0080話 シナモン
脱衣場で服を脱ぎながらシナモンのことを考える。野良従人の再契約は、色々と手続きが面倒だ。変に犯罪歴が残っていたりすると、大きなペナルティーを食らってしまう。その辺りは便宜を図ると約束してくれた、ローゼルさんの言葉を信じるしかない。
とりあえず今は命を救えたことで十分。あとのことは明日考えるとするか。そんな方針を決めたとき、脱衣場の扉がガチャリと開く。
「おいシナモン、俺は今から風呂に入るんだぞ」
「……一緒に入る」
「別にかまわんが、お前は恥ずかしくないのか?」
「……恥ずかしい? どうして」
「シナモンが隠そうとしない限り、俺は遠慮なくしっぽの生え際を、見せてもらうからだ」
「……あるじ様なら、平気」
まだ使役契約もしていないのに、俺のことをあるじ様とか呼び始めたんだよな。しかも膝の上で眠ろうとするくらい、ベッタリと懐いてしまった。行動も猫っぽくて、実に可愛いじゃないか! ビバ、猫種!!
「もしかして裸を見られるのに慣れているのか?」
「……誰にも見られたことない。あるじ様ならいい」
「シトラスあたりに頼んで、風呂の入り方を教えようと思っていたが……」
本人がこう言ってるのだから、とりあえず好きにさせてやろう。ついでにシナモンのことも色々聞けるし、ちょうどいい機会だ。
「よし、なら俺が風呂の入り方を教えてやる。脱いだ服は、そこのカゴに入れておくんだぞ」
「……わかった」
こっちを見上げながら、シナモンは二ヘラっと笑顔を浮かべる。なんなんだろうな、この可愛らしい生き物は。ついつい世話を焼きたくなってしまうぞ!
「ほら、両手を上に伸ばしてバンザイしろ」
「……ん」
着慣れない服に悪戦苦闘しているシナモンを丸裸にし、洗い場の椅子に座らせた。背中に浮かぶ痣は、虐待の跡か。外から見えにくい場所を狙うとは、実に陰湿なやり口だ。シナモンをこんな目に合わせた奴ら、俺が必ず潰してやる。
「これが石鹸だ。いい匂いはするが、食べたらダメだぞ」
「……あんまり、美味しくなさそう」
何でもかんでも口に入れる子供、というわけではないらしい。ただ、かなり常識に怪しいところがあるんだよな。ユーカリのように暗示で歪められたという感じでもないし、単に育った環境が不思議ちゃんにしたんだろうか。
「まずはしっぽを洗うからな」
「……くすぐったい」
「すぐ慣れると思うが、耐えられなかったらいつでも言え」
うおー、やはり猫のしっぽはたまらん!
細くてしなやかなのに、しっかりとした芯がある。短い毛が高密度で生えている感じだ。これはシナモン用のブラシを買っておかねば。もう一段目の細かいコームを、早急に揃えておこう。
「次は体を洗ってやる。染みたり痛かったりしたら、遠慮なく言うんだぞ」
「……痛いの慣れてる、平気」
「これからは我慢するな。自分の感じたことや、やりたいことは素直に言え。この家には、それで怒るやつは一人もいない」
「……ん」
石鹸をよく泡立て、なるべく刺激を与えないよう洗っていく。栄養失調でアバラが浮き出ているものの、腹水が溜まっていないのは幸いだ。とはいえ、病気のせいで体力は落ちているだろう。しばらくは高タンパクの食事を作ってやるか。
なにせ十三歳にしては背が低すぎる。ミントより歳上なのに、小型種の穴兎と変わらない身長なのは、明らかに異常だ。
「これから頭を洗うからな。目はしっかり閉じておけよ」
「……わかった」
ホントにされるがままだな。まあ、こうして世話を焼くのは楽しいから問題ないが。
今はこんな状態でも、そのうち自主性が出てくるだろう。今日だって俺と一緒に風呂へ入りたいと、しっかり自分の意思を示したのだし。
◇◆◇
あぐらをかいた足の上にシナモンを座らせると、全身の力を抜いて俺にもたれかかってきた。黒くて長いしっぽが水中で揺らめく姿というのは、控えめに言っても素晴らしい。
「どうだ、風呂の感想は」
「……溶けそうで、気持ちいい」
「病み上がりだから、今日は早めに出るぞ」
「……はふぅ」
だらけまくってるな、こいつ。まだ俺がどんな奴かもわかってないだろうに、気を抜きすぎだろ。襲われたらどうするんだ?
ここまで懐かれたのは、やはり餌付けのせいか。こんな調子では、食べ物に釣られかねん。知らないやつに付いていかないよう、しばらくは目を離さないようにしなければ。
俺のそんな心配をよそに、シナモンは膝の上でグーっと伸びをする。おいこら、可愛すぎるぞ。ちょっと顎の下を撫でてやる。
「……それ好き、もっとして」
この反応は猫だ、完全に猫だ。前世で飼ってみたかった動物ナンバーワンが、従人となって俺に甘えてくれるとは。幸せすぎて目眩がしてしまう。
「シナモンは野良になる前、何をやらされてたんだ?」
「……誰もいない大きな家に入って、珍しいもの探してた」
この街は別荘が多いし、空き巣に入らせてたのか。失敗したらいつでも処分できる、従人を使って……
「……お金にならない物ばかり拾うから、叩かれたり蹴られたりした。それでもういらないって捨てられた」
「その時、なにか食べさせられなかったか?」
「……最後に珍しいものを食わせてやるって、緑色の料理を出してくれた。上人に何か作ってもらうの初めてで、ちょっと嬉しかった」
「その食事、苦かっただろ」
「……うん。吐き出そうとしたけど、無理やり飲まされた」
やはり貝の肝を生で食べさせられてるな。こんなに小さくて愛らしいもふもふに、クソッタレなことしやがって!
「……そのあと何も食べたくなくなった。汗がいっぱい出て寒くて震えてたら、無理やり腕を引っ張りながら付いてこいって。息苦しくて、真っ直ぐ歩けなくて、フラフラしてたらここにいた」
「その病気はもう治ったから、心配しなくていいぞ」
「……あるじ様が治してくれたの?」
「俺一人の力じゃない。シトラスやミント、それにユーカリ。他にもセイボリーさんやマトリカリア、ローゼルさんにも力を貸してもらった」
「……もう、体が変になったりしない?」
「二度とあんな目には合わせないから、安心しろ」
「……上人の作った食べ物、ちょっと怖かった。でもあるじ様のは、美味しくて優しい」
「これから毎日、うまい飯を食わせてやるからな」
「……あるじ様、怒鳴ったり叩いたりしない。ご飯、いっぱい食べさせてくれた。それに近くにいると、なんか落ち着く。だから好き」
クルっと反転したシナモンが、俺に抱きついてきた。おー、よしよし。しっとり濡れたネコ耳をモフってやろう。
いつまでもこうしていたいところだが、そろそろ上がらないと体に障る。せっかく病気が治って食欲も出てきたのに、湯疲れさせたのでは話にならん。従人の健康管理は俺に課せられた使命、名残惜しいが時間切れだ。
次回は「0081話 サイズボーナス」
果たしてシナモンのモフ値は?