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十四章

 イオルティアのはずれにある工業地帯。

 その中の一画は長らく立ち入り禁止になっているようだった。区画は乱雑に封鎖され、この中が危険である旨の看板が出ている。

「いいですか、二時間ですよ。約束は守ってください」

「わかってるよ、しつこいな」

「君に言っているのではない。僕は乙女に言ってるんだ!」

「しつこい上にうるさい」

 ユルが、念を押すホロウェイにうんざりした顔で両耳を塞ぐ。

 馬車で移動しているあいだ、議員はずっとソフィアの翻意を懇願していた。やがて、それが無理だと悟ると、今度は何度も猶予時間を繰り返し、念押しした。

「僕が待てるのは二時間が限界です。そもそも、こんなところに単身乗り込むなど、いくらなんでも――」

「いいから帰れよ、もう」

 勝手にユルが受け答えしてくれるおかげで、ソフィアはあまり返事をしなくて済んだ。そうでなければ、うっかりユルと同じようなことを言ってしまったかもしれない。

 ホロウェイはそれからもう一度だけ二時間後だと繰り返して、馬車で去っていった。

「あいつ、今何回二時間って言った?」

 ユルがぼそりと言った。

 それには答えず、ソフィアは周囲を見渡した。

 背の高いフェンスを見上げ、首をかしげる。

「少佐はこんなところに呼び出して、いったいどういうつもりなのかしら……」

 ――エステルの書簡。

『あなたの望みについて話し合う用意がある』

 短く書かれたその内容。……それ以外の言葉が必要ないと知っているかのようだった。そして、彼女が話し合いの場所として指定していたのがここだ。

「ここがなんだか知ってる?」

「知ってるよ。俺が育った場所だしな」

「……え?」

 ユルはソフィアを手招きした。

「こっちだ」

「あなたが育った場所って……」

 歩き出したユルに、小走りに追いつく。

 フェンスの向こう側をのぞく。大きな施設があるが、薄汚れていて陰気な外見だった。ほとんどの窓には板が打ち付けられている。ところどころガラスが割れていた。

 およそ、人の住む場所ではないように思えた。

「俺が十五のころだから、もう八年前か。そのぐらいまではここにいた」

「こんなところに……?」

「ああ。平穏な家庭で育ったようには見えないだろ。孤児だったんだ」

「……」

 ユルはフェンスに沿って歩いていった。どこへ行くとは言わなかったが、ソフィアは黙って彼についていった。

「孤児を買うとか、さらってくるとかでここには何人か集められていた。俺や、ナヤ……それから他にもいたな」

「……」

 ナヤの名前が出て、ソフィアははっと息を呑んだ。

 ……ユルは、違法な実験で不死の身体となった。その実験が行われたのがここだと、ようやく気付いたからだ。

「……馬車や馬、人がまだ出入りしてるみたいだな」

 やがて、ユルは立ち止まると地面をじろじろと眺めた。フェンスに設けられた扉の真正面――はがれた石畳のあいだには、草がまばらに生えている。そこに残った痕跡ははっきりしていた。

 彼の言うとおり、誰かがここに出入りしている。

「まあいいや。入るか」

 ユルは無造作にフェンスの扉を開けた。鍵はかかっていなかった。

 中に入ると空気が重くなったような気がした。この先に進むのが本当に正しいのか、今更ながら躊躇が込み上げてくる。

 ソフィアは深呼吸した。

(……わざわざ自分から敵地に飛び込んだくせに、怖気づいている場合じゃないわ)

 エステルの誘いに乗ったのは、いずれ彼女と決着をつけなければならないと知っていたからだ。

 ……いや、それすらも建前だった。

(『わたしの望み』……)

 書簡に書かれていたその言葉。

 それを読んだ瞬間、ソフィアは動揺した。ユルを救いたいという希望だ。エステルは、それを知っている。

 わずかな可能性をちらつかせるやり方。……屈してはならないとわかっていたが、それでもソフィアには選択肢がないように思われた。

 灰の短剣に触れる。

(大丈夫。わたしだって、彼女の望むものを持っているはず……)

「バンフィールドが自由に動かせる配下は限られてる。そのうち半分は、すでに俺が叩きのめした。キューウェルも動ける状態じゃないだろうしな」

 ソフィアの考えていることを察したのか、ユルがいつもの軽さで言った。

「それに、軍や議会にこの件で助けを求めるとも考えにくい。『乙女が逃走した』なんて言えば、政敵や灰の宮につけいる隙を与えることになる。なにより、あの女はそんな恥辱に耐えられないだろう」

「そうね……」

「……だが、危険なことには変わりない。あんたも変わってるよ」

 歩き出そうとしたところでユルに行く手を遮られて、ぎくりとした。

 覗き込むようにして、見下ろしてくる。

 改めて彼の背の高さを感じた。アゼール人は小柄な傾向があるが、ユルは平均的な西方人と比べてもかなり大柄だった。多くがそうであるように、混血しているのだろう。今となっては『純血』の西方人もアゼール人も、ほとんどいない。

 目の前に立たれると、彼にそのつもりがなくても威圧感を感じる。

「俺のことは殺したくないくせに、自分の命を顧みないんだな」

 金色の瞳でじっと見透かされて、動揺した。

「先に死なれちゃ困るんだ。あんたにつきあうって取引をしてなければ、ここまでやってないぞ」

「わ……わたしは、どうしてもあなたに死んでほしくないの」

 今更のように、ユルが美しい容姿をしているのを意識してしまう。眼帯はまったく彼の魅力を損なっていなかった。

 こんなときに……と、恥ずかしくなってうつむいた。

「そのためだったら、危険を冒す価値があると思っただけ……」

「俺にはどうもそれが信じられないんだよなあ……あんたが嘘をついてると思ってるわけじゃないけどさ」

 ユルがため息をついて、身体を離す。

 ソフィアを疑っているというよりは、自分を疑っているというような言い方だった。


 施設の入口まで来たところで、誰かの足音が聞こえてきて慌てて近くの木の陰に隠れた。

 足音の主は、施設の中からではなくて、外からやってきた。ふたりの軍人が声をひそめて話しながら歩いてくる。

 会話の内容は他愛のないもので、『薄気味の悪い場所だ』とか、『少佐に報告を上げたらすぐ帰ろう』とか言っている。こちらに気づいている様子はまったくなかった。

 やはり、エステルはここにいるようだ。

「あの人たちをやりすごしてから、少佐を探しましょう」

「ふたりか……」

 見上げると、じっと軍人たちを眺めているのがわかった。……考え込むようなその目に、なんとなくいやな予感を覚える。

 ソフィアがなにか言う前に、いきなりユルは木の陰から飛び出した。

「……!?」

 軍人たちの完全に真正面。

 不意をつかれたのはソフィアだけではなかった。当然、軍人たちもだ。驚愕の顔のまま、ひとりがそのまま吹っ飛んだ。ユルの飛び蹴りを避けられなかったからだ。

 まばたきするあいだの出来事だった。

 ユルがなにを考えてこんなことをしたのか、ソフィアには理解できなかった――ユルのことだからきっと、そうしたほうが早いとか、敵の数を減らしておいたほうがいいとか、そんな理由だろうとはわかっていたが、だからといって戦闘を避けなかったのは彼女の理解外だ。

 相手も不意打ちから立ち直るのは早かった。訓練を受けた軍人だ。そのあいだにもうひとりは立ち直ったようだった。

 銃を抜きながらなにか叫ぼうとする。

「ユルか! 投降を――」

 ユルはさらにその上をいっていた。

 相手が武器を持っていようが、彼にはなにも関係ない。恐れを知らないので、躊躇がない。一瞬で距離を詰められて、軍人はぎょっとしたようだった。

 同僚に対する甘さをユルは利用した。わずかな迷いをついて、拳を振りぬく。

 ソフィアにはなにが起こったかよくわからなかった。……が、軍人が急に力を失ったようになって、どさりと倒れ込む。

 気絶していた。

「ユル!」

 ソフィアの声に反応してか、ユルは地面に身体を投げ出した。

 先に蹴り飛ばしたほうが、起き上がって背後から襲いかかってきたからだ。その手にはナイフがある。ユルを相手にするのには武器なしでは不可能だと悟ってのことだろう。

 振り下ろされたナイフ――その手を受け止め、ユルが上になった男を殴る。それでも、相手はまったく怯まなかった。

 たぶん、放っておいてもどうにかなっただろう。今までユルの強さはいくらでも見てきた。普通の人間にとっては脅威となるナイフという武器も、彼には大した意味を持たない。

 しかし、ソフィアは足元に落ちていたレンガを拾った。

「……!」

 ユルにとっては、突然相手の男が崩れ落ちたように思えたかもしれない。そんなような顔をしていた――そして、気絶した男と、レンガを両手に持って立っているソフィアを交互に眺め、ようやく理解したようだ。

「……あんたが殴ったの?」

 目をぱちくりさせる。

 そのとおりだ。ソフィアはもみあうふたりの背後に忍び寄り、男の後頭部をレンガで殴りつけた。いやな手ごたえが今も残っている。加減がわからなかったせいで、やりすぎたのではないかという恐怖が襲ってきた。

「……」

「危ないだろ、無茶をするなよ……」

 ユルがあきれたようなため息をつく。そして、倒れている男が握ったままのナイフを取り上げた。同じような調子で、軍人たちの武装を解除していく。銃、軍刀……。

 そして、それからようやくソフィアに向き直った。

「……えっ」

 絶句する。

 ソフィアが泣いていたからだ。

「……」

 それも、ただ泣いていたわけではない。ぶるぶる震えて、激情のままに涙を流していた。もはや、自分を恥ずかしいと思う余裕もない。

 あっけにとられているユルに、ソフィアはわっと泣き出した――子どものように。

「誰が、どの口で……!」

 あとは言葉にならなかった。

「な、なんだよ……どこか怪我をしたとか……?」

 狼狽したユルが彼女の肩に触れようとする。反射的に、持ったままだったレンガを振り回して彼の手を振り払った。

「……」

「ど……どうして、いつもそうやって危ないことをするの!」

 その気になればソフィアなど簡単に制圧できるはずのユルが、それ以上近づけないでいる。

「昨日わたしが言ったことだって、もう忘れちゃったんでしょう」

 ソフィアは叫んだ。

 レンガを放り投げる。

「またどこかが壊れちゃったら、どうするの……」

 あとは、情けないめそめそ泣きになってしまった。

 取り乱してしまった自分に悔しさを覚えたが、それ以上に、ユルになにも通じていないことが悲しかった。彼がどうにかなってしまうかもしれないという恐怖のことを、ちっともわかってくれない。

 避けられるはずの戦いに飛び込み、ソフィアのことを考えず、自分のことすら気にかけていない彼に、言葉が詰まる。

「わ……わたしがあなたのために危険を冒すって、それがそんなに信じらないの? どうせ……自分の命を軽視してるんでしょう。だから、わたしの願いも軽視する……」

 自分の命を軽んじているから、本当にはソフィアの想いを理解しきれていないのだ。

 ユルの戸惑いの表情が、罪悪感に塗りつぶされていく。

「ソフィア……悪かった」

「うるさい……反省してないくせに……」

「悪かったよ……」

 力強い両手が、おずおずと背中にまわされる。今度は振り払わなかった。

 今まで、なにげなく触れられたことはたくさんあった。あるいは、必要から抱きかかえられたりもした。

 でも、彼の気持ちがあらわれた抱擁ははじめてだった。意志をともなった接触は、優しくて悲しい心地がする。

 今このときになって、ユルはようやくソフィアの内心を理解できたのだろう。

「……死なないで。わたしの前からいなくならないで……」

 だから、彼は返事をしなかった。

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