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十一章

「無茶するなよな……」

 ユルのその正論は、どうしようもなく自分を棚上げしている。

 しかし、彼は不死であって、ソフィアは違う――しかも、毎朝の散歩がせいぜいの乏しい運動経験であのようなことをしようとしたのは、どう控え目に見積もってもどうしようもない無茶に違いなかった。

「そっ……そんなことより」

 ソフィアは、ユルを押して彼の手の中から抜け出した。

「やっぱりこの騒ぎはあなたが起こしたのね」

「ああ。黙っててもそのうち出られたと思うが、そうなったらあんたには二度と近づけなかったかもしれないしな。今しかなかった。俺より、なんであんたがこんなところでぶら下がってたのかのほうが不思議だよ」

「わたし……少佐に短剣を奪われたの」

「……」

 どこからか、怒号が飛び交う。

 それが思いのほか近くで、ソフィアは身体をびくりとすくめた。

「短剣か……あの女のやりそうなことだ」

 ユルがつまらなそうに言った。

「支配の手段ってやつをよく知ってる女だからな。よし、取り返すか」

「……短剣は置いていっても……」

「いいや、短剣は必要だ」

 ソフィアはただうつむいて、ぼそぼそと言うことしかできなかった。

「た……確かに大事なものだけど。でも、せっかく合流できたんだから……」

「幸い、様子を見るにバンフィールドは不在のようだ。問題は、キューウェルがいるかどうかだが……いないのを祈るしかない」

「そうじゃなくて――」

「大丈夫だよ。俺に考えがある」

 別の心配をしていると思われたのだろう。ユルが元気づけるように彼女の肩を抱く。

 もちろん、ソフィアは短剣を奪い返す際の障害のことを心配しているのではなかった。あれを手放してしまえば、彼を殺害するという取引から逃れられるのではないかと思ってしまったからだ。

 ……もちろん、それでなにかが解決するわけではないのもわかっていたが。

「どうした?」

 ユルは彼女が気に病んでいることなど想像もつかない、というような顔をしている。

 それを見ていると、なんだか無性に腹が立った。

「……あなた、いつもこんなふうに馴れ馴れしいの。……誰にでも」

「え」

 反射的に肩を抱く手を払うと、ユルが驚いたように目を丸くする。

 うすうす気づいていたが、この行為は明らかに彼女に向けた特別なものではなく、単なる彼の通常の距離感なのだろう。

「そんなに馴れ馴れしいかな……」

「な……馴れ馴れしくないわけがないでしょう。だって、はじめて会ったときには手を握られたし、それに……とにかく、そういうふうに軽々しい態度だと、困るの」

「……」

 なにがどう困るのか、自分で言っていて気まずくなった。

 ソフィアは、自分が彼に好意をいだいているのに気づきはじめていた。たぶん、彼と砂漠をさまよったときから……。

 その好意の意味については、今まで深く考えてこなかった。考えないようにしていたからだ。しかし、こんなことを言ってしまったとなると、もう後戻りはできない。

(こんなの、勘違いさせないでほしいって言ってるも同然だわ……)

 今更ながらに、頬が熱くなった。

「悪かった」

 ユルも戸惑った様子だった。しかし、彼女の真剣さはつたわったらしく、謝ってくる。

「……べ……別に謝ってもらわなくても大丈夫。それより、あの……短剣を取り返しましょう」

「あ、ああ……そうだな。こんなところで話し込んでる場合じゃなかったか……」

 お互いにぎこちなく距離を取り、ちらりと視線を交わす。

 いったいなにをやっているのだろう。

 ソフィアは彼に背を向け、わざと明るく言った。

「短剣……どうやって取り戻すの?」

「え? ああ……ここで働いて長いからな。屋敷の構造も、どうすればいいかもわかる」

「本当? 頼りにしていい?」

「……」

 彼女の態度をユルはいったいどう思ったのだろう。

 しかし、次に彼が口を開いたときには、いつもの軽々しさを取り戻していたので、わからずじまいだった。

「俺に任せておけ――考えがあるって言っただろ」


 扉を――文字どおり――蹴破ったユルが、中へ侵入していく。

「よし、ここがバンフィールドの部屋だ。たぶん短剣は金庫だろう」

「ねえ……」

 ソフィアは、彼の後ろにおずおずと続きながら、小声でそう呼びかけた。

 しかし、聞こえなかったのだろう。

「ここに金庫の鍵があるんだ」

 ユルは部屋を大股で横切って、奥の大きな執務机の向こうにまわった。書架が周囲を取り囲んだ威圧的なたたずまいの机は、きれいに整理整頓されている。

(……)

 ソフィアは扉のところに倒れている警備兵に目をやった。

 それから廊下をそっとうかがう。

 てんてんと兵士が倒れていた。ユルが殴り倒し、締め上げ、気絶させたからだ。

「引き出しの鍵がないな」

 机の上を荒らしながらユルが首をかしげている。

「あの、ちょっと力づくすぎない……? もっと、知恵とかでなんとかするのかと……」

 ガァン!

 銃声。

「え?」

「その……ううん、なんでもない……」

 ユルが引き出しを銃で撃って破壊したのを見て、ソフィアはそれ以上なにも言う気になれなくなった。

 なにからなにまで力づくで、短剣は見つかった。引き出しから発見された鍵を使って、書架に隠された金庫を開けると、果たしてちゃんとそこにあったからだ。

 ユルはこの屋敷の警備兵の数を、おおよそ把握していた。だから、彼はこう結論づけたらしい――正面から進んでいって、出会ったやつは全部片づけてしまえばいいのだ、と。

 あまりに強引で、合理的だった。

「短剣も見つかったし、次は脱出か」

「それも正面から?」

「いや、それは別のルートが――」

 ユルが口をつぐむ。

「……ソフィア、扉から離れろ」

「え……?」

「出て来い、いるのは知ってるぞ」

 ふー……廊下から長いため息が聞こえた。

 慌ててソフィアが扉から離れるのと同時。

 扉が開く。姿をあらわしたのは、キューウェル大尉だった。

「なんだよ、いたのか」

 ユルの声が届いても、表情を動かさない。疲れた顔をしていた。

「地下に戻れ、ユル」

「いや、戻らない」

「私は、どういう手段を使ってもお前をとどめておくように命令を受けている」

「じゃあやってみればいいだろ」

 ユルの挑発に、大尉はなぜか笑いを漏らした。

 懐かしそうな顔になる。

「昔はよく半殺しにしてやったものだが。お前が二十歳をすぎてからははじめてかな……」

 一閃。

 合図はなかった。ソフィアの目には、ただふたりが同時に走り出し、部屋の中央でぶつかりあったことだけがわかった。

 いつのまにか、キューウェルの手には軍刀がある。銃でそれを受けたユルが、間髪容れず大尉を蹴り飛ばした。

 たたらを踏んで態勢を崩す大尉。距離を詰めるユル。

 ――その顔を、軍刀がかすめた。

「いったた……」

 キューウェルがぼやきながら、真正面に軍刀を構える。

 態勢をくずしながらも、大尉は踏みとどまってユルを牽制してみせたのだ。

 戦闘開始から、ほんのわずかのあいだの攻防だった。

「どうした、銃を使わないのか」

 キューウェルがユルの手の中の銃を見る。

「私を傷つけたくないなどと思っているんじゃないだろうな。ふざけたことを考えていると、痛い目にあうぞ」

「さっさとかかってこいよ。バンフィールドにどやされる前にな」

 キューウェルが鋭く踏み出した。

 あまりに一瞬のできごとだった。かばった右腕――銃を持った腕――を貫いて、軍刀が肩に到達する。

 すさまじい音を立てて、ユルは机の上に倒れた。その上に乗った大尉が、じりじりと体重をかける。

 普通であれば、ここでユルは戦闘不能になっていたかもしれない。しかし彼は不死であり、常人ですらなかった。

「……!」

 反対側の腕でキューウェルの襟をつかむ。

 そのまま足で彼を蹴りあげた。大尉の身体が浮いて、机の向こう側へ吹っ飛ぶ。理屈を超えた力業というべきか、自らの怪我を顧みることもせず、強引に跳ねのけてみせたのだ。

 ソフィアがあっけにとられている前で、大尉は本棚に激突した。上から大量の本が落ちてくる。

 ユルはまったく躊躇しなかった。

 突き刺さった軍刀を即座に引き抜き、復元の青い光をまといながら机を飛び越える。そのまま、揺れる本棚に手をかけた。

 キューウェルの上に本棚を引き倒す。殴るだの蹴るだのと言った点での攻撃ではなく、その存在ごと制圧する面での攻撃――。

 銃声。

「ああ……!」

 ユルの後頭部がぱっと赤く弾けて、ソフィアは思わず悲鳴を上げた。

 そのまま、彼は仰向けに倒れた。机の向こうに、動かない腕だけが見えている。

 戦闘に硬直していた身体が、ようやく動き出した。

「な、なんてことに……」

 本棚の下から、キューウェルが発砲したのだ。ソフィアは危険を忘れて、ユルのもとへと駆けつけた。

 大尉は大尉で相当な傷を負ったのか、本棚の下で動かない。

「……」

 どうしてこの人たちはこんなことをするのだろう、と呆然と考えた。キューウェルが語っていたことが頭の中でごちゃごちゃになっていく。

「なにが半殺しだ」

 ユルが吐き捨てて身体を起こした。

 左目を覆っていた。血がその周辺にこびりついている。

「全殺しだろ」

 もし、彼が不死でなければ死んでいた。

「ユ……ユル。あの、ねえ……大丈夫?」

「見てのとおりだ。キューウェルが意識を取り戻す前に、さっさとここを出よう」

 ソフィアの伸ばした手を振り払い、ユルが立ち上がって背を向けた。

 あまりに素っ気ないそのしぐさに、心拍数があがる。

「……ユル、見せて」

「いや、もう復元した」

 ユルは背中を向けたまま肩をすくめた。

 ソフィアは机にすがって立ち上がった。そして、足早に部屋を歩き出したユルの前に立つ。

「ユル……」

「……わかったよ、見せればいいんだろ」

 どこかふてくされたような答えだ。

 しかし、もうごまかせないと思ったのだろう。左目を抑えている手をゆっくり下ろした。

 太陽のようだった金色の中心……瞳孔が大きく開き、まるで月のように白く濁っていた。

 外傷性の白内障――。

 視力を失っている。復元に、失敗していた。

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