1・真珠湾攻撃
1941年12月7日(日本時間8日)、ハワイ沖
「第二次攻撃隊の収容、終わりました」
報告を受けた南雲はふとハワイの方角を見つめる。
「現在、120機ほどは飛行可能です。やりますか?」
横から源田がそう問いかけたが頭を振った。それは第三次攻撃隊の編成についてなのだと察し
「いや、これからでは無理だろう。煙で視界は更に悪くなっているはずだ。それに、相手の体制が整っているだろうから被害も拡大する」
源田、そして草鹿のふたりはとても不満そうな顔をしている事に苦笑しながら言葉を続ける。
「これはすべて嫌がらせだよ。ここで戦果を求めるものじゃない」
「しかし、これでは恥ではないですか。さらに言えば卑怯。GFの考えは図りかねます」
ムスッと草鹿が艦橋を代表する様にそう口にした。
開戦劈頭、真珠湾を奇襲すると聞かされた南雲も、華々しくそこに居並ぶ戦艦や空母を撃破して凱旋するものだと考えていた。
残念ながら空母はそこに居なかった。
そのため、空母の撃ち漏らしは残念ではあるが、草鹿の言葉はその話ではない。
真珠湾奇襲作戦の内容は、海戦時点において作戦に投入出来る中型以上の空母7隻によって米太平洋艦隊の根拠地を叩くものだったが、当時の海軍軍人にとっては首を傾げる内容だった。
「隊長、俺らなら戦艦狙えました。あんな照準も不要なバラマキならヒヨッコでも出来ますよ」
飛行兵に囲まれた淵田に不満をぶち撒ける搭乗員もチラホラ現れる。
「お前たちの言いたい事は分かるが、それは次だ。次は思う存分技量を発揮して貰う」
淵田は彼らをそう宥めるのだった。
真珠湾奇襲作戦の内容を聞いた時、南雲は唖然とした事を思い出す。
「長官、それはどういう事ですか?大事な奇襲作戦を実験か何かと間違っているのでは?」
その問いかけに、司令長官山本は平然と返す。
「いや、実戦だよ。訓練や実験ではなくね。先年、イタリアのタラントが空襲されたが、戦果はどうだったね?すでに多くが戦列に復帰しているじゃないか。仮に我々が水深の浅い湾内で魚雷を何本命中させようと、損傷度合いによっては浮揚、再建されてしまうのは目に見えている」
南雲ははじめは呆れるしかなかったが、作戦の内容を見て納得するに至る。
先年、イギリス海軍がイタリアのタラントにおいて同じように港内に停泊するイタリア海軍目掛けて空襲を行った。
作戦は見事成功したのだが、結果から言ってしまえば簡単に浮揚、再建されている。消極的な艦隊保全に走るイタリアならともかく、アメリカに対して同じ手を使っても、わずかな時間で戦場に出てくることが予想されていた。
「分かりました」
南雲は作戦内容を理解し、山本の前を辞すのだった。さらに南雲は、僅か2週間ではあったが、とある施設での研修を受け、それまでとは考え方を大きく変える事にもなっていた。
そうして行われた真珠湾奇襲作戦において、第一次攻撃隊は戦艦、空母を第一標的として攻撃を行ったが、その装備に魚雷はなく、戦艦の徹甲弾を改造した八〇番爆弾、長年のロケット弾開発がようやく実った二五番四号爆弾による攻撃が行われ、飛行場や基地施設に対する攻撃には三番三号爆弾ないし六番爆弾が用いられた。
この攻撃で零式艦爆が投下した二五番四号爆弾は見事戦艦に命中したものの、開発時から予見されていた様に炸薬量が少なくあまり効果的とは言い難かった。
第二次攻撃隊はそのほとんどが六番ないし二五番三号爆弾を用いた陸上攻撃に投入され、一部が健在だった艦艇に対して攻撃を行っている。
艦艇に対しても高温の焼夷子弾は効果があり、艦上構造物に被害を与え、火災を誘発した。そして、建造物や石油施設に対しての攻撃で大規模な火災を発生させ、真珠湾一帯覆う黒煙が発生した事でそれ以上の攻撃が不可能となった。
さらに第二次攻撃隊には磁気機雷を搭載した編隊があり、湾内、水道部に約50個の機雷がばら撒かれることになった。
この攻撃で多くの艦攻、艦爆はただクラスター爆弾をばら撒くだけでこれまで訓練して来た雷撃や急降下爆撃を行うことが出来ず、不満を溜め、淵田らへの不満へとむかうのだった。
真珠湾攻撃を終えた艦隊は一部をウェーク島へと分派し、南雲達は日本へと凱旋する。
12月9日(ハワイ時間8日18時ごろ)、真珠湾へ帰投した空母エンタープライズは水道において触雷、艦底、推進器を損傷して水道を塞ぐように停止してしまう。この事で機雷の存在があらわとなり、艦船の湾内での移動がすべて禁じられ、すぐさま掃海作業が行われるが、安全が確認されるまでに2週間を要した。
さらに消火や瓦礫撤去の際には多数の不発弾が発見され、中には作業中に爆発し、再度火災が発生し犠牲者を出す事態にまで発展している。このため、がれきの撤去は慎重を極め、ひと月近く瓦礫撤去の妨げとなってしまった。
こうして真珠湾では海軍施設や航空施設が軒並み壊滅し、海軍司令部機能も建屋の焼失によって失われ、不発弾処理に時間を要したために洋上での作戦指揮に寄与する事も出来ず、エンタープライズが水道を塞いでいる事もあって空母レキシントンは洋上給油を受けて本土へと向かう事となってしまった。
こうして日本が思い描いた嫌がらせは成功し、真珠湾が再稼働するのは翌年夏まで待たなければならなかった。