0082話 セントラル・ライブラリー
ユーカリやミントにも事情を説明し、三人でロブスター商会へ向かう。夏真っ盛りの時期なので、今日の日差しもかなりきつい。とはいえ、日本の夏に比べたら、ずいぶんマシだ。今にして思えば、よくあんな劣悪な環境で、生きていられたな。
「シナモンがキミの従人になったら、まずはレベル上げするんだよね?」
「レベルを上げて体力をつければ、栄養失調からの回復も早くなる。基本的な体作りをしながら、レベルアップしていくのが理想だな」
「じゃあ、また十日くらい狩りはお休みかぁ……」
「実はそうでもない。恐らく明日くらいには、ビット操作できるようになる」
「えっ!? どういうこと?」
「俺の魔力が込められた薬を飲ませただろ、あれがシナモンの体に影響を及ぼしたらしくてな。すでに魔力を受け入れられる状態になってるんだ」
なにせ片時も俺から離れようとしないくらいベッタリなので、魔力の馴染みが早い早い。今も手をつなぎながら歩いているが、魔力を流してもほとんど抵抗がなくなっている。まさかこんな副作用があるとは思ってなかった。実にいい方向にだが。
「それならすぐ元気になれそうだね……って、大丈夫? シナモン」
心配顔になったシトラスにつられてシナモンを見ると、汗を流しながらハアハア言っていた。バカか俺は。病み上がりの子供を炎天下に歩かせてどうする。
「すまんシナモン、俺の配慮が足りなかった。すぐ抱っこしてやるからな」
シトラスに日傘を持たせ、抱きかかえたシナモンに冷風魔法を発動。ついでに汗を乾かし、服をきれいにしておく。
「……はふぅ。もう大丈夫。ありがとう、あるじ様、シトラス」
「病気がぶり返したんじゃないかって、びっくりしたよ」
「今日はこのまま商会まで行こう。帰りも抱っこしてやるから安心しろ」
「……うん、うれしい。あるじ様、優しいから好き」
首に手を回して抱きついてきたシナモンが、顔をグリグリ擦り付けてきた。ネコ耳が当たって、実にたまらん!
「ほら、だらしない顔してないで行くよ。今日は色々やることがあるんだからさ」
「わかってるから、引っ張っていこうとするんじゃない。シナモンを抱いてるんだ、危ないじゃないか」
シトラスの奴め、俺のささやかなお楽しみタイムを邪魔しやがって。お前だって遠慮なく甘えにきていいんだぞ。俺の受け入れ準備は、いつでも万端だからな!
「どうせキミのことだから、ボクにも甘えてほしいとか考えてるんだろ」
「よくわかったなシトラス。そのピンと立ったオオカミ耳を、思う存分擦りつけに来い!」
「シナモンが使役契約しようって男は、こんなどうしようもない変態なんだ。考え直すなら今のうちだと思うよ」
「……美味しいご飯食べさせてくれるの、あるじ様しかいない。こうやって優しくしてくれるのも、あるじ様だけ。だからあるじ様の役に立ちたい」
まったく、素直で可愛い奴め。ご褒美に顎の下を撫でてやろう。うりうり、どうだ。
「……あるじ様、気持ちいい。すごく元気が出る」
「まあシナモンもすぐ、こいつを片手で倒せるようになるはずさ。だから変なことされそうになったら、ちゃんと抵抗しなきゃダメだからね」
「……うん。そうやって心配してくれるシトラス、すごく優しい。ミントやユーカリもいい人。だからみんなといたい」
まあこう言われたらなにも返せないな。俺たちに日陰を作ってくれていたシトラスは、しっぽを左右に揺らしながら諦め顔で歩き出す。嘘がつけないしっぽは、可愛くてたまらん。
それに置いていかれないよう、シナモンを抱っこしたまま俺も歩く。そうしているうちに、ロブスター商会の本店が見えてきた。
「いらっしゃいませ、タクト様」
「すまない、今日も世話になる」
昨日応対してくれた受付嬢が、立ち上がって挨拶をしてくれる。じっとこっちを見ているが、従人を抱っこしている姿がそんなに珍しいのか?
「もしかして、タクト様が抱いてらっしゃるのは、昨日お話にあった……」
「ああ、そうだ。ロブスター商会のおかげで、こうして出歩けるまで回復した。その件でお礼と報告をしたいのだが、ローゼルさんは在席しているだろうか」
「しょ、少々お待ちください」
慌てて奥の方へ入っていくと、すぐローゼルさんが来てくれた。こうして執務室が隣接しているのは便利だな。
「やあ、いらっしゃいタクト君」
「連日アポイントメント無しで訪問して申し訳ない」
「そんなこと気にしなくても大丈夫だよ。ここじゃ目立つから、奥に来てくれるかい」
シナモンの首に出ている従印は赤いから、ひと目で契約者がいないとわかってしまう。しかも連れているのが名の知れたブリーダーならまだしも、なんの資格も持たない旅行者の俺だ。ここに来るまでも、好奇の視線を向けてくるやつがいた。
商会にとって重要な部屋である執務室は、他所の従人を簡単に招き入れていい場所じゃないはず。なのにこうして即座に奥へ案内してくれるのは、とてもありがたい。
「すまんがシトラスとシナモンは、俺の後ろに控えていてくれ」
「うん、いいよ」
「……わかった」
「ああ、タクト君。きみが連れている従人だ、ここではそんなこと気にしなくても構わないよ。二人とも座らせてあげなさい」
本当にこの人は従人に関する価値観が、オレガノさんやセイボリーさんに近いな。
以前そのことをセイボリーさんに聞くと、オレガノさんから影響を受けたと言っていた。ならこの人はどうしてだろう。まさかオレガノさんと同じく、身内に転生者や転移者でもいたんだろうか。
「それならお言葉に甘えさせてもらう」
シトラスは俺の隣へ腰掛けたが、シナモンはさも当然のように膝へ座ってきた。まあ可愛いし背も低いから、構わないんだが……
「まさか次の日に連れてくるとは思わなかったよ」
「ローゼルさんから教えてもらった、薬の効能を高める方法。あれが思った以上に効果的でな。飲ませた直後に熱が下がり、一時間もしないうちに食欲まで出てきたんだ」
「そこまで劇的に変化はしないはずだが、一体どれほど魔力を込めたのかね?」
「どんどん吸収されていくから、真っ白になるまで流し込んでみた」
「……なっ!?」
やはりやりすぎだったようだ。ローゼルさんの驚いた顔が、そのことを如実に証言している。オレガノさんにも俺の魔力量は多いと言われていたが、レベルアップの恩恵で爆発的に増えてるしな。そろそろ魔力タンクなんて呼ばれる連中と、同じくらいになっただろうか。
「あれは全力で魔力を込めても、薄く濁る程度なのだが。いやはや、やはりタクト君は計り知れない」
論理演算師のギフトでビット操作するには、従人との魔力的なつながりが必要になる。そのためには常に魔力を流し続けなければいけない。つまり従人が増えれば増えるほど、消費量が多くなってしまう。その辺りの影響も、総量が伸びる要因だ。使えば使うほどキャパシティーが増えるのは、ある意味お約束なのだから!
「ともかくその子の再契約をやってみよう。タクト君、この魔道具を首の従印に当ててくれるかな」
ローゼルさんが魔道具を起動し、俺に渡してくれる。鍵を模した契約の魔道具は、登録された者にしか反応しない。所有者のローゼルさんが起動してくれた魔道具、この状態でシナモンとの再契約が可能になれば、ロックは外れるはずだが……
「くそっ、やはりダメだったか」
「ねえ、どういうこと?」
シトラスが不思議そうな顔で俺を見る。結果が出るまではと思い話してなかったから、疑問が出るのは当然か。しかし、こうして確定してしまったからには仕方がない。どちらにせよ、犯罪者は締め上げる予定だ。
「使役契約というのは、この世界が作ったシステムでな。中央図書館と呼ばれる領域で、一元管理されている。この魔道具は、その情報を更新するツールなんだ」
セントラル・ライブラリーは、この星にある全ての情報を網羅している。マジックバッグが本人にしか使えなかったり、物品に所有権という属性がついているのも、そこにデータが書き込まれているから。前世でいうところの、データベースみたいなものか。
「それが反応しなかったってことは、未契約になったシナモンの記録が、ないってことなんだね」
「さすがシトラス、理解が早い。強引な契約や解除をしようとすれば、特殊な魔道具が必要になる。その手の密造品には正規の情報を改ざんし、書き換えてしまう機能があるんだ。前にも言ったと思うが、お前たちのつけているチョーカーは、それを防ぐ防護壁といったところだな」
「……私、あるじ様と契約できないの?」
「心配するな、シナモン。お前の契約を解除した魔道具の中には、改ざん前の情報が残っている。それを使えば、使役契約することが可能だ。必ず俺のものにしてやるから、もう少しだけ待ってろ」
「……うん。あるじ様と離れるの、いや。だから待ってる」
くるりと反転したシナモンが、俺にヒシっと抱きついてきた。よしよし、いい子だな。ご褒美に耳をモフってやるぞ。
「出会ったばかりだというのに、こんなにも従人から求められるなんて。さすがタクト君だね」
とにかくシナモンから、犯罪者の居場所を聞き出そう。この街に詳しいローゼルさんがいれば、断片的な情報からでも突き止められるはず。あとはシトラスと二人で乗り込むだけだ。封印していた論理演算師の力、思う存分味わうがいい!
次回はシトラスが大暴れ。
「0083話 地下酒場」をお楽しみに。