0072話 ゴナンクビーチ杯 ダート1200m
軽い準備運動のような競技をいくつか終わらせ、いよいよ花形ともいえる対戦が始まる。スタート地点に立つシトラスは、伸脚体操をしながら俺に向かって親指をグッと立てた。
ここまで運が絡む競技ばかり続き、ストレスが溜まってたんだろう。気合が入りまくってるな。
「マトリカリアの一番得意な競技に、あいつがどれだけ迫れるのか楽しみだ」
「走ることに関して異次元の強さを持つ、馬種の全力疾走を見られる機会なんて滅多にない。俺はそっちのほうに興味がある」
「お前なぁ……自分の従人を応援してやれよ」
そうは言うがなセイボリーさん、馬種っていうのは走るために生まれてきたような従人なんだぞ。しかも見たところ、マトリカリアのレベルは相当高い。恐らく数字だけなら、シトラスより上だろう。三等級の彼女を、どうやってレベル上げしてるのかは知らんが、この競技に限っては分が悪いと思ってる。
しかしシトラスにしかない武器は、旅を重ねるたびに伸びていく体力だ。そこがうまくハマるレース展開になれば、下剋上だって夢じゃない。
「シトラスは先行逃げ切りタイプだ。あいつにペースを乱されて無駄な体力を消耗すると、マトリカリアといえども足元をすくわれるぞ」
「まあレース中の作戦はマトリカリアに一任してる。ベテランの走りをよく見ておけ」
セイボリーさんは余裕の表情でニヤリと笑う。これはマトリカリアの優勝を、微塵も疑ってない顔だ。さすがにここまで言われると、一泡吹かせたくなってきた。頑張れシトラス、お前なら出来る!
『――例年この競技は八番の選手が、圧倒的な強さを見せております。その記録は実に六連勝。今年こそ連覇にストップをかける選手が現れるのか、大いに期待しましょう。毎年盛り上がる砂上のスピード競技、いよいよスタートです!』
――カーン
スタートの合図になる甲高い鐘の音で、全員が一斉にゴールへ向かって走り出す。
『まず飛び出したのは九番の選手だ! 速い、これは速い!! まるでラストスパートのような走りで、一気にトップへ躍り出た』
やはり序盤でライバルたちを引き離す作戦できたか。終盤まで脚をためて差し切ろうって戦略、性格的に無理だもんな。だが、それでこそシトラスだ。
『なっ、なんてことだー!? スタート地点に一人倒れているぞー! あれは十番の選手だ。大丈夫か? 怪我はないか?』
ミントのやつ、大きな鐘の音にびっくりして、スタートの時に立ち止まってしまったんだろう。そのまま人の波に飲まれて、はじき出されてしまったっぽい。
「諦めるなミント! 今のお前なら、そこからでも十分追いつける」
「はいですー!」
『おーっと、立った! 契約主からの声援を受け、十番の選手が健気に立ち上がったーッ!! 偉いぞ、転んでも泣かなかった、とても強い子だァー!!!』
「ミントのことを子供扱いするのは、やめてくださいですー」
こらこら。実況に文句を言ってどうする。それより前を向いて走らないと、また転ぶぞ。
「ミントのやつ、すごい人気じゃないか」
「最年少の出場者だし、背も一番小さい。恐らくマスコット的な存在として、見られてるんだろう。しかし、あいつもポテンシャルだけなら、そのへんの従人には負けん。今からそれが証明されるぞ」
『なっ!? ……私は幻でも見ているのか? あの小柄な体型からは考えられないスピードが出ているぞー! あっという間に最後尾のグループへ追いついた!!』
「ミントさん、頑張ってくださーい」
「お先に失礼しますです、ユーカリさん!」
どうだ、見たか!
ミントのレベルは三十三、一等級換算で二百六十四だ。ステータスで体格差を覆すことだって出来る。
ここは砂浜に作られた仮設のトラック。多少足場が悪いとはいえ、障害物が一切ないからな。森で鍛えられた今のミントなら、かなりいい位置まで行けるはず。
『変わって先頭を行くのは、スタートからレースを引っ張る九番の選手。その後ろには大きく分けて三つの集団があります。八番の選手は第二集団につけていますね。ここから上がってくるのか、あるいはこのまま優勝を明け渡すのか、注目したいと思います』
「かなり足をためてるみたいだな」
「毎年あいつはトップ集団にいるんだが、今年はシトラスのことを警戒してるんだろう。最後の直線でマトリカリアの本気が見られるぞ」
もうじきシトラスが最終コーナーを回りきる。ゴールまでの直線はこのコースで一番長い。さて、マトリカリアはどんな走りを見せてくれるのだろうか。
「いよいよ最後の直線です! トップは変わらず九番の選手。おーっと!? ここで八番の選手が大外から上がってきたーッ!! まるで放たれた矢のようにコースを進んでいく。これは走りという次元を超えた飛翔。まるで地面スレスレを飛ぶように、コース上を突き進むー!!」
「後ろから来たぞ、逃げ切れシトラス!」
俺の声が届いたんだろう、前傾姿勢になったシトラスがスピードを上げる。しかしマトリカリアの速さは更に上だ。二人の差はぐんぐん縮まっていく。
『後続グループを置き去りにして、二人の従人がトップを競う。先頭を行く九番に追いすがる八番、その差は徐々に縮まってきた! 逃げ切れるか九番、しかし外から八番が並んでくる。九番逃げる、八番くる、八番くる、八番くる、差し切ったぁーーーーーーっ!!!』
くそっ! 体半分の差か!
あと数メートルだけでもコースが短かったら、シトラスの勝利だったのに。
『まさに手に汗握る展開でした。先行した九番の選手が逃げ切り優勝かと思いきや、王者八番の選手がまさかの大逆転! ベテランの底力を見せつけたといえるでしょう。このコンテスト始まって以来の名勝負を繰り広げた二人に、会場から惜しみない拍手が送られております』
「よくやったな、シトラス」
「……勝ったと思ったのに」
よほど悔しかったんだろう。シトラスの目から涙がこぼれそうだ。
こいつの泣き顔なんて初めてみた。俺はシトラスをそっと抱きしめ、頭をゆっくり撫でてやる。こんな姿、他の奴らには見せたくないしな。
「走りのプロに本気を出させたお前は、本当にすごいやつだよ。だから胸を張れ、こんなことでクヨクヨするな。また来年挑めばいい」
「来年もコンテストにエントリーしてくれる?」
「もちろんだ。負けたままで引き下がれるか! もっと強くなって、次こそ勝つぞ」
「わかった!」
泣き止んだシトラスが、俺の胸から離れていく。そしてセイボリーさんの隣に控えているマトリカリアへ、指をビシッと突き出す。
「今度はボクが勝つからね!」
「そろそろ引退を考えていましたが、そこまで言われたら引き下がれません。受けて立ちましょう」
近づいてきたマトリカリアが手を差し出し、それをシトラスがガッチリ握る。すると会場から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「ミントとユーカリもよくやったな」
「十位入賞には届かなかったのです。ミントも悔しいのです」
「わたくしは目標の上位半分に入ることが出来ました」
スタート地点で転倒するというハンデを乗り越えて、第二グループまで追いつくことが出来たんだ。十分誇っていいぞ、ミント。なにせあの集団には、虎種や狼種といった、身体能力の高い連中ばかりいた。兎種のお前が追いついた時、みんな驚いていたからな。
それにユーカリも狐種の中ではトップの成績だ。猫種の従人と同等の走りができるだけでも、大健闘といっていい。
惜しくも優勝を逃してしまったが、三人の実力は観客たちに印象付けられただろう。この調子で他の競技でも結果を出していけば、従人たちの待遇が変化するきっかけになるかもしれん。
実況は番号でしか選手を呼びません。
8番:マトリカリア
9番:シトラス
10番:ミント
11番:ユーカリ
です。
◇◆◇
次回はミントとユーカリが活躍、そしてお約束の……
「0073話 午後の競技」をお楽しみに!