0092話 森の異変
水麦が枯れはじめた場所へ行き、魔力糸を伸ばしてみる。かなり遠くの方まで探査してみたが、水スライムっぽい微弱な反応だけしか無い。やはり原因は森にあるのだろう。
「森と湿地ってのは、必ずセットで存在するんだ。地質学者の立てた仮説なんだが、森の生み出す魔素によって湿地が形成されると言われていてな。湿地の規模と森の広さが比例するくらい、両者は相互に影響しあってる」
「それで旦那様は、水麦の異変に森が関与していると、考えてらっしゃるのですね」
「ここから見える範囲に、魔力的な異常はない。魔力の通りも普通の水と変わらないから、そっちが汚染されている可能性も薄いだろう。となると、やはり森に入ってみないことには判断できん」
水や空気が汚染されていたら、もっと早く広範囲に影響が出るはず。そして森の木々は生い茂っているのに、水麦や雑草は枯れている。これは明らかな異常だ。
湿地は森の魔素を封じ込める、結界の役目を持つ。だから魔獣や魔物が湿地に出て来ないし、森が広がっていくこともない。もしそのバランスが崩れているのだとすれば、森に生息する脅威が外へ飛び出し、集落に住む野人たちを襲うかもしれん。そんな事態が起きる前に、原因を探らねばな。
「この森って、そこまで大きくないよね」
「でも、奥は真っ暗なのです」
「……暗いところ見るの得意、任せて」
「俺も発光魔法を使うが、念のため夜目の効くシナモンを先頭にして進もう。シトラスはシナモンをすぐカバーできる位置にいてくれ。殿は俺が務める」
案内してくれた野人の男性を帰らせ、俺たちだけで森へ踏み入れる。これは思った以上に見通しが悪い。ユーカリがいなければ、絶対に奥へは踏み入れたくない場所だ。
「あちこちで小さな物音がするです。皆さん気をつけてくださいです」
「……あそこ、葉っぱ揺れてる」
「魔法であっちを照らして。ボクが行ってくるよ」
シトラスが入っていった茂みが大きく揺れ、緑色の物体がはじき出された。それは木の幹にぶつかり、うめき声をあげながら消えてしまう。棍棒を持っていたし、ゴブリン・アームズか。
「こんな浅い場所で人型の魔物を見たのは初めてです。ここはそういう森なのでしょうか?」
「いや、普通はこんな場所までゴブリンが出てくることはない。恐らく森の魔素が湿地まで漏れてるんだ」
「水麦が枯れた原因も、そのせいなのです?」
「湿地と森では、生えている植物がまったく違うだろ。湿地に生える植物は魔素に弱く、森に生える植物は魔素のない場所で生きられない。だから湿地と森で植生が違う」
「……森が成長してる?」
「俺が知る限り、過去にそうした記録はなかった。仮に森が成長してるのなら、湿地も大きくなるはずだしな」
魔素の広がりに合わせ、森の奥にいる魔物がここまで出てきたって辺りか。やはり今のタイミングで森に入ったのは正解だった。このまま放置しておけば、どんな事態になるかわからん。
「キミたち上人って、魔素を感知できないの?」
「残念ながら、それは無理だ」
「……あるじ様、魔素ってなに? 魔力と違うの?」
「俺たちの持っている魔力は、空気中に漂うマナを取り込んで使う。そしてマナの元になる原始的な物質が、魔素と呼ばれる。ちなみにマナや魔力だけでなく、魔素まで感知できるギフトも存在するぞ」
かなりレアなギフトだけどな。
「じゃあ実際に目で見てみないと、なにが原因かわからないってことだね」
「そういうことだ。周囲にある水麦が枯れているのは、森からあふれ出した魔素の可能性が高い。今の時点で判断できるのはここまでで、その理由はまったくわからん。魔物や魔獣の配置が変わってるだろうし、慎重に進んでいこう」
それにしてもシナモンは本当に夜目が効く。俺たちには真っ暗にしか見えない場所でも、きっちり異常を判別できている。夜更かしのできない子だから、今までその力を発揮したことはない。まさかここまで能力が高かったとは……
「……あるじ様、あっち」
「よし、任せろ」
「わたくしが矢で釣ってみます」
ミントが音で接近を感知し、シナモンが正確な場所を見つける。俺の魔法で暗闇を照らし、大きかったらユーカリが矢を撃つ。そして出てきた魔物や魔獣は、シトラスとシナモンが倒す。なかなか理想的なパーティーだぞ。俺はただの照明係になってしまっているが!
適材適所ってことだよな、うん。俺は的確な指示と、不測の事態に備えることだけ考えよう。
そんな感じで奥へ進んでいくと、徐々に魔物の数が減ってきた。かなりの距離を歩いたはずなのに、これはおかしい。もしかすると魔物が浅い位置に来ていたのは、ここから押し出されたせいだろうか。
「なんだかお耳がピリピリするです」
「わたくしもしっぽが妙に重たくなった感じ、とでも言えばいいのでしょうか。奥へ行くに連れて違和感が増してきます」
「息苦しいってわけじゃないんだけど、なんか空気が重いんだよね。こんな感じボクも初めてだから、うまく説明できないや」
「確かにまとわりつくように嫌な感じがするな」
「……あるじ様、戻る?」
魔物や魔獣が出なくなったり、得体のしれない感じがする。しかし毒物や精神汚染といった感じではないと思う。生命の危機が脅かされるような、差し迫った状況でないのは確かだ。
「もう少しだけ進んでみよう。それでなにも見つからなかったら戻ることにする」
そうなると集落を捨てて移住するしか無いんだよな。このまま森の近くに住むのは危険が大きい。その時はできる限りのサポートをしよう。
考え事をしながら歩いていたので、少しだけ反応が遅れてしまった。俺の体はユーカリのしっぽに、ふんわり受け止められる。こんな時になんだが、ちょっともふってやるか。
「……あるじ様、あそこなにかいる」
「そこにある大きな石だな」
「……真ん中にある、くぼみのとこ」
モフり欲をなんとかなだめつつ、シナモンの指差す方へ光源を動かす。凹んだ部分に黒い塊が見えるぞ。あれはなんだ?
よく見ると白い線の部分は手足っぽい。そして黒い塊に光が当たると、かなり複雑な形状をしているとわかる。あれは折りたたまれた羽だな。つまりあそこにいるのは、岩のくぼみでうずくまる有翼種!
どうしてこんな場所にいるのかわからんが、魔法の光が当たってるのに、こちらを見向きもしない。自分を抱きかかえ、なにかを抑え込んでいるようにみえる。これは事情を聞くしか無いだろう。
「俺たちは森の調査に来た冒険者だ。決して危害を加えないと約束する。だから話はできるか?」
声の届く距離まで近づき、なるべく脅かさないよう問いかけてみた。なにせ有翼種ってのは、滅多に人前へ姿を表さない。非力で気も弱く、誰にも見つからないよう森の奥でひっそり暮らす、それが有翼種だ。
「こんな奥まで……入ってきては、ダメ。早く帰りな……さい」
「俺たちのことなら心配しなくていい。第一そんな状況じゃないだろ。お前の体は何かに侵されてるぞ」
見た目もそうだが、問題の本質は違う。論理演算師の映し出す数値は〝#000 1111〟になっているのだから。八ビット目がペンで書き殴ったように、黒く塗りつぶされているとか、何かの冗談だろ。こんな状態の野人なんて、初めて見たぞ。
「私……は、森贄。……森の怒りを、受け止める……存在」
「森とともに生きるお前たちの種族は、今の状態をそう呼んでいるのかもしれない。恐らく滅多に発生しないものだと思うが、その体調不良は病気や呪いとは異なる現象だ。俺にはその原因が見えている」
「ねえ、もしかしてボクたちと同じ?」
「ああ、彼女も八ビット持ちだ。しかし決定的な違いがある。彼女の持つビットが、一つだけおかしい」
「苦しそうにしてるのは、そのせいなのです?」
「間違いなくそれが原因だろう」
なにせ俺のビット操作で、全身に毛が生えるなんて前例があるからな。ビットの異常で体に影響が出ても、おかしくない。
「お助けできるのでしょうか、旦那様」
「……苦しそうな人、見るの嫌」
俺の持つギフトで異常なビットを追い出せば、もしかすると助かるかもしれん。しかし、魔力が馴染んでない状態でのビット操作は、相手の体に大きな負担となる。
「優しい、上人なの……ね。でもいいの、私はもう……長くないか……あっ、あぐぅぅぅ」
「体から黒い棘が生えてきたです!?」
「ちっ! 七ビット目も侵食しやがった」
どうやらビットの異変は、徐々に進行しているらしい。塗りつぶされたビットがずれ〝*#00 1111〟になってしまう。有翼種の女性は更に苦しみだし、皮膚を突き破るように黒い棘が生えてきた。
「うっ……うぅっ、もう……いや。私を……ころ、し、て」
「バカなことを言うな。お前のように将来有望な野人を、みすみす失ってたまるか。死に急ぐくらいなら、俺に命を預けろ」
「なにを、したいのか……あぐっ。……わからないけど。いいわ、あなたの……好きに、して」
この異常をなんとかできるのは俺だけだ。ぶっつけ本番だがやってやる。どうしてビットが文字化けするのか、その原因はわからん。しかし、そんなの知ったことか。苦痛の元になっているビットを追い出し、その羽根をモフりまくってやるぞ!!
次回「0093話 ビットシフト」。
論理演算師のギフトをフルパワーで発動する!