3・怪文書
1938(昭和13)年9月 陸軍省
「何だこれは!」
気が付くとそこに置かれていた書類に驚く男が居た。
「何?来年、ドイツが戦争を始める?バカバカしい読み物だ。空想科学なんぞを陸軍に持ち込むな!」
男は数枚に目を通すと捨て去った。
「何でまだあるんだ?捨てたはずだ」
翌日、やはりそこに置かれた書類を男は捨てた。
「おいおい、誰だ!」
3日目。男は周囲に問い質したが誰も置いた者をみていないと言うので気味悪がりながら、確実に焼却した。
「俺は夢でも見ているのか?何なんだこれは!」
4日目、とうとう彼は書類の隅々に目を通して驚愕した。
「予言書?いや、予言と言えるのはドイツの事例、しかも3年後までか」
それは1939年9月にドイツがポーランドへと攻め込み、翌年にはフランスを下し、さらに3年後にはソ連へと侵攻する事が記されていた。
不思議な事に、1941年6月22日を最後に日付は書かれなくなり、推移のみが述べられて行く内容であった。
さらに日本に関する記述に接した男は再度焼却を決意したが、実行には移せなかった。
「これは、呪いか?それとも祟りか何かか?燃やしても明日、ここにあるんじゃないか?」
焼却したとしても、明日にはそこに置かれていそうだと察した男は周囲を見るが、怪しい人影は無い。周りを疑えばキリが無いが、意図や目的が分からなかった。
そして、書類にあった技術資料について問い合わせたところ、現実に存在するモノが含まれており、止むなく上司に諮る事になった。
「この文書やそれに類するモノが他に存在していないか探る必要がありそうだ」
そうして調査が行われたのだが、国内には他に存在が確認出来なかった。
「意図的な何かを感じるな。なぜ、コレ以後の日付がないんだ?」
上司も首を傾げたが、理由はまったく分からなかった。
「それだけではありません。ここなどヒットラーの名前以外、削除されています。さらにここ、ルーズベルト、スターリンの名前はあれど英国首相の名前がありません」
「どうやらわが国も近衛は総理を辞するらしいな、帝国の総理名も無いではないか」
これからの推移が記された文書からは、巧妙に個人名が消され、些か予言書としては怪しいのだが、それが信憑性を持つ原因でもあった。
「今その地位に居ない者の名前は記されないのは、有り難い面があるかもしれんな」
そんな彼らにとって、いつまでの事かは分からないながら、記された軍事情報はより有り難いモノがある。
「ソ連の軍事情報はなかなか素晴らしい。しかも、これは未来の予言に当たる部分になるのではないか?ドイツにタイガー戦車なるモノは無いはずだ」
ふたりは資料を興味深く語り、技術資料に当たる部分を技術本部へと渡すためにさらに上層部へと図るのだった。
1939(昭和14)年1月
戦艦や潜水艦に関する資料などは陸軍ではもて余し、海軍へと伝えられる事になった。
この頃にはミュンヘン会議の成果として、この資料より戦争は遅れるのではないかという予測が出たりもしたが、それはそれ。
公開情報や諜報によって技術情報の多くに裏付けが付いていく。
「このR2800なるエンジンは技本を通して三菱、中島に渡すべきだろう。F8Fなる戦闘機に海軍が飛び付いたらしいしな」
海軍は技術資料を渡され、何より建造中の新型戦艦の要目が細分違わず記されていた事に驚愕し、いくら内部調査をしても流出元を探し出せず、資料を信じるしかなくなった。
その上で海外情報を検分し、米海軍の各種艦載機に多大な興味を持ち、とくにF8Fには並々ならない関心を寄せていた。
「すでに開発されているエンジンであるらしいし、その情報がここまで仔細に知れたのなら、我が国でも開発を行わない理由はない!」
海軍は理論や過程を尽くすっ飛ばし、三菱や中島に対して十五試艦戦なる要求仕様を示した。
何のことはない、F8Fの知り得たデータをそのまま示したのであるが、そもそも、要求されたエンジンが存在しない。
エンジン開発自体が始まったばかりで、三菱は金星を4気筒増やした18気筒エンジンを、中島は手っ取り早く名機となった寿を複列化した18気筒エンジンの開発を開始したところであった。
それに加えて陸軍からFw190やP51に関わる技術資料を提供され、三菱では十四試局戦のあり方を大きく転換する事に繋がる。
また、陸軍では独自に技術資料から弾薬開発も行っていた。
「ふむ。このヒートなる弾薬は口径によって貫通力が変わるのか。しかも、旋回力があっては威力が下がる・・・」
「こっちのヘッシュなる弾薬は口径の1.3倍程度まで効果を示すそうだ。現行の57ミリ戦車砲でもソ連の次世代戦車に効果がありそうだ」
また、航空爆弾に関しては、陸海軍共に興味を示した。
「飛行場破壊弾か、面白い」
クラスター弾に興味を示し、それぞれに独自のアレンジを加えた研究開発が行われる様になった。
こうして爆弾の開発が盛んになる中、海軍は艦載機計画に新たな注文を付けていく。
「今の金星ではダメだ。中島のエンジンを採用して能力を向上させよ。いや、米海軍と同じく五〇番を抱えられる艦爆にするんだ」
そんな無茶振りによって十一試艦爆は初飛行を終えていながらやり直しを命じられ、エンジンを新たに中島製14気筒エンジン「奉」へと変更し、搭載能力まで引き上げる要求に応えるため、開発が遅延、1940年末に何とか零式艦上爆撃機として滑り込みで採用されるに至った。
余波は艦攻にも及び、既に実績のある九七艦攻のエンジンを奉へと換装し、余力を防弾に向ける改修が行われた。
これら新型機は真珠湾攻撃に望んだ第一航空艦隊にしかまだ配備されていないほどのギリギリのスケジュールとなったのだから、陸軍はそんな海軍のやり方に呆れるしかなかった。