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少年は近所の公園で自称天使と出会う(前)

 平日の昼下がり、市営アパートの隣のとある小さな公園。

 子供たちがはしゃぐ楽しそうな声とその母親たちのおしゃべりが響く中、公園の一角にあるそのベンチだけどんよりと重たい空気が漂っていた。

 ベンチには制服を着た高校生らしき少年が腰掛け、虚ろな目で遊ぶ子供たちを眺めている。

 その様子も、また平日の昼下がりという時間帯からしてもこの場には異質な少年だが、彼の隣のベンチでおしゃべりに興じている彼に見つめられている子供の母親たちでさえ、彼のことを不自然な程に気にとめていなかった。


「はぁー……」


 やがて少年は重いため息を吐いた後、両手で顔を覆って俯いてしまったがやはり周りは無反応だった。



 俯いてしまった少年に影が落ちる。

 それに気づいた少年はしかし顔を上げず、目だけを動かし指の間から確認した。

 想像通り見えたのは人の足だ。目の前に誰か立っているようだが、少年は気にせず再び目を閉じて視界を遮った。


三和(みわ)千歳(ちとせ)くん?」


 目の前の誰かに声をかけられ、少年――千歳は勢いよく顔を上げた。その顔は驚愕と恐怖で彩られている。


「あんた……()?」


 『誰』ではなく『何』。

 その失礼極まりない質問に、千歳の目の前に立っていた男は気を悪くした様子もなくにっこり笑って答えた。


「僕? 天使♡」

「……は?」


 先程までの警戒心はどこへやら、想定外の回答に千歳はぽかんと口を開けたまぬけな顔で目の前の男を見上げた。

 黒髪で中肉中背、うっすらとストライプの浮いたダークグレーのスーツ、ビジネスバッグに革靴。

 童顔でどちらかといえば格好いいというより可愛らしい顔立ちだが、アイドルという程でもない。

 瞳だけは角度によって赤にも黒にも見える印象的な色をしているが、それを加味してもどこからどう見てもただのサラリーマンである。


「あれ? ダメ? うぅーん、やっぱダメか」


 その上自分で言っておいて自分からそんなことを言い出すものだから、千歳はもう意味がわからない。


「じゃあ、死神」


 しかし続いて放たれた男のその言葉に、再度千歳の顔が強張る。

 男はその反応がわかっていたようで、苦笑しながら手をひらひらと振った。


「別にこれそっちに分かりやすい呼び方ってだけで正式名称じゃないんだけど……まぁそういう反応になるわな。君、今の自分の状況って分かってる?」

「今の……状況……」

「そー。今君がどういう状態で、なんでここにいるかとか」


「オレは………………死にました」

「うん」


 たっぷりと間を置いた後、千歳は絞り出すような声でそう言った。その顔は苦しそうに歪んでいる。


「テスト期間で……勉強したくなくて……」

「うん」

「そういうときって無駄に部屋の掃除とかしたくなって、息抜きのつもりがついつい本気だしちゃって」

「うん」

「うっかり掃除で徹夜しちゃって、テストもボロボロで」

「うん」

「めちゃくちゃ眠い中それでもなんとか歩いて帰ってたら交差点で赤信号にひっかかって、気を抜いてうっかり立ったまま寝ちゃって、そこから意識はないけどたぶん車道に倒れて車に……」

「うん。状況は分かってるみたいだな」

「オレの馬鹿!!」


 千歳は再び頭を抱えた。

 そのうっかりしてるところを何とかしろと親や友人に事ある毎に言われていたが、自分でどうこうできるものじゃないとあきらめて聞き流していたバチが当たったのかもしれない。流石にこれは笑えない。


「あー、まあ元気だせよ」

「死んでるのにどうやって元気出すんですか」

「まあ次の人生では気をつけろよ」


 人が死んだというのにどこまでも軽く相槌をうってくる男を千歳は軽く睨んだが、慣れているのか男は気にした様子もなくカバンの中から取り出した手帳を開いて確認し始めた。


「一応確認するが、自殺じゃないんだな?」

「違う!!」


 叫ぶように否定した千歳に男は驚いて手帳から顔を上げた。


「……この週末には姉ちゃんの結婚式だったんだ。最悪だ……オレのせいで……」

「ふむ」


 膝の上で拳を握りしめて俯いてしまった千歳を見ながら、男はカバンからスマホを取り出しどこかに電話をかけ始めた。


「あ、オレオレ。対象発見。そうそう、うん」


 千歳は目の前で話し始めた男をぼんやり眺めながら、ようやく自分がこれからどうなるのか考えてみた。

 男の言葉を信じるなら目の前の彼は死神で、恐らく今話している()()というのは千歳のことだろう。

 次の人生では、と言っていたことから、死神というのは死んだ人間を次の人生に導く存在なのかもしれない。

 ならばこんなところでのんきに話なんてしてないでさっさと連れて行ってくれればいいのに。

 そうしたらきっと生まれ変わるから、この気持ちも忘れてしまえるのに。


 千歳がそんなことを考えながら電話する男を眺めていると、男が妙なことを言い出した。


「場所? 雪町の52番地の公園だけど、ちょっと今からしなきゃならんことがあるからその辺で時間潰しておいてくれ。え? うーん、1週間くらい?」


 恐らく電話の相手が怒鳴っているのだろう、男は嫌そうな顔をして電話を耳から遠ざけた。

 千歳は顔を顰めた。男の言う雪町の52番地の公園というのはここではない。ここからだと県を2つほど超えた先にある、有名な大きな公園だ。千歳も小さいころ何度か連れて行ってもらった記憶がある。


「まあまあ、心配しなくてもちゃんと用が済んだら連れていくから。あれだったら上で待ってても……わかったわかった。はいはーい待ってまーす」


 男は電話を切ると千歳の方を向いた。


「じゃあ行くか!」


 そう言って男は返事も待たずに歩き出した。

 千歳はどうするべきか迷って動けずに遠ざかる男の背中を眺めていたが、公園の入り口に差し掛かったところで千歳がついてきていないのに気が付いた男が足を止めた。

 振り返って手招きしている男を見て、ここで腐っててもしょうがないとやるせない気持ちをため息と共に吐き出してベンチから立ち上がった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「僕はサキ。好きなように呼んでいいぞ」

「はぁ……」


 そういえば名乗っていなかったと思い出したサキが自己紹介をすると、千歳は気の抜けた返事をした。

 サキ達の仕事は行き場所が分からず彷徨っている死者の魂を保護して導くことだ。

 天寿を全うした場合には事前に情報が入ってくるが、事故や事件は偶然の産物であるためふんわりとした情報しかわからない。

 そのため千歳の事故も、この辺りで三和千歳という人間が死んだ、程度の情報しかなく、見つけ出すのに1週間もかかってしまった。

 サキから見て、三和千歳という人間は本当にどこにでもいる普通の高校生だった。

 髪は校則違反ギリギリと思われる明るい茶色に染められているが、ピアスが開いている様子はない。

 制服も微妙に気崩しているがだらしないほどではなく、この程度なら注意されることもないだろう。

 少し話をした感じからしても、どちらかといえば真面目な子という印象だ。

 試験期間中の交通事故、という状況に自殺ではとひやりとしたものが過ったが、本人が力強く否定したのを見るにどうやら違ったようだ。

 サキは顔には出さなかったが、無事に千歳を発見できたことに内心安堵していた。

 あまり発見が遅れると、サキ達とは別の集団に見つかり、その魂を喰らわれてしまうことがある。

 喰われた魂は二度と転生することは叶わず、腹の中で永遠の苦しみに囚われることとなると言われている。


 しばらく無言で2人並んで歩いていたが、沈黙に耐えられなくなった千歳が少し考えた後口を開いた。


「どこに向かってるんですか?」

「ん? 君の家」

「え? オレの家?」


 尋ねる千歳の顔には特に不安な様子は見られず、純粋に質問を口にしただけのようだ。

 そのためサキも事実を簡潔に答えたのだが、千歳にとってその答えは予想外だったらしい。

 恐らく天国だとか地獄だとかそういったところに向かっていると思ったのだろうとサキは予想をつけた。


「そー。あ、うろ覚えだから間違ってたら言ってな」

「あ、はい。じゃなくて! なんでオレの家?」

「君は」


 不思議そうな顔をしている千歳を見て、サキもまた不思議そうな顔で首を傾げた。


「お姉さんの結婚式が心残りなんだろ?」

「えっ!?」


 千歳は心底驚いた反応をした後、すぐに難しい顔をした。


「姉は今海外にいますよ?」


 サキが最期の別れとして千歳を姉に合わせようとしていると思ったのだろう。

 広義的な最終目的としては間違っていないのだが、千歳の家に向かっているのは別の目的のためだ。

 千歳の姉が数年前から海外にいることも、挙式が海外で行われる予定のこともこの1週間の間に追加情報として知らされていた。


「うん、知ってる」


 サキの意図するところがわからない千歳が怪訝な顔をし、それを見たサキが苦笑して軽く説明する。


「君が不安に思ってるのはお姉さんの幸せを壊してしまうことだろ? だったらまずすべきことは現状の確認だ。だから君の家族の話を聞きに向かってる」

「話ができるんですか!?」

「いや、話をしているところを盗み聞きしてくれ」

「あ、そういう……」


 もしかしたら最後の別れを伝えることができるかもしれないと期待してしまった千歳は肩を落とした。ついでに盗み聞きというのも仕方がないとはいえひっかかったらしく、微妙な顔になった。


「サキさん、もし姉の結婚式が中止になったりしてオレの後悔が消えなかった場合、オレはどうなるんですか?」


 再び千歳が沈んだ声音のまま質問してきたが、サキは今度は千歳の言わんとすることが分からなかった。


「うん? 別にどうにもならないが」

「どうにもならない?」

「普通に然るべき手続きを踏んで、普通に生まれ変わる」

「え? え? 心残りがあるから成仏できないんじゃないの!?」


 サキはここでようやく先ほどの千歳の質問の意味を理解した。

 千歳はどうやらサキが千歳のことを成仏させるために心残りを解消しようとしていると考えたらしい。

 しかしサキ達の仕事は死者の魂を見つけて然るべき場所に導くことであり、それには魂に心残りがあろうが魂本人が拒否しようが全く何の問題もない。


「みんなそんな反応するんだけど何でだ? 君たちが死んだ後ここに留まるのは、行く場所がわからないからだ。だから僕たちが迷子の魂を迎えに来るんだよ」

「迷子」


 まさかそんな単純な理由だったとは。

 千歳は唖然としてしまったが、同時に浮かんだ疑問をサキに尋ねた。


「じゃあなんでこんなことしてるんですか?」

「え? だって心残り残したまんま過ごすのってヤじゃない?」

「え? 生まれ変わるんですよね?」


 まさか心残りがあると転生先でも記憶の奥底にこびりついたまんまだったりするんだろうか、と千歳は嫌な想像をしてしまう。

 しかしサキの言葉がその想像を否定した。


「生まれ変わるのは生まれ変わるが、その前の手続き次第じゃ何十年、ヘタすりゃ何百年も後になる。まあこの辺の詳しい説明は後でしてもらえるだろうから省略するが、その間君は君のまま過ごすことになる。な? ヤだろ?」

「それは……」


 千歳はすぐに生まれ変われると思っていたのだが、残念ながらそうではないらしい。

 しかもサキが言うには、その転生待ちの間ずっとこの後悔を抱えて過ごさなければならない。それは――


「ヤですね」

「だろ?」


 そう言って笑うサキの顔を見て、千歳は死んでから初めて笑みを浮かべた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ここで合ってるか?」

「は、はい」


 2人は青い屋根に白い壁で2階建ての、どこにでもある一軒家の前に立っていた。

 表札には三和と書かれている。


「よし、じゃあ僕が今からドアを開けるから、その隙に君は家の中に侵入してくれ」

「なんかスパイ映画みたいで緊張します」

「心配しなくても君の姿は見えないからそんな緊張しなくても大丈夫だ。あ、でも物や人には一方的にぶつかるし、ドアに挟まれたりしたら魂ダイレクトだからめちゃくちゃ痛いから気をつけてな」

「突然のハードモード宣告止めてください」


 千歳が深呼吸をした後覚悟を決めて頷くと、サキは千歳と並んで玄関の前に立ちおもむろにチャイムを鳴らした。

 それに千歳がぎょっとしてサキの方を見ると、更に驚くべきことにそこにいたのは先ほどまで一緒にいたサラリーマンではなく、自分と同じくらいの歳の、千歳とは違う制服を着た少年だった。

 千歳の方を見ていたずらっぽく口角を上げたその顔の瞳の色を見て、千歳は不思議なことにその少年をサキだとすんなりと認識した。


『はい』


 数秒後、インターホンの向こうから返事があった。千歳の母の声だった。


「あのー、今日千歳くんと約束をしていたんですけどいますかー?」


 流れるように嘘をつくサキに千歳は呆れたような視線をよこし、インターホンの向こうの千歳の母は息をのんだようだった。


『……ちょっと、待ってもらっていいかしら』

「はーい」


 言われた通り玄関で待っていると、1分もしないうちにドアが開いた。


「千歳のお友達よね?」


 中から出てきたのはやはり千歳の母親で、彼女はまっすぐサキを見ながら問いかけた。

 すぐ隣にいるはずの千歳には全く気付いていないようで、視線を向けることもない。


「はい。阿武(あんの)幸貴(さき)です」

「そう……あのね、ごめんなさい。ちょっとショックな話をしてしまうのだけど……」


 今にも泣きだしそうな母の話をこれ以上聞いていられなくて、彼女の横をすり抜けた千歳は1週間ぶりに我が家に帰宅した。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 翌朝7時、サキが玄関前で待っていると千歳が父の出社に合わせて家を出てきた。

 憔悴しきった両親と共に過ごす夜は千歳にとって辛く耐え難いものであったが、その甲斐あっていい情報が手に入ったらしい。


「よう! お疲れ」


 サキは千歳の姿を見つけて声をかけた。

 その姿は元のサラリーマンに戻っている。


「どうだった?」

「苦しかったです」

「そうか」

「自分の馬鹿さ加減に死にたくなりました」

「それは良くないな」


 サキは相槌をうちながら静かに千歳の話を聞いた。

 そんなことが聞きたいわけではないということは千歳もわかってはいたが、頭とは裏腹に言葉が勝手に口をついて止まらなかった。


「最近ちょっと親が鬱陶しいって思ってて」

「うん」

「自分が悪い癖に怒られたら言い訳して逆ギレして」

「うん」

「手を、出したことはなかったけど」

「うん」

「親孝行も……まだ……してなかった……」

「みんなそんなもんだよ」


 話しているうちに千歳の声はだんだん震えてきて、やがて耐え切れずしゃがみこんで唸りながら涙をこぼした。

 それは千歳が死んでから初めて流した涙で、頭の片隅からどこか冷静な自分が死んだ後でも涙は流れるんだなと至極どうでもいい感想を抱いていた。

 サキはそんな千歳を慰めるでもなく、しかし急かすこともせずただ静かに見守った。


 しばらくして落ち着いた千歳は先ほどまでの自分の態度が急激に恥ずかしくなり、それをごまかすためにだいぶ乱暴に目元を拭った後立ち上がり不自然に大きな声を出した。


「えっとそれでですね! 姉のことなんですが」

「なんだ、泣き言はもういいのか?」

「大人ならそこ流してもらえません!?」

「ははは。大人じゃないんでな。それで?」

「~~~!! それで! オレが死んだことは姉にはまだ伝えないそうです!」

「へぇ。良かったじゃないか」

「そうですね!!」


 昨夜千歳が聞いた両親の話は、明後日に迫った結婚式についてと、姉に千歳のことをいつ伝えるかについてだった。

 当日は体調を崩して叔母の家で留守番しているとごまかすそうだ。


「なら結婚式は予定通りするんだな」

「はい」

「ん。良かったな」

「はい。なんていうか……安心しました」

「そうか」

「はい」

「よっしじゃあお前も準備しとけよ?」

「……はい?」


 意味が分からず首をかしげる千歳に、サキがにやりと笑って口を開いた。


「結婚式、君の両親と一緒に行くぞ」

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