0095話 責任は俺にある
なんだか頭に当たる感触が、とても気持ちいい。まるで極上の枕を使っているようだ。もしかしてこれが羽毛なんだろうか。
――いや、違うな。
この感触は前にも味わったことがあるぞ。とても収まりの良い高さと硬さ、それに落ち着くぬくもり。髪をなでている手は細くしなやかで、優しさにあふれている。このまま二度寝してしまいたいが、そうもいかん。まずは状況を把握しなければ。
ゆっくり目を開けると、俺を覗き込むシトラスと目が合う。草の上にでも寝かされているらしく、背中がチクチクとする。かなり薄暗いようだが、気を失ってどれくらい時間が経ったのだろう。
「……ここは、どこだ?」
「やっと目が覚めた。心配したんだからね!」
「ここはわたくしたちに依頼をされたかたのお家です。旦那様を介抱するため、お借りしました」
シトラスに支えてもらいながら上半身を起こす。粗末な作りだが、確かにここは家の中だ。土を固めて作った床には、なめした藁が敷かれている。
「ふえぇぇーん、やっとお目覚めになられたのです。ミント心配したですよ」
「……あるじ様、よかった」
涙目になったミントとシナモンが、俺に抱きついてきた。子供の従人に心配をかけるようでは、俺もまだまだだな。頭を撫でてやりたいところだが、手のひらに貼ってくれた薬草を無駄にはできん。
「みんなには迷惑をかけた」
「まったく、そのとおりだよ。前にもボクは言ったよね、無茶しないでって」
「本当にすまなかったな、シトラス。この埋め合わせはするから、機嫌を直してくれ」
「……ふんっ!」
腕を組んだシトラスが、不満そうにそっぽを向く。しっぽの様子を見る限り、本気で怒ってるわけでは無いはず。とはいえ機嫌は悪そうだ。ちゃんと反省しよう。
「旦那様のことを一番心配していたのは、シトラスさんだったのですよ」
「膝枕も代わってくれなかったのです」
「……あるじ様を独り占めにしてた、ずるい」
「森で倒れられたとき、涙を浮かべてましたから」
「ちょっ!? 余計なこと言わないでよ、ユーカリ! あれは目にゴミが入っただけだって」
まあ、そんなにシトラスをいじめてやるな。俺を運んでくれたのも、恐らくシトラスだ。本当に世話をかけてしまった。
シナモンのときといい、最近の俺は冷静さを欠くことが多い。後先考えない行動が増えてきたのは、信頼できる仲間ができたからだろう。なにせシトラスたちになら、俺の命を預けられる。
とにかくこのままだと動きづらいな。俺はマジックバッグから包帯を取り出し、ユーカリに渡す。そして怪我している部分だけ、薬草ごと包帯を巻いてもらった。これで動かしても平気だ。
「あの野人はどうなった?」
「こちらに寝かせてあります」
家の持ち主から貸してもらったという、小さなカゴを差し出されたので中を覗く。そこには自分の羽にくるまれるような格好で、有翼種の女性が寝ていた。いいなあれ、天然の羽毛布団じゃないか!
「羽が白くなったのか。それに大きさも違うな」
「旦那様の手からお預かりしたときは、すでにこの姿でした。髪の色も変わっていますし、恐らくギフトの影響だと思います」
「品質は……よし、二百五十五で安定している。もしかするとこの野人は、太古の力を取り戻してるのかもしれない。姿が変わったのも、そのせいだろう」
自分のギフトを確認すると、新たに〝マージ〟という演算子が増えている。よくよく見れば、レベルも六十四だ。
融合とは面白い。もしかすると使ってなかった論理和と否定論理和が、有効活用できるかもしれん。とにかく考察はあとにしよう。魔力切れなんて久しぶりだったから、他にも色々確かめないといけない。
「魔力的なつながりも切れていないな。お前たちにかけている演算子も……いや、ちょっと待て」
「どうかされたのです?」
「……あるじ様、まだ調子悪い?」
「あー、すまん、すまん。少し頭痛が残ってるくらいで、体調は悪くない。魔力もかなり回復してきた感じだ」
心配そうに左右から覗き込んできた、ミントとシナモンの頭を撫でてやる。今までマスク用の数字は四ビット、つまりゼロから十五までしかセットできなかった。念じ方で上下していた数字が、十六を超えてどんどん上昇していく。
これはビット操作できる桁数が、八になったってことだろう。いま二百五十五で上昇が止まったしな。色々と検証したいことが山積みだ。これは腰を据えて取り組むしか無い。
「ん……あれ? ここは、どこ……」
次々思い浮かぶ予定を頭の中で整理していたら、有翼種の野人が目を覚ます。衣服代わりのハンカチを握りしめ、不安そうにあたりを見回している。建物の中に入るなんて、初めての経験だろう。しかも自分たちとはまったくサイズが異なるからな。
「気分はどうだ?」
「あら? あなたは私にプロポーズしてくれた、上人の子供じゃない。ということは、私って助かったのかしら」
「プロポーズしたかはさておき、俺はもう成人してるぞ。いくら長寿種だからって、子ども扱いはやめてくれ」
確か有翼種は俺たちの三倍近く生きられたはず。眼の前にいる野人も見た目は二十歳くらいだが、実年齢はいくつかわからん。確かにそんな種族にとっては、俺なんてまだまだガキなんだろう……
「とにかくお前の体を蝕んでいたモノは追い出した。しかし副作用は出ている、その点については謝罪しよう。まずは落ち着いて自分の姿を確認して欲しい」
俺は鏡を取り出し、床へそっと置く。有翼種の野人は体を捻ったり、自分の羽や髪を触りながら、鏡に見入っている。姿が変わりすぎて、受け入れきれないのかもしれないな。
「うーん……きれいになったし、まあいいわ。それより助けてくれてありがとう。子供扱いしちゃってごめんなさいね」
「そんな簡単に今の姿を受け入れてもいいのか?」
「だって、くすんだ色の髪は嫌いだったし、羽だって黒くなっちゃったんだもの。しかも身が引き裂かれるような苦しみを、何日も味わってたのよ。死んだほうがマシって苦痛に比べたら、これくらいなんてことないわ」
どうやら元の羽は黄土色だったらしい。有翼種は木々を背景にして隠れやすい、黄土色から茶色にかけての色ばかりなんだとか。それが今や輝くような白だもんな。あの時のように動物の姿には近づかなかったが、論理演算子のギフトは獣人種の姿形にも、影響を及ぼすようだ。
「なんだか体が軽いわ。もしかして飛べるんじゃないかしら」
羽を広げながら立ち上がった野人がはばたくと、その小さな体がフワリと宙に浮かぶ。おお、すごいな! これが有翼種の力か。
「うわー、空を飛べるなんていいな」
「人が飛べるなんてすごいのです!」
「羽がキラキラしていて、ちょっと神秘的ですね」
「……パタパタ、かわいい」
「私たちって、本来は滑空しかできないの。でも今は自分の力で浮かんでる、これって凄いことよ!」
なんか、ちょっと興奮してるぞ。ホバリングを続けてるのはいいが、体力は大丈夫か?
「あららっ!?」
言わんこっちゃない。空中でバランスを崩して、俺の胸へ墜落してしまう。その体をそっと抱きしめ、羽根を少しモフらせてもらった。
やばいな、この感触は。先端は若干ツルッとしているが、根元の部分はフワフワの毛に覆われている。特に骨が通っている辺りのモフ値が高い。この手触り、癖になりそうだ。
「まだ新しい力にも慣れてないだろうし、気をつけてくれ」
「こんな風に抱きしめられるのって、なんかいいわ。よし、決めた。良かったら、私をあなたの従人にしてくれない?」
「それは願ってもない申し出だが、構わないのか? 有翼種は人前に出るのが嫌いなんだろ」
「私たちを捕まえて見世物にしようって上人もいるし、体の大きさが違いすぎてすごく怖いわ。でもあなたなら平気よ。それに私のこと、守ってくれるでしょ?」
俺の胸元に掴まったまま、可愛くウインクをしてきた。そんな事は言われるまでもない。俺の従人になったからには、必ず守り通してやる。それどころか、誰にも負けないくらい強くしてやるぞ。
「家族や仲間たちに断らなくても平気なの?」
「皆さん心配してると思うです」
「それはないわね。だって私は穢れた存在として、みんなに捨てられたんだもの。森贄っていうのは、神へ捧げる供物みたいなもの……とでも言えばいいのかしら。だからもう、私は死んでしまった存在なのよ」
「でしたら旦那様の従人になるのが一番です。必ず幸せにしていただけますから」
「……ご飯美味しい、ブラッシング気持ちいい」
文字化けした一部のビットが原因とか、誰にもわからないだろう。そうなると森が怒っているだの、神に捧げて鎮めるだのと、生贄にされる事態は十分ありえる。しかしそんな迷信は、この俺に通用せん。つまらん風習なんぞクソ食らえだ。
「わかった。お前の姿を変えてしまった責任が俺にはある。だから従人になって、ずっとそばにいろ」
「お前って呼び方はやめて。私の名前はジャスミンよ。これからよろしくね、みんな!」
こうして俺は、有翼種のジャスミンと使役契約をすることになった。
次回、ジャスミンに発現した能力とは?
「0096話 太古の力」をお楽しみに!