4-1.まさかの婚約破棄
1.まさかの婚約破棄
「アスティレア・クラティオ。残念だが、君との婚約は破棄させてもらう」
その言葉に、私は目の前が真っ白になった。
何を……言ってるの?私はショックで動けない。
そんな私を見て、彼は満足そうに笑いながら続ける。
「君がショックを受けることは分かっていたが、仕方ないだろう?
最近の君の態度を見て、俺の妻にはふさわしくないと思ったのだ」
そんな……ちょっと、待って!
私は混乱する気持ちを抑え、目の前の彼に尋ねた。
「あの、それは、私に言ってらっしゃるのでしょうか?」
それを聞き、彼は私を馬鹿にするような顔で笑って言った。
「他に誰がいるというのだ? アスティレア」
私は思わず後ずさった。そして周囲を見渡す。
多くの侍従や兵士が見守る中、必死で知っている顔を探すと、
私の仲間であるリベリアが恐怖の表情で彼を凝視しているのが見えた。
うん、そうだよね。これはホラーだ。この上ない恐怖体験だ。
その横でクルティラは、不快そうな表情で扇子を構えている。
あの扇を一振りすれば、この男を黙らせることは出来るけど
その前にこの場にいる人々の誤解を解かないと。
まずは落ち着こう。私は大きく息を吸い込む。
……婚約破棄、ですか。いきなり「主文」なのはともかく、
判決には必ず「理由」が必要だが、今回はそれ以前の問題だ。
私は眼の前の、30才は過ぎているであろう、小太りの男を観察する。
彼は身につけているものや立ち位置からして、
この国に数多くいる王子の一人だと推測された。
「恐れながら殿下、私と殿下はお話しするのは初めてであり、
もちろんご紹介いただいておりませんので、
お名前も存じ上げておりません。
誰か他の方とお間違えではないでしょうか」
それを聞いて彼はちょっと面倒そうな顔をした。
「婚約破棄されるからと言って、慌てて疎遠なフリをするな。
俺と君との仲は、俺たち自身が一番よくわかっているだろう?
まあ表立った振る舞いは、お互い避けるようにしていたがな」
気持ちの悪さと怒りでかっとなりかけたが、必死に穏やかさを保って言い返す。
「いいえ。私はこのルシス国に起きている不可解な事例を解決するために、
皇国よりメイナ技能士として派遣されました。
どなたとも私的な交友関係を築いたことはございませんし、
まして婚姻の話など、一切出てはおりません」
そう、いつものように、仕事で来ているだけですから。
このルシス国は一年を通して温暖な気候であり、大変住みやすく
食料資源は国外に販売できるほど有り余っている。
何より、この国の湖に住む魚が分泌する物質が
需要の高い医薬品などに使われているため
経済的には大変豊かだし、とても平和な国だ。
しかしここ数年、国内で魔獣や妖魔の被害が多発している。
それだけならまだ分かるが、その被害発生の仕方が不自然なのだ。
妖魔や魔獣はただ出現しているのではなく、
何らかの人為的な要素が感じられ、
出現の場所やタイミングに規則性が見受けらた。
これは何らかの手法で、魔獣や妖魔が操作されている可能性が高い。
そしてそれをコントロールできるのは、
禁忌とされている古代装置くらいしかないのだ。
皇国はそう判断し、だからこそ私が派遣されたのだけれども。
私の完全否定に、周囲の侍従や兵は妙な顔をして王子らしき人物を見ている。
彼は少しイライラしながらも、小さな子をたしなめるように言う。
「そう拗ねるな。君が俺の妃にふさわしいかどうか見極めるまでは
話を具体的に進めるわけにはいかなかったのだ。
しかしまあ、君があまりにも妻としての振る舞いに理解に乏しいため、
君には申し訳ないが、この話はなかったことにしようと思ったのだが?」
ニヤニヤしながら、どうする?といった表情で私を見ている。
私はまだ唖然としていたが、
これ、もしかして本気でヤバイ奴かも、と焦りが増していく。
自慢ではないが、舞踏会などで一目惚れされ
交際や結婚を申し込まれたことなど多々ある。
しかし勝手に婚約していたことにされ、
しかも解消したいと言われるのは初めてだ。
周囲がザワザワしている。ダメだ、ここははっきりしておかないと。
「殿下が何のお話をしているか分かりかねますが、
私はここに仕事で参りました。
ですからメイナ技能士としての仕事を全うするのみで……」
「まあ、落ち着け。そんなに仕事、仕事と言うな。
別に仕事に逃げる必要はないのだぞ?」
彼はやれやれ、と首を振って、わたしの言葉を遮る。
その言葉だけでも、胸倉掴んで往復ビンタを張ってやりたいくらいだったが
彼はさらに、ニヤつきながらあごを突き出して私に命じたのだ。
「君が心を入れ替え、態度を改めるというなら
もう少し選考の時間を伸ばしてやっても良いのだぞ?
君のメイナの能力は高く、我が国に貢献できるレベルだから
切り捨てることには、俺も少々迷いが生じているのだ。
どうだ? 妻としての正しい振る舞いができそうか?」
我が国に貢献できるレベルどころか、世界に貢献してますが。
そう言いたいのをぐっとこらえる。
この小太りオッサンは、ところどころ正気らしい。
私が自分に好意があって婚約したというのは妄想。
自分の思うように動かしたいというのは願望。
それらを現実とごっちゃにしているけれど、
いなくなると国が困る、ということだけは分かっているのだ。
そりゃそうだよね、私が来てから、実質の被害はゼロなんだから。
豊かではあるが、この国はメイナが使える者が少ないのだ。
メイナとは魔を退けさまざまな奇跡を起こす、聖なる力だ。
魔力のようなものだが、単なる”不思議な力”というわけではなく
一定の秩序やルールを持った、公正さや正義のための力である。
私は皇国の認めるメイナ技能士なのだ。……一応、表向きは。
一生懸命働いていたのに、なんでこんなこと言われるんだ?
そう思うと怒りが湧くが、彼の言葉の気持ち悪さに、
それはだんだん吐き気に変わっていく。
「お断りします。選考など無用です。
私は仕事で来たので、妻としての振る舞いなど、絶対にいたしません」
怒りに震える私をかばうように、リベリアが前に出て、
「アスティレア様とはどのようなお話をされていたのですか?
私はいつも一緒におりますが、直接お話されるのは今日が初めてかと」
クルティラも私の前に立って言う。
「そもそもアスティレア様には皇国に婚約者がいらっしゃいますから、
そのような話が出るわけはございませんし」
二人とも、ありがとう。 他の人からの言葉なら届くかも。
案の定、彼はビックリして一瞬固まったが……
ああ、と何かに気付いたようにひとり納得し、ニヤニヤと笑いだす。
「侍女も主人のために必死だな。
そのような嘘を言えば、私が嫉妬するとでも思ったか?
だから女は浅はかなのだ」
クルティラの紫の目が翳った。怒ってるな、さすがに。
ちょっと小太り! 早く逃げたほうが良いんじゃない?
王子らしき人物は気持ち悪い笑みを浮かべたまま、ゆっくりと私に近づく。
「そりゃ、話すところを見たことはなかったろう。
いつも俺たちは手紙でしかやり取りしてなかったからな」
……手紙?
「君が寄こす熱烈な求愛の言葉には困惑したが、
まあ紳士として無下にはできないと思ったのだ」
「ああ!やはり人違いですね!
私はこの国に来て、一度も手紙など書いたことありませんし」
私が叫ぶと、王子は、サイドテーブルにあった紙の束を指し示す。
「おいおい、恥ずかしいからといって嘘をつくな。
あれだけたくさん寄越してきたじゃないか」
私はその書類を見て凍りつく。これは……。
「……殿下、そちらは報告書です」
私の言葉に、はあ?といい、憐れむように苦笑いする王子。
「俺に想いを伝えるのに、お前の身分では、
報告書の形式を取るしかなかったのたろう?」
「いいえ! そちらには全て、今回の件を調査した中間報告や
この国の対策に対する進言などのみを記載しました。
それ以外の内容は、一切ございませんっ!」
思わず語気が強くなってしまう。
私の必死ぶりに、周りの人もおかしいと気付き始めたようだ。
よし、このまま誤解を解き切ろう!
「皇国の者として宣言しますが、
仕事に関するものに私情を挟むなどあり得ません。
私はこの国に起きた、あの不可解な事例以外には
まるで興味がございません!
殿下と結婚する気はまったくございませんので
結婚相手としての候補から外れることは全く問題ございませんが、
婚約者のいる身としては、そのような事実にないことを
公衆の面前で広められるのは大変不本意にございます!」
私が一気にまくしたてると、リベリアも続けてくれる。
「そうですわ、事実無根の噂が広まっては、
アスティレアさまの名誉に関わります。
後ほど皇国より、正式に抗議させていただきます」
ちょっと言いすぎかもしれないが、引くわけにはいかない。
皇国からの抗議と聞き、側でぼーっと見ていた宰相や侍従が慌てる。
そりゃそうだろう。
この世界は、私の祖国である「皇国エルシオン」を中心に栄えている。
皇国の東西南北に4大王国が、さらにその周りを大小の国が存在しており
このルシス国は、そのうちの”中の小”といったところだ。
各国の立地が世界の関係をそのまま示しており、
強大な皇国エルシオンは全てを統治する存在だった。
魔獣、妖魔の多発は、すでにこの国だけでは抑えられず
皇国(から来た私)に頼り切っている状態なのに
敵対するなどもってのほかだろう。
王子はしばらく黙った。
「……そうだな。君はいつでも仕事熱心だった。
それは認めよう。
皇国に、君が恋に夢中になっていたと思われたら
君は叱られてしまうかもしれないしな」
自分の勘違いだって、分かってくれた?
……いや、なんか違うな。
彼はゆっくりと机に両手をつき、うつむいて首を横に振る。
そして仕方ない、といった風情を醸し出しながら言う。
「……どうやら、君を追い詰めてしまったようだな。
皇国の名を出されては仕方ない」
私たち三人は、ホッと肩を落とす。
彼は顔をあげ、困ったように眉を寄せるもニヤついた笑みは残したまま
「仕方ないから、婚約破棄は撤回してあげよう。
まったく強引なやつだな、駄々っ子め」
そう言い放ったのだ。
私は声にならない叫びを上げた。
リベリアも、クルティラも目を見開いて固まる。
これはもう、かなりのピンチだ。
大臣の誰かが、彼に向かって呼び掛ける。
「デレク王子……お待ち下さい、あの……」
この人、デレク王子っていうのか。
始めて知ったわ。
この勘違い男デレク王子は、どんな妖魔や魔獣よりも手強かったのだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。