

 少佐は信じられないものを見るような顔で、自分の胸を見下ろした。ちょうどユルが撃たれた場所のあたり……心臓の近くに、血がにじんでいる。弾丸が貫通していた。

 べったりと手についた血を見て、それからもう一度ユルを見る。

 銃を握る手が震えた。

「!」

 ソフィアが少佐の身体に体当たりするのと、彼女の銃が火を噴くのとはほとんど同時だった。ユルを狙ったはずの銃撃は、あさっての方向へと飛んで霊機炉に命中した。

 倒れこんだエステルの手から銃をもぎとる。恐ろしく簡単に奪うことができた。

「……」

 ソフィアは血だらけの自分の手と、少佐のあいだに視線を彷徨わせた。

 ……彼女はうずくまり、立ち上がることすらできなくなっている。ユルと違い、少佐は普通の女だ。訓練は受けていても、人間以上の力を発揮できるわけでも、ましてや不死でもなかった。

 まだ生きてはいるが、それも長いあいだではないだろう。

 ソフィアはそのまま後ずさった。エステルにはもうなにもできない――そう確信してから、身体を翻してユルのもとへと駆けつける。

「ユル……!」

 まだ息があった。……当然だ、彼は不死なのだから。

 ソフィアの声に気づいたか、ユルはぴくりと身体を震わせた。そして、ひどく苦労しながら身体を起こそうとする。

 肘を床につくと、ぼたぼたと地面に血がしたたった。すでにおびただしい量の血が流れだしているのにもかかわらず、彼の体内では復元が繰り返され、血液が作り出され続けているのかもしれない。

「起きないで……ああ、どうしよう。手当をしないと……血が……」

「いや……早くここを出よう。……霊機炉だ……」

 ソフィアよりよほど彼は冷静だった。

 ちらりと振り返って、はっとした。いつのまにか、背後の霊機炉が煌々と輝いている。少佐の撃った弾丸のせいだと気づいた。

 暴走――。

 眠りの園で見たように、霊機炉は一度安定性が崩れるともろい。

「巻き込まれる前に……」

 なにかを言うのにも力を振り絞っているのがわかるのに、立ち上がろうとする。ソフィアが支えると、恐ろしく重い。

 以前支えたときの比ではなかった。彼の身体からは、ほとんどの力が失われてしまっている。

 それでも、ふたりは歩き出した。一歩ごとに、床に血痕が残される。

 ユルがソフィアの望みに賭けた代償。

 涙がにじんだ。振り返ると、暴走しかけた霊機炉の放つまばゆさが目に入る。その近くでエステルは動かなかった。

 万華鏡が『願い』を叶えてくれればよかった。しかし、それは単なる甘い罠だ。そこになにかを見れば、渇望するほかはない……。

(希望は見るものではなく……つかむもの……)

 そんな当たり前のことに、ソフィアは今更気づいた。


 研究所から少し歩いた。

 時間がかかった――やがて、背後の方向でなにかが破裂する鈍い音が響いたところで、ユルは歩みを止めた。

「少し……休憩」

 ユルは息も絶え絶えだった。

 青白い光が研究所のほうから放たれている。それを眺めながら、ふたりで路地の壁に背中を預ける。そのままずるずると座り込むと、ユルの背後の壁に血の跡が残った。

 ソフィアはなにも言えず、じっと彼を見た。

 顔色はほとんど紙のように白かった。死ねないというだけで、生きている――ただそれだけだ。彼はもはや復元も叶わない状態だった。

「……ユル」

 ソフィアは彼に向き合った。手を伸ばそうとして、それを掴まれる。

「ソフィア。借りを返してもらう――今がそのときだ」

 苦痛に汗を浮かべながらも、ユルはふてぶてしかった。その手の冷たさ、握る力の弱々しさ……そのすべてを受け入れられず、ソフィアはただ呆然とした。

「バンフィールドからは取り立てた。だから次はあんたの番だ」

「わ……わたし……」

「言っておくが」

 ソフィアの震える声を、ユルがさえぎった。死にかけの男にしては、きっぱりしていてやけに冷淡な声音だ。

「俺がこうなったのは、あんたのせいじゃない。復元失敗が起こり始めたら、もう時間がないのは知ってた……」

「……聞いて、ユル。わたしは、やっぱりどうしても……」

「今まで俺があんたに優しくしてやってたのは、取引のためだ」

 ユルはあきれたようだった。今から死ぬということを知っている人間にしては、恐ろしく表情豊かだ。宙に視線を飛ばし、あからさまなため息をつく。

「最初からずっと言ってるだろ。あんたを助けた代わりに、殺してほしいってさ。世間知らずな乙女さまはこれだから困るよなあ……少し優しくしてやっただけなのに」

「……ふたりで夜の街に出たとき、楽しかったのも……嘘?」

「楽しかったっけ? 街中を走り回ったことしか覚えてない」

 ソフィアは膝立ちになって、彼の視線の先にまわりこんだ。ユルはなおもそれを避け、今度は顔ごと目をそむけながら、鼻を鳴らす。

「あんたの我儘につきあうのもここまでだ。せいせいするよ」

「……嘘つき」

 涙がこぼれそうになる。

 唇を噛んでこらえたせいで、しばらく沈黙が落ちた。

「……嘘じゃない。すべては、あんたのその神殺しの力のためにやったことだ」

「……」

「……なんで笑う?」

 ソフィアは肩を震わせた。涙が出てくるのに、なぜだか笑いが止まらない。

「ユル……もう一度、言ってみて。わたしのことなんかなんとも思ってないって。ただ利用しただけだって……」

 とうとうおかしくなってしまったのかもしれない。自分でもそう思う。正反対の感情が押しよせてくるせいで、どうしたらいいかわからなくなってしまった。

 ユルはしばらくソフィアを眺めていた。表情はよそよそしく、拒絶の色すら見える。……が、その瞳にちらりと浮かんだ戸惑いを隠しきれていなかった。

「お願い。ただ言うだけでいいの……あなたの素直な気持ちを」

 ユルはなにか言おうとして口を開いた。しかし、そのまま閉じる。

 少し沈黙したあと、ようやく静かに言った。

「……あんたのことなんかなんとも思ってない。利用してただけだ」

 目をそらしたままだった。

 それだけでは飽き足らなかったのか、さらに言葉を重ねる。

「強情で、無謀で……面倒くさい女だなって」

「……知ってた?」

 ソフィアはささやいた。

「あなたって後ろめたいことを言うときに、絶対に目を合わせないの」

 そのときのユルの表情といったら、見ものだった。

 完全に不意打ちだったのか、目を丸くしてソフィアを見たのだ。

「……そんな癖ある?」

 ある。

 ソフィアはかなり前からそのことに気づいていた。

 自分の傷を隠すとき。気まずいとき。

 そして、嘘をつくとき――。

そんな重たいもの(・・・・・・・・)、持ってない』……そう言ったときの彼もそうだった。

 ソフィアが差し出したものに釣り合うなにか。それに応える感情を持ち合わせていないと冷淡に言いながら、ユルはしっかり目をそらしていた。

 これがおかしくないわけがあるだろうか?

「今だってそう。視線を合わせようとしなかった」

「それは、別にそういう意味じゃなくて――」

「わたしがしつこく目を合わせようとしても、顔をそむけてたわ」

「そんなことは――」

 ユルはそこで、今まさに目をそらそうとしている自分に気づいたようだった。

 彼の瞳が、あっというまに理解の色に覆われる。観念したようだ。

「……そんなことは、あるな……」

 抵抗をあきらめたユルの言葉からは、先ほどまでの冷たさは消えている。

「そんな癖があったのか。……知らなかった」

「無意識にやってたのね」

「もっと早く言ってくれてもいんじゃないのか。死ぬ間際になって教えてくれなくてもさあ……」

 ユルはため息をついた。ソフィアがなにか言おうと口を開くのを制して、吹っ切れたようにつぶやく。

「そうだよな……全部白状するか」

「白状?」

「悪かったよ。嘘をついてた」

 ユルはそう認めた。いつもの彼だ――瀕死にもかかわらず、その表情はどこか明るい。

「バンフィールドが隠してる希望があればよかったのにな。……あの女のことは好きになれなかったが、それだけは本当にそう思ってたぜ」

「ユル……」

「……ずっと死にたかったのに、不思議だよな」

 ソフィアはユルの手を握った。もう彼女の手を握っていることもできなくなってきたのがわかったからだ。

「今この瞬間は、あんたとこうして話すことのが最後だと思うと怖い。俺がなにを考えてるかわかるか?」

「……なにを考えてるの?」

「俺がこんな身体でさえなければ、もっと普通に出会ってれば……そんなことばっかりだ。未練たらしくていやになる……」

 ソフィアはゆっくりとユルの手を離した。

 灰の短剣を引き抜く。

「――わたしは、あなたに生きていてほしい」

 刀身のきらめきに、ユルが目を細めたのがわかった。

「わたしはやっぱりわたしのためにしか生きられない。……だから、死なないでほしい。たとえ、どんな姿でも、あなたでなくなっても……」

 エステルを笑うことなどできなかった。少佐の望み同様、なんて自分勝手なのだろう。

 それが偽らざるソフィアの気持ちだった。

 ……しかし、エステルは孤独のうちにその望みを閉じていた。彼女の世界では、彼女以外のものはただのシステムの一部だからだ。彼女のために働き、死んでいく……それだけの存在。

(ようやくわかった……)

 ソフィアにとっては、ユルの存在はなくてはならないものだ。生きていてほしい――そばにいてほしい。

 彼がそう願ってくれるのなら。

 願いは閉じていない。ソフィアの願いのうちに、ユルの意志がなければ成立しない。

 窓を開けて、外に出ればいい。そう言ってくれた彼のことを思い出した。ユルは彼女にそうして道を示してくれた。

 だったら、ソフィアにも同じことができるはずだ。……できたと思いたかった。

「……わたしは仲介者。あちらとこちらのあいだに立つ境域の乙女。そして、あなたに問いかけるもの、ソフィア……」

 ソフィアはユルの心臓にぴたりと短剣を合わせた。

 ――神殺しの灰の短剣。

 いいや、違う。ソフィアはもう知っていた。シャナイアはなぜ儀式に失敗したのか。どうしてオハラシュは生きてそこにあるのか……。

 境域の乙女の真の役目とは、問いかけることだ。

 自らの傷を癒すために大地にしがみつき、生命力を根こそぎ奪い取りながらも苦悶する神々。かつてその神々の声を聴き、憂えた乙女がいた――彼女は西方からやってきた技師とともに、神々に選択肢を提示するための祭器を造りあげた。

 灰の短剣だ。

 安寧を求めるか、あるいは苦痛のうちにあっても、生き続けるか……。

「ユル、あなたの心に触れさせてほしい。わたしの問いかけは、あなたの意志をあばいて、選択肢を迫る――」

 真正面から視線を合わせる。

 ユルの表情は穏やかだった。

「……聞かせて」

 ソフィアは一瞬目を閉じた。そして、短剣に体重をかける。

 肉に沈み込む刃の手ごたえ――。

 それはこちら側(ソフィア)からあちら側(ユル)への問いかけにほかならなかった。


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