0093話 ビットシフト
誤字報告ありがとうございました!
読みが一緒(以下略
有翼種の女性に近づくと、あのまとわりつく感覚が大きくなる。魔物や魔獣はこれを嫌って、離れて行ったわけか。非力で弱い有翼種が襲われなかった要因に苦しめられているとは、なんとも因果な話だ。
うずくまっているので正確にはわからないが、身長は三十センチくらいだろう。暗く沈んだ紫色のウェーブヘアは鎖骨のあたりまで伸び、流れ出た汗で体に張り付いている。羽根は肩甲骨のあたりから生えてるんだな。本の挿絵ではよくわからなかったが、こうして近くで見るとやはり美しい。
しかし黒い羽からは瘴気のようなものが溢れ出し、手に当たるとピリピリした痛みが走る。触っただけでこれなんだから、本人はどれだけ苦しいのか想像も出来ん。早くなんとかしてやらねば。
「すまんが魔力を通すために、直接肌へ触れるぞ」
「ごめんね、こんな体で……うっく」
「謝らなくていい、すぐ元のきれいな姿に戻してやる」
そっと持ち上げようとしたが、思わず手を引きそうになる。手のひらに焼けるような痛みが走り、小さな棘が刺さって血がにじむ。しかしこの程度は我慢だ。
「あなたの手……温かいわ。それに、少しだけ、うっ……楽になったみたい」
「黒い煙から受ける刺激は、魔力で少し抑えられるらしい。俺の手から出ている魔力は、お前の体を包み込もうとしている。それが保護膜のようになってるわけだ」
「でも、あなたの手。傷だらけに……」
「気にするな、これくらいすぐ治る」
有翼種は野人の中でも、幻に近い種族なんだぞ。それが手の中にすっぽり収まってるなんて、興奮で痛みなんて忘れてしまう。
「上人のあなたが、どうしてここまでしてくれるの?」
「そんなもん、お前を失いたくないからに決まってるだろ」
「〝その羽を〟が足りないんじゃないのかな」
目の前にあるのは羽毛なんだ、そんなの当たり前じゃないか。この羽につつまれて寝たら、どんな快眠に誘われるか想像すら出来ん。悪夢なんて絶対に見ないだろう。
「ミントも触ってみたいのです」
「羽のお手入れって、どのようになさるのでしょう。わたくし、ちょっと興味があります」
「……暑いとき、パタパタやってもらったら、涼しそう」
「あなたが連れてる従人って、森の中で何度か見かけたことのある子と全然違うわ」
有翼種のテリトリーまで踏み入れられるような冒険者は、従人を戦闘マシンのように使うからな。そんなロボットじみた者と、俺の従人を比べてもらっては困る。
「無駄話はそろそろ終わりだ。これから発動するギフトは、まだ誰にも使ったことがない。どんな結果を生み出すか、保証してやることは出来ん。しかし、お前を助けてやれる力は、俺が持つギフトだけだ。その可能性に賭けてくれるか?」
「私にあんな情熱的な言葉をかけてくれたんだもの、ちゃんとその責任を取って頂戴」
「もちろん何があっても、お前を見捨てたりしないからな」
「うふふ。男の人にそんなこと言われたの、初めてよ」
笑顔を浮かべようとした顔が苦痛にゆがむ。体から何十本も黒い針が突き出てるんだ、少し動かそうとしても激痛が走るはず。きっと喋るだけでもきついだろう。
「これから俺のギフトで、お前に巣食っているモノを追い出す。詳しい説明はあとからするが、かなりの負担がかかってしまう。覚悟してくれ」
「羽を火であぶられるような痛みや、体の中をグルグルかき混ぜられる感覚よりは、きっとマシよ。私の命はあなたのものだから、全てを委ねるわ」
確か有翼種が上人の手に横たわるのは、生殺与奪の権利を託すって意味があったはず。緊急時とはいえ、俺はそれをやってしまったわけか。どんな結果になったとしても、必ず責任は取ろう。
「では、開始する」
緊張した面持ちでみんなが見守る中、俺はギフトの準備をする。まだ四ビットしか操作できないが、シフトで無理やりビットを追い出すと、どうなるのか? もしこの世界もコンピュータと同じバイト単位の処理系なら、上位四ビットの方へ押し出されるかもしれない。
ただ、シフトで開けられたビットにゼロが入ると、野人としての力に影響を及ぼすだろう。しかし、こんなところで命を捨てるより、絶対にマシだ。今はあれこれ考えず、やれることに全力を尽くす。
「うっ……体が熱く。やっ……だ、ちょっと……まって。なにかに、撫でられるみた……ああああん」
「ねえ、大丈夫なの?」
「すごく色っぽいのです!」
「わたくしも旦那様に、体中を撫でられたい……」
「……気持ちよさそう?」
うるさいぞ外野、いま集中してるんだ。
俺の目に映るビットは、細かく振動するだけで、なかなか動いてくれない。手の上で悶える野人には、その感覚が伝わってるんだろう。ビットシフトは、なかなか手ごわいな。
俺は発動したギフトへ、さらに魔力を込める。
「そんな……これ以上は……私…………どこかに、飛んでいっちゃう。あ、あ……あぁっ!」
よしいける。上位四ビットがジリジリと押され始めた。しかも一ビット目にチラチラ見えているのは、間違いなく数字の一だ。これなら野人の力を失わなくてもすむ。
「はうっ! はぁ……はぁっ……」
「黒い棘は消えたけど、まだ羽根から煙が出てるよ」
「なんとか一ビットだけ追い出せた。かなりきついぞ、これ」
「汗を拭いてください、旦那様」
ユーカリが取り出したハンカチで、顔の汗を拭ってくれる。手の上でぐったりする野人を確認すると、ビットの並びが〝#001 1111〟に変化していた。
「あっ……あぐぅぅぅぅぅっ!!」
「また棘が生えてきたです!?」
「……失敗?」
「いや違う。また文字化けが七ビット目に侵食してきたんだ」
くそったれ! 今度は一気に二ビット押し出してやる。
「また……この感じ。私……溶けちゃ……くぅぅぅぅぅっ!」
侵食のスピードも上がってきやがった。〝#011 1111〟にした瞬間、〝*#11 1111〟に変化してしまう。手の上でビクビク跳ねる野人をそっと抱きしめ、ありったけの魔力をつぎ込む。
レベルアップで増えた魔力、全部持っていきやがれ!
「もっ……これ以上…………自分が、自分でいられ……な……あぁぁぁぁー」
「もうやめなって、目が血走ってるじゃんか」
「タクト様、鼻血が出てきたです」
「どうやら文字化けは、ビットが立った部分を侵せないらしい。もうあと一ビット、このままやってしまう」
どこかの血管でも切れたのか、口の中にも鉄の味が広がっていく。しかしここで止めるわけにはいかん。俺の体よ魔力を捻り出せ! 子供の頃は、何度も魔力欠乏症で倒れてただろ。こうして意識がある限り、まだ限界は訪れていない。もっと、もっとだ、タオルを固く絞るように、最後の一滴まで魔力を使い切れ!!
「ふぁっ!? ん、ん、ん――――ぁぁっ……あ、あ、あ、あ――――――――ッ!!」
ひときわ大きな声が聞こえてきた瞬間、ビットの並びが〝1111 1111〟に変化する。なんとかそこまで確認できたが、喉の奥から熱いものがこみ上げてきた感覚を最後に、俺の意識は闇へと沈んでいく。
この浮遊感、久しぶりだな……
次回は第三者視点に変わります。
吐血する主人公。その時4人は……
「0094話 脱出」をお楽しみに!