0007話 いよいよお楽しみの時間だ!
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キリのいいところまで話ができたので、風呂から上がることにする。さっきの言葉を反芻しているのか、シトラスの反応が薄い。これからお楽しみタイムが始まろうとしているのに、このままだと面白くないな。
「シトラス、風呂上がりにこの軟膏を全身に塗っておけ」
「なんだい? それは」
「お前の体、あちこちに引っかき傷や切り傷があるだろ」
「捕まってた場所では、ろくに食事もさせてもらえなかったんだ。たまになにか出てきたら、全員で奪い合いさ。そのときに負った傷だよ、これは。なにせ負けたやつから弱って動けなくなる、そんな場所だったからね」
本当にろくでもないパピーミルだったらしい。そんな業者は潰れて正解だ。
「この薬を塗ると外傷の治りが良くなる。ついでに保湿効果もあるから、肌もきれいになるぞ」
「野人は怪我の治りも速いんだ。こんなの必要ないよ」
「まあそう言うな、せっかく買ったものが無駄になる。背中は俺が塗ってやるから、素直に使っておけ」
了承の返事も聞かず、軟膏を指ですくって塗り拡げていく。体型にコンプレックスがあったり、裸を見られて恥じらったりする割に、自分を磨くことに無頓着だ。一人称が〝ボク〟だったり、こいつも色々抱えているんだろう。
「本当にキミは自分勝手だよね。ボクの意思なんか少しも考慮してくれないじゃないか」
「従人にそんな権利があるわけ無いだろ。お前は俺の所有物なんだぞ」
「さっきの話を聞いてちょっと前向きな気持になれたのに、全部台無しになってしまったよ」
俺の従人になったからには、身なりや健康には気を使ってもらうからな。薄汚れて死んだ目をしてるようなやつを、連れ歩いたって楽しくないだろ。どこに出しても恥ずかしくない状態になるまでは、やりたい放題させてもらうぞ。
「服は明日買いに行くから、今日は販売店が出してくれたもので我慢してくれ。生活魔法で洗濯しておいたから、汚れだけはちゃんと落ちてる」
「どうせこのあと脱がされるんだ、服なんてどうでもいいよ」
「なら明日の朝まで裸で過ごすか?」
「絶対に嫌だ!!」
カゴごと服を奪い取り、俺に背を向いけながらいそいそと身に着け始める。水気を含んで垂れ下がったしっぽが、哀愁漂う彼女の気持ちを代弁しているようだ。とりあえず俺は、煮込み作業をしている鍋の様子でも見てこよう。
◇◆◇
灰汁を取ったりかき混ぜたりしながら、次にやる作業の準備を進めていく。寝室の方をちらっと見ると、ベッドの上で体育座りをしたシトラスが、不安そうに下を向いていた。しかし俺のテンションは、どんどん上がってくる。なにせ前世と合わせたら、四十年近く我慢してきたんだからな。冷静でいろって方が無理な相談だ。
両手に今から使う道具を持ち、寝室へ向かう。
「さあシトラス、いよいよお楽しみの時間だ!」
「くっ……」
「どうした、覚悟を決めたんじゃなかったのか?」
「わっ、わかってるよ。ボクはキミの所有物で、逆らうことも逃げ出すことも許されない、だろ?」
そんなに震えるな。子犬みたいで可愛いだろ。今から行う行為は、お前の持つポテンシャルを引き出すだけだから、心配しなくても大丈夫だぞ。
「やっと理解できたようだな。ならこれを持て」
「それはビン? 中に入ってるのは水麦かな」
「この棒で水麦をひたすら突きまくるんだ。白くなってくるまで頑張るんだぞ」
「それになんの意味があるのさ」
「言葉で説明するより体験したほうが早い。とにかく今は無心で続けろ。その間に俺はお前で楽しませてもらうからな」
「よくわからないけど、これをやってる間はボクにエッチなことしないんだよね?」
「少しでもサボったらお仕置きするから、覚悟しておくけよ」
謎の作業を強いられることに気を取られているのか、話の後半を聞き流してしまったようだ。体の震えも止まったし、そんなにエッチなことが怖かったのか。もし行為に及ぶつもりがあったなら、すでに風呂場で襲われてたぞ。
頭の上に疑問符を浮かべたまま、シトラスは精白作業に取り掛かる。俺は毛の長いブラシを持ち、まだしっとりしているしっぽの前に座った。
「ちょっ!? なにしてるのさ」
「しっぽの乾燥とブラッシングだ」
「なんか暖かい風が当たってるんだけど」
「ドライヤーの生活魔法だな」
左手のひらを起点として、そこから発生させた温風をしっぽへ当てていく。脱水の魔法もあるが、あれは一瞬で乾いてしまう。それはしっぽをモフる時間が減るという、重大なデメリットをもたらす。なのでドライヤーの魔法だ。
「あのさぁ、ボクたちのしっぽや耳って、結構敏感なんだよ。あんまりベタベタ触ってほしくないんだけど」
「残念ながらその願いは聞けんな。こうやって手入れをするのは、俺の生きがいなんだ。それを奪おうなんて、俺に死ねというのか」
「いやいや、待ってよ。それって大げさすぎないかな」
大げさなものか。俺が今どれだけ感動に打ち震えているか、生まれながらにしっぽを持ったお前には理解できまい。水分が蒸発して、徐々にほどけていく毛を見ているだけで、震えるほど興奮してくる。ブラシを通すたびふわりと広がっていく姿は、どんな芸術作品よりも美しい。肌を優しく撫でる柔らかい感触を知った今、俺はもう戻れない場所に来てしまった。天国はここにあったのだ!
このモフモフの毛に埋まって眠りたい……
「ボクのしっぽで顔を拭くのはやめてよ!」
「おっといかん、あまりの心地よさに我を忘れてしまった」
「キミが変な性癖を持ってるって、よくわかった。やっぱりボクの体が目当てだったんだ」
「お前のしっぽに惚れたのは確かだ。だがよく見てみろ、しっかり洗って丁寧に乾かすと、ここまでモフ値が上昇するんだぞ。今は七十ってところだな」
「こんなフワフワになったのは初めてだけどさ、キミの変態行為に付き合わされた感じがして、すごく複雑な気分だよ」
「変態行為とは失礼な。これは身だしなみを整える、神聖な儀式なんだぞ」
「そういう言い方が原因だって、気づいてほしいな……」
ほっとけ!
「それより次は髪の毛も梳かすぞ。少し耳もモフらせてもらうが、作業に集中していたら耐えられるはずだ」
「はいはい、わかったよ。なにを言っても無駄だなんだろうし、キミの好きにして」
「ハイは一回でいい」
マジックバッグから目の細かいコームを取り出し、温風を当てながら髪をすいていく。しっぽと同じ鈍色の髪は、木製のコームを通すたびに艶が増す。
「洗濯に使ったのもそうだけど、生活魔法って本当に便利だね」
「上人なら誰でも使える、基本中の基本って魔法だからな。生活に根付いたものを中心に発展してきた。ちなみにこのドライヤー魔法、俺のオリジナルだぞ」
「えっ!? 魔法って作れるの?」
「これは一種の複合魔法だから、制御の仕方さえ間違わなかったら、割と簡単だ」
「ふーん」
「少し難しい言い方をすれば、魔法はどうやって事象に干渉するかという、手続きの塊みたいなものだからな」
転生者である俺は、分子や原子といった知識がある。魔法で引き起こされる事象の変化を、想像しやすいってわけだ。それにハイハイができる前から、自分のギフトを使ってきた。ギフトだって魔法の一種だから、細かい制御はお手のもの。
「それなら他の魔法も得意なんだろうね」
「実はな、俺は生活魔法しか使えない」
「どうしてさ」
「広範囲に威力のある事象改変を起こすのが、苦手なんだよ。だから出来ることは紙に火をつけたり、野菜を細かく切り刻むくらいだな」
この世界で属性魔法と呼ばれるのは、火の玉を飛ばしたり風の刃を生み出したり、見た目が派手で威力の高いものを言う。それ以外は十把一絡げで生活魔法だ。要は殺傷能力が高くないと、属性魔法として認められない。
もちろん生活魔法だって、使い方次第で危険なものに変わってしまう。現に俺が開発した魔法の中にも、殺傷能力を持つものが存在する。しかし効果や範囲は限定的だ。例えて言うなら縫い針でも人を殺せるが、それを武器と呼んだりしない。包丁やバールなんかも同じ理由だな。
「色々知ってるし、珍しいギフトも持ってるから、なんでも出来ると思ってた」
「まあ誰にでも得手不得手はあるってことだ」
「キミの意外な一面を知った気分だよ」
「さて、髪も乾いたぞ。俺は料理の様子を見てくるから、シトラスも作業を続けておけ」
属性魔法が苦手になった原因は、想像がついている。それは生まれた時からギフトを持っていたせい。一般の子供は、ギフトを授かる前に魔法を学ぶ。しかし俺はひたすら自分のギフトを使い、精度と持続力を鍛えてきた。だから瞬間的に大きな力を出すことが、できなくなったんだろう。
別にそれでも構わない。俺の持つ論理演算師というギフトは、従人の才能を開花させる力だ。そのために特殊な配列を持ったシトラスと、契約したんだからな。