死神のオフィスへようこそ(前)
「じゃあ、ちーくんのデスクはここね」
千歳がハナに案内された場所は入り口の近くで、周りではスーツを着た大人たちが何人か、デスクに座ってキーボードをたたいている。
どこからどう見ても普通の企業のオフィスだが、ここが死神たちの職場らしい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
うっかり居眠り飛び出し事故のせいであっさりと死んでしまった千歳は、どうしようもなく途方に暮れていたところサキという名前のサラリーマンと出会った。
サキは自分を死神と自称し、千歳の魂を迎えに来たと言う。
その後いろいろあって、最終的に千歳はサキにこのオフィスに案内され、生前の罪を清算するため死神として働くことになった。
現在、千歳はサキの同僚のハナに説明を受けながら廊下を歩いている。
千歳の掌の上には先ほど渡されたピンポン玉大の透明な星。中心には黒い靄が渦巻いている。
「これって、多いんですか?」
「一概には言えないけど、まあ平均的なんじゃないかしら」
ハナの返事を聞いて千歳はほっと胸を撫でおろした。
曰く、生前の罪は基本的に傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰の7種類の罪の重さで量られるらしい。
そしてその結果がこの星だった。罪が重いほど星が黒くなるという。
「私が知ってる限りは犯罪者でもない限りは大体そのくらいの色ね。それにしても貴方が自殺じゃなくて安心したわ」
「ははは。それサキさんにも最初に確認されました」
「自殺は最も重い罪よ。星も真っ黒に染まってしまう」
ハナの悲しそうな顔に千歳は何も言えなくなる。
生前の知識から考えると、決して少なくはないのだろう。
「この星ってどうすればいいんですか?」
「ああ、大体みんな自分のデスクの引き出しに入れてるわ。そのままでもいいけど、色を見られたくないから専用の袋に入れているっていう人が多いわね」
空気を変えようと話題を変えた千歳に、ハナは自然に乗って流れを変えた。
「見られたくないものなんですか?」
「そりゃあ自分の罪の量なんてあまり進んで公開したくないじゃない?」
「それもそうか」
答えながら、他の人の星と比べてみたかった千歳は少しがっかりした。
「私の星なら見せてあげるわよ」
「えっ? いいんですか?」
千歳が残念そうにしているのに気づいてハナがそう提案した。
「説明のためとはいえちーくんのを見せてもらったからねぇ。構わないわよ。はい」
そう言って見せてもらったハナの星は、千歳のものより靄の量が少ないように見えた。
「オレの方が黒い……」
「そりゃあ私だってもう結構ここで働いてますからね」
「あ、そうなんですね。なんていうか、見た感じが若いと分からなくなりますね。というか若い方が多いように見えるんですけど」
「ふふ、そうねぇ。とりあえずはい、これ。私の予備だけど使って」
ハナが自分の星を袋に入れたあと、千歳にも袋をくれたのでお礼を言って千歳も自分の星を袋に入れた。
そのタイミングでちょうど目的地に着いたようで、ハナはデスクが並ぶフロアの一角にある机の前で止まった。
「じゃあ、ちーくんのデスクはここね。基本的には好きなように使ってくれていいんだけど、あんまり汚いと怒られるから気をつけて」
「あの、はい」
ハナの言葉を聞きながら隣のデスクが目に入ってしまい、千歳は曖昧な返事をした。
ハナはすぐにそのことに気がつき、千歳の視線の先に呆れた顔をする。
「隣、サキのデスクね」
混沌としている。
それが千歳のそのデスクに対する感想だった。汚れているのではない。ただひたすらに物が多いのだ。
机の真ん中に鎮座しているパソコンは電源が入っているが、そのキーボードの前の本来腕が置かれるべき場所まで物が溢れかえっており果たしてその状態でどうやって使うのか。
それらはフィギュアや観光地のお土産、一見何かの儀式の道具に見える何かよくわからないものなど、おおよそ仕事に使うとは思えないものばかりだ。
「これは、怒られないんですか?」
「怒られてるわよ。その時には一応片付けてるみたいだけど、大抵1週間もしたら元に戻ってるから上も半分諦めてるわね。ちーくんももしアイツの物が貴方のデスクに侵食してきたら上の為にも遠慮なく捨ててやって」
「わ、わかりました」
千歳は苦笑いをしながら再び視線を自分のデスクに移した。デスクには『チトセ』と書かれたプレートがついている。
「改めまして、チトセくん。ようこそ、オフィス·リインカーネーションへ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「よう」
「あ、どうも」
先程出会ったハナから粗方の説明が終わったと聞き、サキは真新しいデスクでパソコンと格闘しているチトセに声をかけた。
その説明も本来なら相棒兼教育係となったサキの役割のはずだったが、これまでのサキの教育を見てきてそのいい加減さをよく知っているハナから「最初の教育は私がやる」と言われたためありがたくお願いしていたのだ。
「慣れた?」
「そんなわけないでしょう?」
「まあお前ならすぐ慣れるだろ」
「何を根拠に」
「ははは」
サキは自分のデスクに座ると、仕事をするでもなくチトセの様子を観察している。
チトセはサキがどうやって物に埋もれたパソコンを使うのか見てみたいという至極どうでもいい衝動に駆られた。
「それ終わったら初仕事な」
「えっ!? もうですか?」
「オレは習うより慣れろの教育方針だ」
「オレはある程度は習いたいです」
「先輩特権で却下する」
サキの言う『初仕事』というのは、死者の魂を導く仕事のことだ。
仕事の概要や事務処理方法や星について、デスク周りやオフィス内の案内等、ここまでの説明は全てハナが行ってくれたため、その初仕事がサキとする最初の仕事となるのだが、チトセはサキのパワハラともとれる宣言に不安しかない。
「まあそんな心配しなくても大丈夫だから。何かあったら聞けば答えるし」
「それは聞かないと答えてくれないってことですよね?」
「おお、やっぱしっかりしてんな」
「素直に喜べないです」
言いながらチトセがパソコン作業を終えたのを見計らってサキが席を立つ。
「とりあえず、置いていくのだけは勘弁してくださいね」
「そんなことするわけないだろ?」
チトセがサキが自分を迎えに来た時のことを思い出してそう言うと、サキはきょとんとして何を当然のことをと言いたげに宣った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「今回の対象は綿町の35番地に住む柳沢梅子さん103歳。死因は老衰だから、時間も場所もわかってる比較的簡単な仕事だ」
「わからないこともあるんですか?」
「寿命以外は運命なんかじゃなく偶然の結果だからな。お前だって1週間待っただろ」
「そういえば。じゃあ寿命以外で亡くなった人たちのことはどうやって調べるんですか?」
「オレたちみたいな回収班とは別に監視班がいるんだ。そいつらが全ての魂の状態を監視してて、異常があれば要請が出るようになってる」
「へえ」
サキの説明を聞きながら、そういえばハナが他にもいろいろな部署があると言っていたことを思い出した。
「ここってどれくらいの人が働いてるんですか?」
「んー? 多すぎてわかんねーな。リーン様なら把握してるんだろうけど」
「サキさんはリーン様に会ったことあるんですか?」
リーン様、というのは、輪廻転生の女神様のことで、このオフィスはリーンの眷属である。
チトセはまだリーンに会ってはいない。
「あるぞ。ってかチトセは会ってないのか? あの人ならすぐに会いに来そうなもんだが」
「え? 女神様がわざわざ会いに来てくれるんですか?」
「そういう人だからな」
神々しい女神を想像していたチトセはサキの言葉に驚いた顔をし、それを見てサキは可笑しそうに笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
チトセはここに来た時のようにくるりと指を回して移動するのかと思っていたが、前回の規則違反の罰として現在サキの使える力の一部が制限されているらしく、移動の力もその対象だという。
そのためそれが使えない人が通る道があるということで、今回はそちらを使って現場に向かうらしい。
建物から外に出たところで、何か白いものが目にも止まらぬスピードでサキに突っ込んできた。
「サキ―!!」
「うぐっ!!」
苦しそうなうめき声をあげて建物の中に舞い戻ったサキをチトセは慌てて目で追って、サキを吹き飛ばしたものを認識し目を見開いた。
そこにいたのは白い翼に、緩くウエーブした肩で切りそろえられた銀色の髪を持った少女だった。
チトセはよく似た姿の少年を見たことがある。
「悪魔!?」
名前を呼びながら吹き飛ばした後、倒れてしまったサキに抱き着いていた少女はチトセの言葉に反応し不機嫌そうな顔で振り返った。その瞳はやはりあの時の少年と同じ金色をしている。
「あんなのと一緒にしないでくれる?」
「え? ごめん」
チトセにはよくわからなかったが、少女は悪魔と言われたことが不快だったようだ。
「キティ、重い」
「失礼ね! 重くないでしょ?」
「弾丸みたいに飛んでこなければな」
キティと呼ばれた少女が立ち上がることでようやく解放されたサキは立ち上がって背中についた埃をはらった。
「キティ、こいつチトセ。オレの新しい相棒」
「ああ、この子が。ふーん。私はキティ。リーン様の秘書みたいなものって思ってくれたらいいよ」
「あ、はい、よろしくお願いします」
立ち上がったサキの腕に抱き着きながら笑顔で話すキティにチトセはつい気になって聞いてしまった。
「つきあってるんですか?」
チトセとしてはこの上なくストレートに聞いたつもりだったが、サキは本気で分かっていないようできょとんとしている。
しかしキティには正確に伝わったようで、けらけらと可笑しそうに笑った。
「私とサキが? ないない! 私からすればサキはいつまでも可愛い子どもだよ」
キティの言葉にサキもようやく理解したが、子ども扱いに顔を顰めるだけで特に何も言わなかった。
見た目は完全にキティの方が子どもだが、ここにいる人たちは見た目通りの年齢ではない。恐らくサキよりキティの方が年上なのだろう。
「んで、何かあったのか?」
「いんや? リーン様がサキとサキの新しい相棒に会いたがってたから、今超忙しいリーン様に代わって会ってあげようと思って」
「また拗ねられるぞ?」
「拗ねた顔もまた可愛いから良し」
良い笑顔で親指を立てるキティに、チトセはまたリーンの神々しい印象が崩れていくのを感じた。
「じゃあ用はないんだな?」
「強いて言うなら遊びに来た」
「悪りぃが今から仕事だ」
「えー! 私と仕事どっちが大事なの!?」
「今は仕事だな」
「即答じゃん。ひどー」
キティはサキのことを子供だと言っていたが、2人のやりとりは端から見て完全にキティが子供であった。
サキは苦笑しながら拗ねてむくれているキティの頭を優しく撫でている。
「帰って来たら会いに行くから、それまでリーン様のことよろしくな」
「むー……約束だからね!」
「ああ。約束な」
「じゃあチトセもせいぜいジロウみたいにサキに振り回されないようにがんばってね」
「あ、ありがとうございます?」
キティはすっかり蚊帳の外になっていたチトセに声をかけるとふわりと飛び上がり、自然にサキの額にキスをして名残惜しそうに帰っていった。
「よし、じゃあ……」
サキがキティを見送った後、出発しようと振り返るとそこにいたチトセが何とも言えない顔でこちらを見ていた。
「何だ?」
「いえ、あの……本当に恋人ではないんですよね?」
「はあ? そんなわけないだろ? あいつは、そうだな……悪友?」
「悪魔だからですか?」
「あいつは悪魔って言われるの嫌いだから本人の前では言ってやるなよ? 悪友ってのは言葉通りの意味だ」
「はぁ」
チトセはサキの言うことがいまいち理解出来ず曖昧な返事を返したが、サキはキティとの関係を表す言葉としてこれ以上最適なものはないと一人自分の出した答えに満足していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これで移動するんですか?」
「そうだよ」
サキは開いたドアに当然のように入っていくが、チトセには違和感しかなかった。
「どう見てもエレベーターですよね?」
「まあ似てるよな。作った奴がエレベーター好きだったからな」
「え? そんな理由?」
「世の中だいたいそんなもんだ」
2人が乗り込んだ一見エレベーターにしか見えない設備は、中も見事にエレベーターだった。
見上げれば階数表示があるし、緊急時の連絡ボタンもある。
ただ本来階数が書かれているはずのボタンだけは、階数ではなく地名が書かれている。
「綿町の35番地だから……30番地の公園でいいか」
そう呟いてサキがボタンを押すと、やっぱりエレベーターのように下に下っていく。
窓から見える景色が無機質なエレベーター内部に代わってからしばらくすると、ポンと軽い音がして降下が終わった。
チトセが外に出て今出てきた場所を確認すると、そこは公園近くの歩道橋のエレベーターだった。
「こんなところに死神オフィス行きのエレベーターが……」
「オレら以外には普通のエレベーターだよ。行くぞ、キティのせいであんまり時間がない」
サキがいつかのように手帳を確認しながら足早に歩き出したので、チトセも遅れないように慌ててその背中を追った。