0068話 新しい遊び
ユーカリの腕を引きながら、ゆっくり後退する。顔を水につけて息を吐き、上げると同時に口を開けて吸う。どうやら水の中で目を開けられるようになったらしい。こちらへ向かってニッコリ微笑んできた。
「バタ足ももう完璧だな。ここらで一度休憩するか?」
「いえ、まだまだ大丈夫です。水に浮かんでいると、体がすごく楽ですから」
男の俺にはわからんが、かなり重いと聞いたことがある。浮力という物理現象は、偉大だということか。頭の片隅でそんなことを考えながら沖の方へ視線を向けると、浮き輪に取り付けたロープを引っ張るシトラスが、恐ろしい速さで通り過ぎていく。白波を立てるとか、どんなスピードだ。スクリューでも付いてるのか?
「シトラスさん速いのですーーー」
「ミントさん、すごく楽しそうですね」
「あとでユーカリも引っ張ってもらったらどうだ? 大きめの浮き輪もあるから、膨らましておくぞ」
「いまは旦那様を独占したいので、お昼からお願いしてみます」
そんな可愛いことを言うんじゃない。しっぽをモフりまくりたくなるじゃないか。まあ群がっている小魚に悪いので、今は我慢しておこう。食べられる大きさになるまで成長したら、食卓へ恩返しに来いよ。
「それなら単独で泳ぐ練習をしてみよう。ユーカリはこの場から動かないようにな」
そう言い残して、俺はザブザブと沖の方へ進んでいく。まずは十メートルくらいに挑戦させてみるか。
「あの、旦那様。少し遠すぎませんか?」
「これくらいなら息継ぎなしでも泳ぎきれる。失敗してもいいから頑張ってみろ。ここまでたどり着けたら、ご褒美をやるぞ」
「わっ、わかりました。やってみます!」
ご褒美という言葉に反応したのか、やる気になってくれたようで何よりだ。少しだけ逡巡したあと、勢いよく水へ飛び込んだ。まだ腕の動きはぎこちないが、バタ足はとても綺麗にできている。練習の成果がしっかり出ているな。
「頑張れ、あとちょっとだ」
かなり必死に水を掻いてるので、俺の声は届いてないだろう。しかし目はしっかり開けているらしく、直前で動きを止め近づいてきた。
「ぷはぁー。……はぁ、はぁ。やっ、やりました、旦那様」
「よしよし、よく頑張ったな、ユーカリ。ご褒美はなにがいい?」
「このままギュッてしてください」
それくらいならお安い御用だ。立ち泳ぎのままユーカリを抱きしめ、ついでに耳をモフっておく。足の付かない場所でも固くならず、体はしっかり浮いている。これなら水に落ちても大丈夫だろう。
「あー、また二人だけでイチャイチャしてる」
「タクト様とユーカリさんは、いつもラブラブなのです」
「二人とも戻ってきたのか、面白かったか?」
「うん、だいぶ泳ぐコツが掴めてきた」
「シトラスさんに引っ張ってもらって、とっても気持ちよかったです」
初めて海に入ったのに、世界記録を狙えそうな泳ぎができるとか、色々とおかしい。戦闘に関してもそうだが、見様見真似でなんでも出来てしまうんだよな。センスが良いというか、天才肌というか……
それはさておき、シトラスの唇が少し白くなっている。いくら水泳で体を動かしてるとはいえ、冷えてきているんだろう。ここらで一旦海岸に戻って、水分補給もしておかねば。遊びで体調を崩す訳にはいかん。
「とりあえず海岸へ戻るぞ。そろそろ休憩しておかないと、体に負担がかかる」
「えー、まだ泳ぎ足りないんだけど」
「しばらく海に入るのは禁止だ。体が冷えすぎると内臓の働きが悪くなって、飯が美味しく食べられなくなるぞ」
「うーん、それは困るかな。わかった、海岸へ戻るよ」
「体を動かしたいなら、砂浜で出来る遊びを教えてやる。シトラスなら、ハマること間違いなしだ」
「そんなのあるの!? キミがそう言うくらいだから、ちょっと楽しみ。ほらほら、グズグズしてると置いてっちゃうからね」
まったく現金な奴め。この日のために用意しておいたアレなら、存分に楽しめるはず。従人たちの持つ狩猟本能を、刺激すること間違いなしだからな。
◇◆◇
浜辺に戻ったあと、生活魔法で海水を洗い流しておく。せっかくのモフモフが海水の成分で、ゴワゴワになってしまうと台無しだ。その後クーラーボックスから取り出した飲み物で一息つく。
シトラスのしっぽがゆらゆらと揺れているし、そろそろ構ってやるとするか。
「おーい、シトラス。新しい遊びを教えてやるぞ」
「ねえねえ、なにするの? どんな遊び?」
「やることは簡単だ。俺がこれを投げるから、地面へ落ちる前にキャッチしてみろ」
俺は荷物の中から特注した円盤を取り出し、シトラスの前へかざしてやる。
「あれ? ボールじゃないんだ」
「これはフライングディスクといって、ボールより滞空時間が長くてスピードも遅い。複数人で得点を競うゲームもあるが、二人でやるなら互いに投げ合ったり、投げる役と受ける役に分かれて、いかにカッコよくキャッチできるかを意識しながら、遊んだりする」
「へー、面白そう。早くやろ、ねえねえ、早く!」
「わかったからそう急かすな。いくぞー」
俺はシトラスから少し離れて、手に持ったディスクを水平に振りながら離す。回転の加わったディスクが揚力を生み、高度を上げながら滑空する。
「うわー、あんな感じに飛んでいくんだ」
「グズグズしてると地面に落ちるぞ。シトラス、ゴー!!」
俺の合図で目的を思い出したシトラスは、砂塵を巻き上げながら走り去っていく。足場の悪い砂浜でも、平地と変わらない速度が出てるな。本当にあいつの運動神経は、どうなってるんだか。
「やったー、取れたー!」
「ナイスキャッチだ、シトラス」
「ねえねえ。これ、ボクも投げてみていい?」
「おお、いいぞ。やってみろ」
俺の真似をしたシトラスが腕を振ると、ディスクは少し斜めになって飛んでしまう。だがあれくらいなら俺でも追いつける。
「あれー? 変な方向に曲がっていっちゃった」
「腕を振る角度が悪かっただけだ」
走りながらコツを伝え、波打ち際ぎりぎりでディスクに追いつく。今度はちょっと本気で投げてみるか。さっきの様子を見る限り、多少変な方向にいっても問題あるまい。
「次はこれを取ってみろ」
腰の回転も使って大きく腕を振り抜くと、勢いよく飛び出したディスクがぐんぐん高度を上げていった。ちょっと飛ばしすぎたかもしれん。
「絶対に追いついてやるー」
上空で風にあおられ、思ったより離れた場所へ流されてしまう。しかしシトラスは地面を蹴って大きくジャンプ。空中でキャッチすると、前方宙返りを決めながら着地する。
「どうだ、見たかー!」
「今のはかっこよかったぞ、シトラス」
やはりフライングディスクを捕まえるという行為は楽しいらしい。手にした獲物を見せびらかす姿は、主人に狩りの成果を自慢しているようだ。しっぽも左右にブンブン揺れていて、実に可愛らしいぞ。
そうやって俺たちが遊んでいると、いつの間にかギャラリーが増えていた。シトラスが華麗なパフォーマンスを見せるたび、拍手喝采がまきおこる。
そんなギャラリーの中から、若い男性が一人抜け出す。そしてそのまま俺たちの方へ。
「ちょっといいかな?」
「ああ、構わないが」
「君たちが投げあってるそれ、どこで売ってるのか教えてほしいんだけど」
「これはマツバ雑貨店に作ってもらったんだ。まだ店頭には出してないと思うが、フライングディスクが欲しいと言えば、売ってくれる」
「フライングディスクだね。ありがとう、ちょっとお店に行ってみるよ!」
男性がギャラリーの中へ戻ると、その場にいた全員が街の方へ行ってしまった。一連の途中退場で、あれだけ人のいたビーチが、少し閑散としてしまったな。
まあいい。そろそろお昼だし、静かな環境でのんびり弁当を食べよう。
というわけで、タラバ商会の系列店は
・ズワイ衣料品店
・エチゼン工房
・マツバ雑貨店
でした(笑)
トップがヤドカリなんですよね……(ぁ
次回は「0069話 ついつい本気を出してしまった」をお送りします。