ジャン=バティスト・リュリの泣き所
かつて伝説的なバスケットボール選手のマイケル・ジョーダンはこう言った。
『「TEAM」」に「I」はないが「WIN」には「I」がある』と。
主にスポーツにおいてチームワークの必要性を説くものとして使われる台詞だ。勝利に必要なのは個々の活躍ではなく、チーム全体が一丸となる必要があると言うことをジョーダンは言いたかったのだろう。
似たような言葉に『戦争に個人はいないが、兵器には兵が必要だ』と言うものもある。
要するに、苦労も勝利も皆のもので、集団に個性は必要ないのだ。
スポーツも、戦争も、社会も、個性なんて一ミリも求めていない。
ただ一つの意思を持った集団であること、それこそが勝利の必要条件だ。
大抵の野生動物はそうしており、人類だけが意図的でなければ忘れてしまう処世術と言えるだろう。
だが、そんな集団が絶対に必要とする個もある。
頭だ。
集団には頂点に立つ者が必要だ。
集団を監督し、支配し、掌握する者がいなければ、集団は烏合の週に過ぎないだろう。
「でも、ぶっちゃけさ、指揮者ってどれくらい重要なんだ?」
だが、無能な個人はそれを認めたがらないものだ。愚か者ほど、自分が何でもできると信じたがる。集団の成果を自分の物だと勘違いし、必要のない個を主張して和を乱す。上に立つ者を鬱陶しがって、逆に彼等こそが無能だと主張する。
いや、自由ヶ丘利人の場合は単純にチームワークが苦手なだけなのだが。我が幼馴染は協調性の言葉をお母さんのお腹の中に置いて来てしまっている可能性が極めて高い。
近くの大学の学園祭で行われるクラッシクコンサートの鑑賞に来たは良いが、さっそく文句を口にしているあたり本当に空気を読む気がない。
そもそも、利人は芸術にあまり興味を持たない人間だった。どうやら相当な偏見を持っているようで、総理大臣になったら(恐ろしい仮定だ)画家やスポーツ選手よりもコンビニの店員の方が社会に必要だから、バイトにこそ手厚い保証を与えるべきだと言っていたのを聞いたことがある。
音楽や芸術が人の心を動かすとは一ミリも信じておらず、ひょっとしたら人に心があるかどうかすら疑っている節もあるし、私が知る限りに一番音楽鑑賞から遠い人間の一人だ。
そんな利人だから、指揮者と言う存在の価値をまるで理解していない。
「いや。必要でしょ」
「いやいや。バンドとかだったら指揮者なんていないだろ?」
「あのさ、三・四人のバンドと三〇人のオーケストラを一緒に出来ると思う?」
「む。それは確かに」
利人が訊ね、私が答える。中々に珍しい展開だ。
「指揮者は必要だから産まれたんだよ。一〇〇人演奏家が集まれば、一〇〇人の音楽がある。指揮者はそれをまとめて一つの音楽にする重要なポジションだよ。指揮者がいなければ、オーケストラなんて騒音だよ、騒音」
「文字通り演奏の指揮を執る人間が必要ってのは認めてもいい。でも、前に立って、小さな棒を振って意味あるか? あんな小さな棒だけで複雑な音楽の指示を出すなんて不可能な気がするんだが」
言わんとせんことはわかる。
ぶっちゃけ、私もそう思う。
急に練習とは違う指揮をしたとしても、演奏家達は反応出来ない気がする。
まあ、そう言うことが起きないように沢山の練習をして、楽曲に対する理解度を深めていくのだろう。
だから、プロにはわかるとしか言いようがない。
「…………指揮棒が今のスタイルになったのは、割と最近みたいだね」
「へえ。昔は違ったのか?」
「うん。今回の演奏会は、バロック音楽を再現ってことで、昔の指揮スタイルでやるやるみたいだよ」
答えられない部分を無視して、指揮棒についてだけ応える。
「ほら、始まるよ」
座席の照明が明が落ち、会場が静かにざわつき、ステージへ注目が集まる。ステージの上にはバロック式らしい恰好をした演奏者達が並び、指揮台には大袈裟な白い鬘を被った指揮者が立つ。その手にはよく見る指揮棒ではなく、一メートルを超える太い棒が握られている。
堂々とした態度の指揮者は客席に一礼をすると演奏者達に向き合い、彼が力強く指揮棒で床を叩くと演奏が始まった。
「おお」
一斉に鳴り響く数多の楽器の音に紛れて、利人が感嘆を漏らす。床をリズム良く叩く音がホールに響く。低い指揮棒の音も音楽の一部となっているようで、普段とは違う迫力が演奏にはあった。もの珍しい演奏はあっという間に一曲目が終了した。
「こっちの方が指揮者の存在感があって良いんじゃないか?」
利人が興味深そうに指揮者と指揮棒を見ながら言った。
「指揮棒の音の大小も感情表現としてわかりやすいし、見た目にも面白いしな」
随分と気に入ったようで、ひとしきり感想を口にすると最後に首を傾げた。
「でも、どうしてこっちは廃れたんだ?」
もっともな疑問だが、勿論理由がある。
「やっぱり、繊細な指示を出せないってのが大きいらしいね」
「いや、練習でカバーできないのか? 本番で急に『やっぱここは力強く!』とかなるか?」
「他にも、単純に疲れるってのもあるんじゃない? それに――」
都合の悪い質問は無視して、決定的な理由を告げる前に演奏が再開された。音楽に興味がなくとも、演奏中に黙っている程度のマナーが利人にもあるようだ。
珍しい演奏に耳を傾けること一分ほど。
「ぐあ!」
突如として巨大な悲鳴が響いた。推理小説であれば死者が出ているところだが、残念ながら世の中は小説よりも退屈に出来ている。現実はもっと地味で、そしてありふれている。
「うわ。いたそー」
利人が顔を歪めて呟く。視線の先には、ステージの上で蹲る指揮者。彼の手から転げ落ちた指揮棒はステージの上を転がり、突然の出来事に当たり前だが演奏は停止している。
何が起きたかと言えば、指揮者は勢い余って自分の足に指揮棒をぶつけてしまったのだ。本番でテンション上がった結果、ついつい力んでしまったのだろう。そして手が滑ったのだ。
ちなみに、これが原因で死んだ有名な音楽家がいたりする。
指揮棒がどうして小さなサイズになったのか、もう説明はいらないだろう。
「続けて!」
涙目になっているであろう指揮者は、外れた鬘を直しながらそう叫んだ。ダメージは大きく、彼はもう立ち上がれそうになり。利人曰く「多分、折れてるな」だそうだ。そんな状態でも演奏を優先するなんて、指揮者ってすげぇ。
いや、でも、指揮者を欠いて演奏なんてできるんだろうか?
…………意外なことに、指揮者がなくても演奏はそれなりに形になっていた。