ラゼルの奇遇
お弁当、よし。お小遣い、よし。服装。OK!
さて、いざ行かん。・・・・・・なんちゃって。
水曜日の朝。ミレイアさんの提案により、地図を片手に駆け出した街。そこは、昨晩から白く降り積もった雪達が白銀の世界を演出していた。
歩くたびに鳴き雪が細くこだまする。それははじめての感覚で、不思議な気分になる。けれど、それがとても楽しいと感じるのだ。
初めてミレイアさん達と歩いた時と同じく、街は賑わっていた。行き交う人々は様々で、休日を堪能している人や、ゆっくりと友達と歩いている人、手を繋ぐ親子。手を繋いで歩く恋人。働いていて忙しいのか、制服と思わしき服で駆ける人もいる。他にも商いで声をあげながら歩く人もいて、千差万別だ。
さて、どこから行こうかな・・・?
そう思いながら開いた地図。けれど、首を振り直ぐにたたみ直してカバンの中に入れ直した。
歩こう。自分の気になる方へ、自由に!
踏み出した足は新雪に足跡を付けた。新たな足跡を。
除雪された石畳の道と残された雪が輝く道。2種類の道を歩きながら、たどり着いたのは小さな高台だった。
周りから木々で隠れたそこはまるで秘密基地のようで、幼心を擽る。
ふわりと。風に乗って木々達がざわめいた。重なり合い音を立てる木々の葉達の音に乗るように鳥達のピチピチと囁く鳴き声が響く。遠くから聞こえる波のさざめきと合わさってまるで1つの合唱のようだった。
『─────────』
口をついて出た音は、嘗て神に捧げる歌であり、鎮魂歌なのだと習った。そして、今では子供を守る子守唄であり、祝福を願う歌なのだと。
『─────』
風に乗せるように、鳥達の声と交わるように。海のさざなみと溶け合うように。静かに、静かに音を紡ぐ。
今この一瞬、この美しい自然に溶け込めたと思うほどにとても気持ちが良い。
この美しい世界に、この奏でられるメロディに自分の声が靡いている。
『─────────』
どれほど、歌ったのか分からない。長い時間にも短い時間にも感じられるそんな時間だ。けれど、お昼の鐘を聞いてはいないから、それほど長い時間ではないのだろう。
歌は、奏は唐突に姿を顰めることになった。
新たな鳴き雪の気配を感じたのだ。
振り向いた先に視界に入ったのは、小さな私よりもさらに小さな足跡。とても特徴的なその足跡は、大きな丸の周り半円に小さな丸が四つ。並んでいた。
足跡の主は木の影に入ってしまったのか、姿は見当たらない。視線を彷徨わせてみると、カサリと葉の擦れ合う音が聞こえた。
そっと、近寄り茂みをかけ分けてみればそこには、とても綺麗な白銀の美しい毛並みを持つ猫ポツンと座り込んでいた。
ふわふわの毛並みを揺らしながら振り向いた猫と視線が合わさった。
とても、綺麗な彩が私の瞳に映り込んでくる。美しいその虹彩は、翠から始まり徐々に黄色へ。オレンジをや青色へと変化を遂げる。そして所々に紛れ込む赤色が光の角度によって顔を変えてチラリと覗かせる。不思議で、けれども毛並みに負けないくらいの、とても、とても美しい瞳。まるで、虹色の虹彩と呼ばれる瞳みたいだ。
「きれい・・・」
呆然と呟いた言葉はピクピクとその小さな猫の耳を揺らした。その姿さえ愛くるしいその子は、見つかったのを諦めたとばかりに酷くゆったりとした動作で私に近づいてきた。
ベンチに座る私の上に乗ったその猫は私に興味はないとばかりにそのまま丸まりそっぽを向いてしまう。
「あなたはどこから来たの?」
問いかけど、猫は尻尾を揺らすのみ。それでも綺麗なその子と仲良くなりたくて1人でに話しかける。
ツンと澄まして何を聞いても、特に反応のなかったその子は
「お名前は?」
そう問いかけた時、初めてその彩がもう1度私を捉えた。
──にゃあぉん
可愛らしくその声をひとつ響かせると再び目を閉じる。
・・・名前、教えてくれようとしてたのかな?
もし、そうだとしたら猫語が分からない私はこの子の名前を聞き取ってあげられなかったことになる。
・・・猫語を理解できないことが悔やむ日が来るとは思ってなかった。
小さなショックに項垂れて、小さな呻き声をあげてしまう。
自身の上に影が刺したこのに気が付いたのか、項垂れた私の顔の直ぐ近くでその彩が再び開かれた。
瞬きをする私の顔がその美しい瞳の中で情けなく写り込んでいるのが見えるほどの距離。
その猫は私との距離に驚くことはなく、そっと顔を近づけた。
「ひゃいっ!?」
頬に感じたざらりとした硬い感触。なめられたのだと気づいたのは勢いよく顔を離し猫を数秒凝視した後だった。
ペロリと未だ口の外にある綺麗なピンクの舌をみて理解したのだ。
そっと、頬を撫でる手は自然と猫の舐めたところに触れていた。
舐められたとしたのなら、次浮かぶものは、疑問。
なぜ?
それを解るためにか猫を見つめれば、その猫もまた私を見つめていた。優しさと温もりが宿るその瞳は、私をじっと見つめる。
──にゃうん。
優しく響く声音。
「もしかして、慰めてくれてるの?」
──にゃーん
頷くように鳴く声が響く。
思い浮かべるのは幼い頃に誰かから聞いたお話。猫は、人の機微を読み取るのが上手いと。
なら、もしかしたら、さっきの私の小さなショックを読み取ったのかもしれない。そして、慰めるようと私の頬を舐めたのか・・・。
ありがとうと、呟くと猫は軽く私の手に頭を押し付けてもう1度にゃあと鳴いた。
「ふふ、人間の言葉がわかるの?」
頭を撫でながら、思ったことを口にする。
私の言葉に幾度となく返事をするその子は本当に私と会話しているみたいに思えたのだ。
ふわふわの頭を堪能しながら、往復していると、ふと首にカラーが付いていることに気がついた。
長く美しい毛に埋もれて、わかりづらいがそこには確かに綺麗なカラーがあった。
手に取ったカラーに着いた銀色のタグには
「エルヴィン」
と。呟いたその言葉にその猫はこちらを見上げたままよくできました。とばかりに鳴いた。
目を細めて、広角をあげるようなその顔はまるで人が笑う顔のように感る。
「エルヴィン。とても綺麗な名前ね。」
私の言葉にエルヴィンは満足そうに喉を鳴らして再び頭を伏せる。
撫でるのを催促されるように触れられた手を頭から背中へ。撫でる手を止めることなく白銀の毛並みを堪能する。ツヤツヤの毛並みはどれだけ撫でてもへたばる事なく、さらさらと風に流れる。
どのくらいそうしていたのか。気がつけば遠くにお昼の鐘の音がこだましていた。そっと触れた腹部は凹んでいて、お腹の空き具合を表していた。
ベンチの横に置いていたバスケットの籠を開ければ、中にはカラフルなサンドウィッチとイチゴがぎっしりと詰まっていた。
卵の黄色とレタスの翠。パンの白にハムのピンク。どれを見ても綺麗で、食欲をそそる。
横に添えられたイチゴは、艶々と綺麗な赤が日の光を浴びて美しさを主張していた。
サンドウィッチを食べ始めた私にエルヴィンは興味がないのか、そっぽを向いたまましっぽをゆらゆらと揺らしていたが、イチゴに手を伸ばした途端、ゆらりと視線が私の手前、手元にあるイチゴを捕らえた。
じっと見つめる瞳はイチゴからそらされることはなく。ただ一心に見つめている。
「ほしいの?」
問いかけた言葉に、待ってましたとばかりに鳴き声をあげるエルヴィンの瞳はキラキラと輝いている。
私の言葉に対して本当言葉がわかるような返答とその瞳に思わず苦笑が漏れる。
「はい。どうぞ」
手に持っていたイチゴをそっと手のひらに置き直し、目の前に差し出す。
その反対の手で再びイチゴを手に取りながらエルヴィンを眺めていれば、数度ぺろぺろとイチゴを舐めた後、カプリ。という効果音が似合いそうなかぶりつき方でイチゴを食べた。
ゆらゆらと降っていた尻尾が途端にピンッと立ち上がった。くるくると鳴る喉とイチゴに向かって手を伸ばす様に全身を使って美味しいと嬉しいを表現しているようで思わず笑ってしまう。
かわいいエルヴィンを眺めながら口に入れたイチゴは甘さが強く、時折訪れる酸味が甘さと合って絶妙だった。
「美味しいね?」
──にゃぁん
美味しいよ。と返す様な答えが可愛くて、食べ終わる頃にはそっともう1つ手に乗せて与えてみる。
ユラユラと立てたまま揺らされる尻尾が可愛くて、イチゴが無くなるまでついつい、分け与えてしまっていた。
なくなった後には名残惜しそうに私の手をペロペロと舐め、自身の毛繕いをしていた。
それを眺めながら立ち上がり、街を見下ろす。
活気に溢れた様は変わらずだが、お昼を超えどこか人の波が落ち着いた様にも見える。
ミレイアさんの言っていた通りに街を見回るかと一瞬考えるも、横に座るエルヴィンの姿が、ウトウトとお昼寝を始めようとしていた。
なんとなく、それが気持ちよさそうで。私も、もう一度座り込んで目を瞑る。
強くない冬の日差しがぽかぽかと体に差し込んでいる。
眠くなる午後の陽気だ。
チラリと横を見ればすっかり寝入ってしまったエルヴィン。それが可愛くてそっとひと撫でした後にもう1度目を瞑る。
ぽかぽかの陽気を瞼の外に感じながら、そっと意識を手放したのだった。