未来のななえ
言葉にできないほどの苦しみは、いつも文字に起こしていた。
でも、最近の私はどうだろう。
相沢ななえは、一人きりの部室でふと我に返った。今日は所属しているギタークラブの練習日で、授業が終わったのでここに楽器を取りに来たのだった。
ギターを手に取り、彼女は今、自分が独りであることに気づいた。そして、過去の自分と今の自分を無意識に比べた。
そして思った。私は、変わってしまったと。
―私、そういえば、しばらく小説書いていない。
大学進学にあたり始めた一人暮らし。慌ただしい日々の中、暇な時間のほとんどを費やしてきた小説の存在を、彼女は無意識のうちに忘れていたらしかった。
―いや、忘れていたんじゃない。胸の中に押し殺していたんだ。
一人で毎日をやりくりするのは少々苦痛であった。自分の為だけに買い物に行って、ご飯を食べて、授業を受けて、また一人の部屋で夜を明かす。
その繰り返し。決して刺激がないわけじゃないけど、なぜか書こうという気持ちが起こらなかった。なぜだろう。
そうして、ギターケースをつつきながら考えた末、ななえは、冒頭の結論を出したのだった。
そうだ、感情だ。新しいことが目白押しで今まで以上に刺激にあふれているけど、でも、これと言って大きな感情を抱いていないかもしれない。大きな悲しみも、怒りも、喜びや楽しさも。
正直、出来事にばかり気を取られ、それに対する自分の感情まで分析する時間がなかったのかもしれない。うん、きっとそうだ。そうに違いない。
―つまり、あれだ。この日常が始まって3か月たった今も、私はかなり緊張しているってわけだ。
ななえはひとり、頷いた。本当は分かっていない。けど、ななえは分かった。
そして彼女は、しゃがみこんでいた体を起こす。ぱっと、壁に掛けられた鏡に気づいた。
白いシャツにうす紅色のスカート。焼けた肌に、明るい茶髪。一年前の女子高生は、この姿で学校に行っていると聞いたら、どんな顔をするのだろう。焼けてるのは変わらないけど。
「―ななえ。」
私の名を呼ぶ。細い目が、じっと私を見る。
前に進みすぎても、こうして向き合う時間があれば、きっと大丈夫だよね。
他人じゃなくて、自分の感情にきちんと気がつけるよね。
うん、そうだね。
くすっと笑う。鏡の中も嬉しそうだった。
さ、部活行こ。
よいしょ、とギターケースを肩にかけ、ななえは部室を出た。
この先に、何が起こるとも知らず、それでも彼女は未来にすすんだ。