16・エンジニアたちの憂鬱
1939(昭和14)年2月、空技廠
「これは?」
十三試艦上爆撃機の設計に勤しんでいた面々は、ある日突如示された図面に戸惑った。
そこには製図された綺麗事な図面があり、それをどうしろというのか意図が分からないのだから仕方がない。
「十三試艦爆はこれを基にやり直せ」
などと言われて理解しろという方がどうかしている。
「それは、どういう意味で?」
「先ほど言った通りだ。これをしっかり飛ばせる様に仕上げるんだ」
やはり意味が分からない面々。
これまで進めていた計画をスッパリ白紙に戻せという話なのだと思い至り、頭に血が上る者が出る。
「我々が開発を受けたはずです。何処の馬の骨すら分からない所で引かれた図面など受け取れません!」
そう迫れば、
「・・・・・・一度、その図面をしっかり検証して、それでも納得いかないなら、その時は構わん」
相手は怒鳴るでも強要するでもなく、何故か激昂した所員の態度に納得しながらそう言った。
それこそわけが分からない面々。
相手がそう言うなら図面の欠陥でも見つけてやろうかと受け取った面々は、その日から図面の検証をはじめる。
「む、これは!」
「これは我々の考えと同じだ!」
「おお、分かる!分かるぞ!」
「これ、そのまま強度計算して使えば良くね?どうせ似たモン作るはずだったんだし」
4月には十三試艦爆はこれで良いと言う結論に達したのだから不思議である。
空技廠に示された図面は何かと言えば、怪文書に列記されていた艦載機の中にあった艦上爆撃機である。
艦上戦闘機、艦上攻撃機などと共に記載されていた中で、細身で小型な艦爆はひときわ目を引いた図面だった。
将来艦爆とはこれの事だ!と思った人物が空技廠へと持ち込み、何故か空技廠の技師達は、それを検証すればするほど自分達が設計したものに思えてならなかったと言う。
「しかし、この細身で空冷エンジンか」
「だからこの側面推力排気なんだろう」
「水冷エンジンが載りそうな機体なんだが」
しかし、彼らの受けた十三試艦爆の要求には空冷エンジンと記されていたし、生産性、整備性にも配慮すべしともあった。渡された図面も空冷なので間違っていない気もしたが、水冷こそが正しいという考えがどうしても頭を過ぎるのであった。
「ちょっと複雑にすぎるきらいがあるが・・・」
「そこは艦載機だから、多少は目を瞑れるだろう」
こうして試作機は1939(昭和14)年10月に完成する。
「モノになったが、まだまだやりたい事が出来てしまった。もっと強力なエンジンを用いればより優れた機体にならないか?」
「そうだ、ここをこうして・・・」
「いっそ、爆装時の速度は犠牲になるが、爆弾倉をやめて翼に懸架装置を並べれば・・・」
「エンジンは中島が開発中のアレだな」
「間違いない。ソレを使えば」
などと既に改良型と称する新規開発を独自に行っており、後の青山が彗星開発と同時進行で行われていた事は驚愕に値するが、彗星開発がそれだけ早く進んでいた証でもあった。
同じく1939(昭和14)年2月、中島飛行機
空技廠によく分からない経緯から艦爆の図面が示されたその頃、中島飛行機にはもっと無理難題が海軍によって齎されていた。
「寿を二重複列にして振動バランサーを組み込め?なんだ、これは!」
発動機部門では、予期せぬ要求に怒号が飛んでいた。
「あんなデカいエンジンを基にしてどうする!これだ!この栄をベースに2000馬力エンジンを作り出す事にこそ意味があるではないか!」
そう叫んでいるが、現実は無常である。
「それがそうも言ってられん。艦上戦闘機の開発要求がこのエンジンを指定の上で求められているそうだ」
それは海軍が飛び付いたF8Fを下地とした十五試艦戦という、全てが存在しない中で要求された無茶苦茶な開発計画であった。
当然、機体に関しても呆れ果てる様な空想を連ねた仕様に誰もが目を疑い、自身の認識を疑う始末であった。
「これは何か?海軍流の冗談か何かか?こんなもの、イギリスのチャップリンにでも頼めば良いだろうに」
非現実的な内容にそう呆れるしかなかったが、創業者が大変な乗り気であった事から断れなかった。
「まあ良い。糸川、なかなかに面白い図面だから、勉強がてらやってみろ」
こうして、海軍の開発要求などお構い無しに中島での自由研究が開始された。
海軍もあまり中島には期待しておらず、本命を三菱と目論んでいたので本当に自由に出来ていた。
そんな自由な開発環境においてエンジンは1940(昭和15)年4月に試作機が完成した。
まずはバランサーの無い型とバランサー有りの型がともに作られ試験が始まる。
バランサーの取り扱いが難しく、バランサー無しのエンジンに集中して取り組んだ結果、翌年8月には海軍より合格がだされ、祝の名称が付けられた。
「海軍も安直だな。寿に、ソレを14気筒化したら奉、18気筒が祝って、なんだよ」
そんな呆れの声もあったが、祝は日本初の2000馬力エンジンであった。
「クソ!俺が作りたかったのはこんなエンジンじゃねぇ!」
発動機部門からはそんな怨嗟の声が絶えなかったが、軍の要求なのだから仕方がない。
そして、機体開発を任された糸川は陸軍機の開発にも関与しており、そこから陸軍の情報も得て機体開発に反映していた。
その結果、海軍から中島に渡された図面から形状が異なり、水平尾翼の位置はかなり前進した特徴的な配置となった。
さらに重量も想像より重くなっている事から、翼型も工夫して面積を増したが、当時の基準からは想像を絶する翼面荷重を示し、試作機が実際に飛ぶまで気を揉むことになってしまっていた。
そうした中島の動きとは裏腹に、三菱はこの海軍からの要求を蹴っている。
「これは何ですか?無理ですね」
エンジン開発を示された深尾が喜々として受ける傍ら、機体を提示された堀越はそう一言で斬り捨てた。
さらに、紡錘形こそが最適と言って十四試局戦の開発をスタートさせながら、途中から細身の機体にせよと言い出したことにもキレていた。
挙句、栄を搭載して完成している十二試艦戦を金星へと換装して実用的な飛行時間にしろと言う無理難題まで押し付けられては、仕事のしようもなかった確かだった。
その為、堀越は十五試艦戦はやっているフリのみ、十四試も嫌気がさしていおり、金星型十二試艦戦のほぼ新開発に集中していた。
こうして中島が十五試艦戦の実機を初飛行させた頃、外見以外別物と化したゼロ戦三二型を初飛行させ、十五試艦戦からは辞退、十四試局戦も開発遅延と言う状態に陥っていた。
「ハァ?海軍が俺の言うこと聞かないのが悪いんですよ」
堀越はそう言って憚らなかった。
こうして、蓋を開けてみれば三菱は海軍の思惑を見事にぶち壊し、中島は斜め上へと突き抜け、空技廠は別のナニカを手掛けていた。
何がどうなっているのか理解しがたかったが、空技廠と中島の機体はどうやら性能的には申し分なさそうだったため、採用される運びとなっていく。そして、それら異次元の機体とは違って海軍軍人にも理解が容易であったゼロ戦三二型への期待は大きく、その点では三菱も十分な仕事を成していたのだった。