少女の心にあるものは?(前)
「何を言われても私の答えは変わらない。私にはやらなきゃいけないことがあるの」
強い意志を持ってそう言った少女を前に、チトセはどうしたらいいか分からず途方に暮れていた。
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「次の仕事が入ったぞー」
デスクでパソコンと格闘していたチトセの後ろからサキが楽しそうに声をかけた。
チトセがここに来てから数日が経ったが、サキがデスクに座っている時間はほとんどなく、パソコンも朝立ち上げたまま毎日放置されている。
「サキさんってお迎え以外の仕事ってしてるんですか?」
「何言ってるんだ? お迎えがオレ達の仕事だろ?」
「それ以外にもあると思いますが」
「ははは。それより今回の仕事だ」
微妙な顔をするチトセを気にも留めず、サキは話を進めていく。
「月村沙織18歳。死因は飲酒運転の車による交通事故だ」
「交通事故……」
チトセは自分と同じような歳で同じ死因で亡くなったという少女に同情した。
まあ事故の原因を考えると同じ死因と言って良いのかは微妙なところであるのだが。
「さて、前にも言ったが事故っていうのは偶然の出来事だから情報が遅い上不完全だ。既に彼女が死んでから2日が経っている。悪魔共より先に見つけないといけないから時間との勝負だ。ってことで行くぞ」
「え! ちょっとデータ保存するから待って……」
慌てるチトセを無視してサキがくるりと指を回すと、次の瞬間には2人の姿はその場から掻き消えていた。
「データは保存出来たか?」
「おかげさまで!」
「おお、やるな」
悪びれもせずそんなことを言うサキをチトセはじとりとした目で見たが、サキはケラケラと楽しそうに笑うだけだったのでチトセはもうサキに関してはいろいろと諦めることにした。
「支給されたスマホと手帳は持ってるか?」
「スマホはあります。手帳は……ああ、ありました」
「おー優秀」
ポケットからそれらを取り出したチトセにサキは素直に感心している。
以前ハナに「この2つだけは肌身離さず持ってなさいね」と言われ、その時はそれくらい大切な物だという意味だと思っていたが、恐らくそうではなくこういう事態に備えてのアドバイスだったんだなとチトセは悟った。
「その手帳に今回の対象の情報が入ってくるからこまめに確認すること。対象の写真もそこに載ってるからそれ見て対象捜索な。見つけたら連絡。じゃ、解散!」
「えっ!? 解散って、サキさん!?!?」
「お前なら大丈夫!」
笑顔でそう言い残して、サキは再び一瞬で姿を消した。
「うぅ……オレまだこの仕事2回目なのに……」
独り残されたチトセは嘆きながらも言われた通り手帳を開いて確認した。
サキがいい加減なのはいつものことだが、今回いつも以上に乱暴にチトセを放り出したのはそれだけサキも急いでいたからだとチトセにも分かっている。
チトセも悪魔の危険性はハナからある程度説明を受けて知っている。そのためサキの対応に不満はあれど、そうすべきだったのだと割り切って今は目の前の仕事に集中しようと頭を切り替えた。
サキが飛んで来たここは事故現場らしいが、周りを見渡してもそれらしき人はいない。
チトセは少し考えてから、とりあえずまずは彼女の家に行ってみようと歩き始めた。
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「普通にいた……」
チトセは想像以上に早く見つかったことにホッとしながらも、自分の家の窓に張り付いて中を覗く、まるで不審者のような彼女に思わず声をかけるのを躊躇った。
とりあえずまずはサキに連絡しようとスマホを取り出し電話をかけたのだが……
『おかけになった電話番号は、現在電波の届かないところにいるか電源が入っていない為――』
「なんでだよ!?」
チトセが思わず叫ぶと、びくりと肩を揺らして振り向いた彼女と目が合った。
目が合ったことに動揺している彼女に、チトセはサキへの連絡を一旦諦めて彼女と話をすることにした。
「すみません、貴女は月村沙織さんですか?」
「は、はい……あの、貴方は?」
「説明したいんですけど……その前に話しにくいので一旦降りてきてもらえますか?」
沙織が張り付いていたのは2階の窓だった。そのためチトセは先ほどから結構な大声で叫んでいる。生前と同じく普通の人間の能力しか持たないチトセには2階のベランダまで上ることは出来ない。沙織はどうやって上ったのかとチトセが疑問に思っていると、彼女は慣れた様子でスルスルと雨樋を伝って降りて来た。
「運動神経がいいんですね」
「一時期パルクールにハマっていたもので」
褒められて照れくさそうに笑う沙織に、チトセは自分が彼女を迎えに来たことを説明した。
素直に話を聞き、疑う様子もない彼女にチトセはサキと連絡がついたら無事に終わりそうだなと思いほっとしていたのだが、話を聞き終わった彼女から返ってきた返事は予想外のものだった。
「チトセくんの話は分かった。けど、私はまだ行けない」
「え……えっ!? 何でですか?」
「まだ私にはやり残したことがあるの。それを完遂するまで、私はここを離れるわけにはいかないわ」
「やり残したこと?」
「それは、たぶん言っても理解してもらえないと思うから……」
「教えてください。オレに出来ることなら手伝いますから」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……ごめん、やっぱり言えない」
「でも、オレも月村さんを置いて行くわけにはいかないんです。……無駄に不安にさせてしまうと思って説明を省いたんですが、現在月村さんは悪魔に狙われています」
「えっ」
「え?」
チトセが悪魔と言うと、怖がるかと思われた沙織は逆に目を輝かせた。それにチトセが怪訝な顔をすると、沙織は慌てて「なんでもない」と言ったが、そわそわしながら話の先を促してくる態度から興味があるのは明らかだ。
「悪魔に見つかると喰われます」
「食べられちゃうんですか!」
おかしい、思ってた反応と違う。
チトセはどこか興奮した様子の沙織に、気を取り直してもう1度尋ねた。
「だからお願いします。オレは月村さんに喰われてほしくありません」
沙織はチトセの説得に一瞬だけ迷って視線を彷徨わせたが、結局首を縦には振ってくれなかった。
「何を言われても私の答えは変わらない。私にはやらなきゃいけないことがあるの」
「一体どうしたら……」
チトセの説得を断った後、沙織は室外機や出窓の屋根などを駆使し、あっという間に2階のベランダに戻ってしまった。
困ったチトセはもう1度サキに電話をかけたがやはり繋がらない。
悪魔が現れてしまうと、対抗手段を持たないチトセにはどうしようも出来ない。
彼らが現れても沙織が頷かなければ喰われることはないらしいが、言葉巧みに騙すような相手に、チトセにはサキのように上手く対処できる自信はない。
やはり悪魔に見つかる前に沙織を納得させるべきだろう。けれど頑なな沙織が理由を話してくれるとは思えない。
納得しなくても無理やり連れて行く方法もあるにはあるのだが、チトセは出来ればその手は使いたくなかった。
「……部屋の中が見えたら、何かわかるかな?」
呟いたチトセの視線の先には、隣のアパートの階段があった。
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「さて、どうするかな?」
チトセがアパートの階段を上がっていくのを、少し離れたところからサキが見守っていた。
サキはチトセより先に沙織を見つけていたが、近くに悪魔の気配がなかったためそのまま接触せず、今回はチトセに任せてみようと決めた。スマホの電源を落としたのもわざとだ。
チトセがちょうど沙織の真後ろまで上がったのを確認してサキもアパートの屋上にひょいと飛び乗る。
そこから気づかれないように沙織の張り付いている部屋を除くと、そこは予想通り彼女の部屋だった。中に誰かいるわけでもなさそうだ。
部屋にはコレクションケースがいくつも並んでおり、彼女の趣味であろうフィギュアやグッズが大量に飾られていた。机の上にも入りきらなかったのであろうグッズが置かれており、床にはぬいぐるみが無造作に散らかっている。サキは勝手に親近感を覚えた。まあサキの机の惨状はサキの趣味ではなく、リーンがどこかに行く度にお土産と称して買ってくるものを捨てられないだけではあるのだが。
どうやら沙織は所謂オタクのようだ。
サキは沙織の部屋と彼女の様子から大体の事情を察した。過去の対象にも何人か居たのだ。確か最後に聞いたのは1年前だったか。
窓に張り付いた沙織は一心にパソコンデスクに鎮座するノートパソコンを見つめていた。
「チトセは気づいたかな?」
「うーん……誰か居るわけではなさそう」
チトセはこそこそとコンクリートの手すりの影に隠れながら沙織の部屋を観察する。
女の子の部屋を除くという行為に後ろめたさがすごいが、今はそんなことは言っていられない。
「ってかすごいコレクション。月村さんってオタクだったんだ。話してて全然わからなかった。あ、あのグッズオレも好きだった漫画のやつだ。あ、昔ハマったゲームのグッズもある」
楽しくなってしばらく沙織のコレクションを眺めた後、チトセははっと本来の目的を思い出した。
けれど特に気になったものはなく、沙織自身に視線を移したところで彼女がじっとパソコンを見つめていることに気づいた。
「何か家族に伝えたいことがあるとか?」
「逆だよ、逆」
「ぎゃっ……」
突然真後ろから聞こえた声にチトセは驚いて叫びそうになり、慌てて両手で口を塞いだ。
「サキさん! 何で連絡つかないんですか!!」
「え? ああ、電源切れてたわ」
「もぉぉ……!!」
今更スマホの電源を入れるサキに、チトセは地団駄を踏んで全力で喚きたいのを堪えて代わりに頭を抱えて蹲った。
「それで、逆ってどういうことですか?」
「お、立ち直った?」
「立ち直ったというか諦めたんです」
「ははは」
サキは楽しそうに笑った後、チトセに説明してくれた。
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「パソコンのデータを消したい?」
「たぶんな。時々いるんだ。画像か文書か音源か、何かは知らんがそのデータが流出したら俺は死ぬって言う奴」
「もう死んでますよね?」
「そこは気分の問題だよ」
「ちょっとよくわからないです」
チトセは隠れていた手すりから顔を出し、再び沙織を見た。やはり彼女は同じ姿勢のままパソコンを見つめている。
「その人たちは結局どうしたんですか?」
「そりゃあちゃーんと連れて行ったさ」
「いや、そうじゃなくて」
わかっているだろうにそんなことを言うサキに呆れながらチトセは再度尋ねたが、サキはニヤッと笑っただけで何も答えなかった。
「じゃあ月村さんのデータも消してあげたら良いじゃないですか」
「オレは消したなんて一言も言ってないんだが?」
「顔に書いてありましたよ」
チトセに何か言おうとサキは口を開いたが、何かに気づいたらしく慌てて立ち上がって沙織の方を見た。そのサキの様子にチトセは悪魔が来たのかと思い同じように立ち上がって辺りを確認したが、どこにも悪魔の姿はなかった。
それにホッとしたのも束の間、チトセは視界に入った沙織の部屋の様子に目を見開いた。パソコンが浮いている。
宙に浮いたパソコンは最初はふわふわと漂っていたが、やがて小刻みに震えだし、次の瞬間バキッとすごい音を立てて真ん中から折れてしまった。
「月村さん!」
「うわっ!」
チトセはサキがやったのかと思ってそちらに視線を向けようとしたが、それより早く焦ったように沙織の名前を呼んだサキがチトセの腕を掴んで手すりを蹴った。一瞬の浮遊感の後、気づいたらチトセは沙織のいたベランダに立っていた。遅れて恐怖がやってきて、チトセは蒼褪めてドキドキとうるさい心臓を抑えた。
「月村沙織さん」
「はい! って誰? あ、チトセくん」
サキが名前を呼ぶと沙織は反射的に返事をした後怪訝そうな顔をしたが、後ろに知っている顔を見つけて思わず名前を呼んだ。
「やらなきゃいけないこと、終わりましたよね? もう行けますね?」
「あ、え? え??」
「心残り、無くなりましたよね??」
「あ、えと、はい、まあ」
「それは良かったじゃあ移動しますね」
「え、どこに……」
チトセも、話をしている筈の沙織さえも置き去りにして1人結論を出したサキは、くるりと指を回して2人をまとめて連れ去った。