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前編

 森の妖精は恋をした――


 木漏れ日が穏やかに差し込む森の中、トラバサミの罠にかかった幼いキツネを助ける凛々しい顔立ちの青年。

 妖精のベルは、木の葉の陰に隠れながらその様子をじっと見つめた。


「こら、暴れるなって」


 身を捩って暴れる子ギツネに、困った顔を浮かべる青年を見て、十五年前の出来事を思い出す。


(ああ、あの頃とちっとも変わってない。優しい人なんだな)


 まだ青年が年端もいかない少年だった頃。カゴの罠にかかったベルを、今と同じ困った顔で助けてくれたのだ。

 ベルは懐かしむように青年の名前を思い出す。


(エリック……)


 トラバサミから解放された子ギツネは、エリックに礼も言わず、逃げるように走り去っていく。エリックは苦笑しながらそれを見送った。


「お礼くらい言えよな」


 心優しく、ハンサムな青年に成長したエリックの横顔を眺め、小さな妖精のベルは恋に落ちたのだ。



「ねえ、アリス! 人間と仲良くなる方法ってないの?」


 森の東の奥深く、赤い屋根がついたレンガ造りの小さな家の中。テーブルに紅茶とお菓子を並べながら、アリスと呼ばれた美しい女性は鼻で笑う。


「あるわけないでしょ、バカなの?」


 眉間にしわをよせ、少し垂れた目尻をさらに垂らして呆れた顔をつくる。


「あー! また私のことバカにして! アリスだって元々は人間なんだから、妖精が見えるようになる方法だって知ってるでしょ!?」


 羽虫のようにブンブン飛び回るベルを、アリスは迷惑そうにしながら片手で払う。


「ほら、紅茶に鱗粉入るから落ち着いて……いい? 私は人間でも今は魔女なの。だからあなた達も見えるし、会話だって出来る。普通の人がことわりの違う存在を認識するには、まず人間やめなきゃいけないね」

「ん〜、全然わかんないけど」

「つまり、無理ってこと」

「えー!」


 再度ブンブン飛び回ろうとしたベルを、アリスがパシっと捕まえた。

 テーブルの上に置かれた小さな椅子にベルを座らせながら、アリスは困った顔をつくる。


「なんで人間と仲良くしたいのよ? 森の動物達とか、小人とか他の妖精だって、友達はたくさんいるじゃない」

「それは、その……」


 ベルは小さなティーカップでアリスの紅茶を掬いながら、モジモジとして顔を赤らめる。


「あ、もしかして恋しちゃったの?」


 悪戯っぽく笑いながら頬杖をつくアリスに、ベルは慌てふためいた。


「だ、だって! エリックは……優しいし、格好、いいし」

「エリック……ねえ」

「優しいんだよ、本当だよ! 昔、私のこと助けてくれたんだから! あ、もしかしたら妖精が見える人間なのかな!?」

「昔って、その人が小さかった頃でしょう? 子供はたまに妖精が見えるのよ」

「え〜……」


 テーブルの上で、ころころと表情を変えるベルの頭を指先でつつきながら、アリスは深いため息を吐く。


「それに、人間に恋したって無駄よ。あれは私たちと違って生きる期間が短いし、欲望のままに生を貪ってるだけだからね。仮に一緒になれたとしても、ろくなことにはならないよ」

「そんなこと言われても……好きになっちゃったんだから」


 ベルは頭の上の大きな指先を、両手で重そうに持ちながら、口を尖らせた。火のついてしまった気持ちを、今更鎮めることなど出来ない。


「まったく、人間なんてみんな欲望の塊だよ?」

「エリックはそんな人間じゃないもん! とっても優しい人なんだから!」


 目を釣り上げて怒るベルに向け、額に手を当て難しい顔をするアリス。何を忠告してもわからない恋する女の子を、どうすればいいのかと考えるように。


「……なら、一回会って来なさい。それでエリックの……人間の本性を確かめて来なよ」

「え! エリックに会えるの!?」

「うん……少し寿命が縮んじゃうんだけど、それでもいいなら」

「縮める縮める! 私、しわくちゃになって何百年も生きたくないもの!」


 アリスは、頬を両手で潰して妖精長老の真似をするベルに苦笑しながら、棚の中にある赤い薬の入った小瓶を取り出した。


「いい? これはとっても危険な薬なの。ベルのような妖精を一定の時間だけ人間の姿に変える魔法の薬。副作用は一粒で寿命十年てとこかな、ベルは小さいからカケラで十分だけど」

「なら安いものだね! 私はあと三百か四百年くらい生きれるから!」

「十年て安くないからね……まあ、あとの注意点は、絶対に自分が妖精だって喋らないこと」


 真剣な顔をつくって小瓶をカチャカチャと揺らすアリスに、ベルは首を傾げた。


「どうして?」

「世界の矯正力って言えばいいのかな。もし喋ったら、ベルが消えてしまうかもしれないし、そのエリックって人が死んでしまうかもしれないの。私のような中途半端な存在を生み出しちゃう可能性もあるし」

「ほんと!? エリックが魔法使いになってくれたら嬉しいな!」

「こら、絶対に言っちゃダメだからね! ベル達が人間に深く踏み込んだら災いが起こるし、逆に人間がこちらに踏み込めば、その果てしない願望で”呪い”を生み出してしまうかもしれないんだから。さっきも言ったけど、ろくなことにはならないの。守れないなら薬はあげないよ」

「わかったよ〜、絶対に言わない。約束する」


 アリスの厳しい口調に、ベルは渋々といった様子で首を縦にふる。それから、砕いた赤い薬のカケラを一粒受け取り、嬉しそうに笑った。


「ありがとう、アリス!」


 紅茶を一口飲んだアリスは、眉を顰めて困った笑顔を浮かべる。



 森の入り口にて、エリックはいつものように、父やその友人達と狩りの準備をしていた。

 しかし、エリックの表情は晴れやかではない。彼は、娯楽のために行う狩りがとても嫌いだったのだ。

 父から貴族の嗜みや戦いの練習として教え込まれてきたものの、自分たちが生きるためでもない狩猟はどうしても好きになれない。

 キツネの尻尾や牡鹿の角が増えるたび、猟犬に食われる動物達を見るたびに、やるせない気持ちになったのだ。


 エリックは父達と別行動をとり、慣れ親しんだ森の中を愛犬とともに歩く。

 草むらを分けて、注意深く足元を観察しながら、罠にかかった動物たちがいないかと探した。

 もちろん、罠を仕掛けているのはエリックではない。罠猟は貴族の間で恥とみなされるし、森を所有する厳格な父はそんな狩猟を認めていない。若い貴族が面白半分で仕掛けたり、平民がこっそり森に入っては仕掛けているのだ。

 罠を壊して回っていれば、獲物がなくても父に咎められることはないので、狩りの最中はいつもそうやって時間をつぶしていた。

 だが、心の奥底では期待していたのかもしれない。幼い頃に一度だけ出会った、”妖精”との再会を。


「こんにちは」


 不意に声を掛けられたエリックは、慌てて後ろを振り向く。そこには、やや幼い顔立ちだが、栗毛でとても可愛らしい女の子が佇んでいた。


「……え、あ」


 突然のことに、言葉を失う。

 なぜ、女の子が一人でこんなところに、という疑問で溢れていた。疑問、というよりは、猜疑心が強い。


「ま、迷ったの?」

「え? ううん」


 エリックが絞り出した言葉に、女の子は小さく首を振った。さらに困惑したエリックは、疑問をそのまま口にする。


「なら、どうしてこんな森の中に?」

「あ、ここ?」

「うん、この森はうちが所有してるから、父さんに狩猟許可を貰った人しか入れないんだけど……」

「えー! そうだったの!? 住んじゃダメだったの?」

「そりゃ、まあ……」


 住んではいけないと知って、ことさら驚く栗毛の女の子。エリックは話の噛み合わない不思議な女の子に、疑問を通り越して興味がわいた。


「あ、俺はエリック。森を出て少しのところに住んでる」

「知ってる! あの大豪邸でしょ? こ〜んなおっきな!」


 女の子は、両腕を一杯に広げて大きさを表す。

 エリックは、自分の地位を知っていて屈託無く話しかけてくるのか、と驚いた。


「うん、まあそうなんだけどさ……君の名前は?」

「私? ベルだよ!」

「ベル、か。どこに住んでる子なの? 近く?」

「ん〜、あっちの方かな!」

「……」


 ベルが指差す方向は、森の奥深くだ。確かに、遠く離れた森の反対側に村はあったが、顔の良い男達が皆殺しにされた事件があってから誰も住んでいないはず。エリックは腕を組んで考えた。


「森を、抜けてきたってこと? 一人で?」

「まあ、そんな感じかな!」

「……そっか」

「ねえ、それよりお話しましょう! エリックのことたくさん教えて欲しいの!」

「あ、ああ。いいけど……」


 エリックは、不思議なベルの勢いに押され、自分のことを話し始める。とても他愛のないことだ。朝起きて、何を食べて、何を勉強して。普段はどんな遊びをしているのか、どんな生活をしているのか。

 話の落としどころもなく、淡々と喋っているので面白い話でもないのだが、ベルは興味津々といった様子で目を輝かせ、とても嬉しそうに相槌を打っていた。

 どんな話をしても楽しそうにしてくれるベルに、気を良くしたエリックは昔の思い出を語る。それは、誰も信じてくれない話なので、エリックも普段は話さないこと。


「俺、昔この森で妖精に会ったことがあるんだよ。助けて貰ったんだ」

「え!?」


 だけど、この不思議な女の子には、なんとなく話していいものと感じていた。


「まだ小さかったし、森で迷子になっちゃったんだよな。心細くて、途方にくれてさ。でも、そのとき出会った妖精が、森の入り口まで連れて行ってくれたんだ。その間もすっごい励ましてくれて、いつかちゃんとお礼を……」


 エリックは固まった表情のベルを見て、失敗した、と後悔する。普通に考えて、いい大人が妖精の話をすれば引かれるだけだ。幼い頃、周囲に話した時のように、また変な目で見られてしまうと思った。


「それから?」

「え……ああ、いつかちゃんとお礼をしたいなって」


 しかし、エリックの予想とは違い、ベルは瞳を薄っすらと濡らし、嬉しそうに頬を緩ませて話の続きをせがんできた。妖精とどうやって出会ったのか、森の入り口に帰るまでにどんな話をしたのか。

 エリックはカゴの中に隠れていた妖精を見つけたこと、妖精は森の動物と友達だということ、迷子になったくらいで泣くんじゃない、と叱られたことを話した。

 うんうんと、顔を赤らめて大きく相槌を打つベルに、エリックはとても嬉しい気持ちになる。

 誰も信じてくれなかった自分の話を真剣に聞いてくれる、信じてくれる。花のように笑うベルを見て、エリックは淡い恋心を抱いたのだ。


「あ! 私、そろそろ行かなきゃ!」

「そうだね、もうこんな時間だ。家まで送るよ」

「ううん、大丈夫! エリックに会えてとても嬉しかったよ……バイバイ」


 先ほどまで楽しそうにしていたベルの表情に、暗い影が落ちる。

 なんとなく、もう会えない予感がしたエリックは、木の根元から立ち上がるベルの、細い腕を掴んだ。


「また、会えるかな?」


 驚いた表情のベルを見て、慌てて手を離すエリック。

 ベルは困ったようにはにかみながら、小さな声で言う。


「……ぅん」


 そして、森の奥へと走り去ってしまった。

 エリックは高鳴る胸をおさえながら、その背中を見送る――




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