魔宮の主
どうやら、私は俗に言う異世界に転生したらしい。
直前の記憶は迫り来るトラックのライトであったし、全身を駆け巡る激痛を覚えているので間違いないと思う。
さて、どうして死んだという衝撃的な事実をすっ飛ばして、異世界転生という結論に至ったのかだが、手元に『異世界転生マニュアル』と題した一冊の本があるからだ。
まだ頭は混乱しているが、ひとまず気持ちを落ち着ける為にも目を通してみようと思う。
◇ ◆ ◇ ◆
【異世界転生マニュアル】
『前世は人間だった方用』……十八ページ
ここは、あなたの知る世界ではありません。
あなたは前世で生を終え、この世界で魔宮の主として生まれ変わりました。あなたの命は魔宮と共にあります。
この世界では、魔物という強力かつ本能的に従って活動する生物が大陸に広く分布しており、己より弱い相手には絶対に従いません。なので、まずは魔宮を強化して力を身につける事をオススメします。
『魔宮とは?』
魔宮とは、この世界に存在する魔力が澱んで生じる現象を指します。最奥の玉座の間には、必ず魔核が存在し、この魔核が破壊されると魔宮は崩壊します。つまり、あなたは死にます。
魔宮内部には、魔宮が生み出した魔物が棲みつき、魔核を守護する為に内部を警備します。
特に何もしなくても魔宮は魔力を糧に拡大しますが、魔宮の主は成長の方針を指示することができます。
『もし困ったら?』
基本的な知識は本能として魔宮の主に刻まれています。それでも不安な時は、部下を囲い込んで相談役として雇用するのも効果的です。
◇ ◆ ◇ ◆
読み終えた本を閉じ、ため息を吐く。
「なんだろう、このふわっとマニュアルは……役に立つような、立たないような……」
頭痛を覚えたこめかみを揉みながら、ひとまず私は辺りを見回す。
目が覚めた時に腰掛けていた玉座の正面には、外に繋がる一本道があった。そして、目の前にはふわふわと浮遊する正八面体の水晶。【異世界転生マニュアル】が正しければ、きっとこれが魔核と呼ばれる代物で、私の命そのものなのだろう。正気を疑うような事実ではあるが、魂の奥底で魔核こそが私の魂であると叫んでいる部分もあった。
どうやら、私は魔宮の主らしい。
「過ぎた事はクヨクヨしてもしょうがない。ひとまず、この状況をどうにかしよう」
玉座から立ち上がる。
交通事故に遭う直前の服装であることに気がついた私は、足を止めた。
就活の為に買ったスーツ。
サイトと睨めっこしながら選んだパンプスが踵に擦れてちょっと痛い。
この格好で洞窟にいるのは、かなり怪しい。
動きやすいラフな格好に着替えたいが……
「……っ」
その時、ピンと閃いた。
魔宮の主としての知識の中に、魔力で望むものを作る能力があるのを思い出したのだ。
脳内で思い描く。
洞窟内にいても怪しくない格好といえば、登山ウェアだ。
動きやすいし、虫刺されの予防だけでなく、悪路でも足を痛めずに済む。
眩い光が掌に灯ったので、その手を目の前に翳すと、思い描いていた通りのものがポンと落ちてきた。
速乾性のある下着に分厚い靴下、厚底の登山靴に撥水性のある紺色のズボンと長袖の水色シャツとクリーム色のハット。
「便利だな、これ」
早速だが、人の目がないのをいい事に着替える。
どうやら魔宮としての機能や、魔宮の主としての権能を使うには、魔力を消費する必要があるらしい。
時間経過でじわじわと回復するので、それほど心配しなくても問題はないが、大きくて複雑な物や大量に作る時は気をつけた方がいいだろう。
最後に登山用の大きなリュックを背負えば、自然溢れる場所にいてもおかしくない登山家の完成だ。
「さて、と。格好はこれで良いとして、近くを見てみようかな。街とか村が近くにあるといいけど」
私はこの世界の事について知らない。
近くに人の住む場所があれば、そこで周囲の情報を探るつもりだ。
残念ながら、この世界の通貨について知らないので作れないが、食料や水であればもしかしたら交換してくれる可能性はある。
頭の中で初邂逅をシミュレーションし、心構えを済ませる。
「よし、行くか!」
意を決して外に出た私の視界に飛び込んだのは、十を越える男たちに囲まれた一人の女性だった。