0067話 百三十モフの素晴らしさ
やれやれ、やっと海に入ることが出来る。先ほどの熱視線で耐性ができてしまったのだろう、遠くから見られたくらいでは動じなくなったようだ。人口密度も大幅に下がったし、結果オーライといったところか。
「ねえねえ、もう海に入ってもいい?」
「待つんだシトラス。まずは準備運動をして体をほぐし、水に入るときもゆっくり慣らしていかねければダメだ。そうでないと足がつったり、急激な体温変化で体に負担がかかってしまう」
「えー、そんな面倒なことしないと、海に入れないの?」
「準備不足は思わぬ事故につながる。だからコンディションをしっかり整えておくに越したことはない。まずは全員でストレッチをしてから、海へ入ってみるぞ」
荷物をレジャーシートの上へ置き、四人で波打ち際に並ぶ。屈伸運動をしたり上体を前後に倒しながら、コンディションを整えていく。とりあえずユーカリとミントの胸を凝視してる奴には、閃光魔法を発動しておいた。
「それじゃあ、ゆっくり水に入っていくからな」
「波が当たって、なんだかくすぐったいのです」
「水の力がこんなに凄いなんて、ちょっと驚きました」
「波が高い場所では泳いじゃダメって言った意味、よくわかったよ」
「地形や風向き、そして潮の満ち引きで、海の状態というのは大きく変わる。ここは管理された区域なので安全だが、そうでない場所では森の中より危険が多い。緊急時でもない限り、むやみに海へ入らないのは鉄則だ」
シトラスが旅の途中にやたら泳ぎたがって、なんど諌めたことか。そもそも湾になった場所じゃないと、波が高すぎて危険だ。やはりこうして体験してみないと、リスクを実感するのは難しいだろう。
「でも冷たくて気持ちいいねー」
「火照った体に心地良いです」
「お風呂とは違う気持ちよさなのです」
「ミントの腰が水に浸かったら、そこでストップだ。こうやって手で水を胸にかけて、冷たさに慣れたらもう大丈夫だから、自由に遊んでいいぞ」
まあ今日の海水温なら、ここまでやらなくても平気だな。海に落ちることもあるだろうコンテストでも、これなら安心して見ていられる。
「ボク、あの人のマネして泳いでみる」
「あまり沖の方には行くなよ」
「うん、わかった!」
勢いよく水に飛び込んだのはいいが、全然前に進んでないぞ。水しぶきはムチャクチャ上がってるんだが……
「おーい、シトラス。膝から先だけでバタ足をやったらダメだ。つま先まで一直線になる状態を保ったまま、足の付け根だけ動かすことを意識してみろ」
「こんな感じー?」
「そうそう、上手いぞ」
「あとは体を真っすぐ伸ばして、あまり力みすぎないよう気をつければいい」
「あっ、凄い! こんな軽い力でもちゃんと前に進むんだ」
もともと身体能力の高い種族だし、なにより水の抵抗を受けにくいスタイルをしているからな!
「ミントは浮き輪を使って遊んでみるか?」
「はいです! プカプカ浮かぶの、面白そうなのです」
あらかじめ膨らませておいたドーナツ型の浮き輪を渡し、もう少し水深のある場所まで行く。
「浮き輪を使ったままバタ足の練習ができるし、水の中で目を開ける訓練をしておけば、泳ぎが上達するのも早いぞ」
「ミント、頑張るです!」
「ユーカリは、まず浮かぶ練習からやってみよう」
「は……はい」
おや? 顔を真っ赤にしてどうしたんだ。不埒な連中は、片っ端から閃光魔法で行動不能にしているし、恥ずかしがる要素はないと思うのだが。
「もしかして体調が悪いのか?」
「あっ、いえ。ちょっとしっぽがムズムズして……」
肩越しにユーカリの後ろを見ると、水中で広がったしっぽに小魚が群がっていた。あー、なるほど。隠れるにはちょうどいい場所だもんな。しかしこれ、しっぽで釣りができそうだぞ。
「少しだけ動くなよ」
「わかりました、旦那様」
軽くユーカリを抱き寄せながら、手で魚たちを追い払う。しかし水中で揺らめくしっぽは、よほど魅惑的に見えるらしい。追い払ってもすぐ寄ってくる。
「小魚に大人気だな、ユーカリのしっぽは」
「魚に突かれていたのですか?」
「百三十モフの素晴らしさは、魚にもわかるんだろう。ちょっとした魚礁みたいな感じになってる」
「追い払うのも可哀想ですし、どうしましょう」
「動いている間は離れていくし、ブラッシングと同じですぐ慣れてくるんじゃないか? 特に害はないだろうから、頑張って耐えてくれ」
「うぅ……わかりました」
まさか従人のしっぽが、こんな能力を秘めていたとは。ミントの丸いしっぽは無事だが、シトラスもかなり危なそうだ。後でちょっと観察してみよう。
「あのー、すいません。ちょっといいですかー?」
ユーカリの頭を撫でていると、海岸の方から呼ぶ声がした。こちらへ向かって大きく手を振ってるのは、二十歳くらいの上人だ。子供連れの女性ばかりなので、育児サークルみたいな感じか? この世界に幼稚園や保育園はないしな。
「ああ、構わないぞ。一体どうしたんだ?」
「隣りにいる従人が掴まってる道具、うちの子にも使わせたいんだけど、どこで手に入るのかな?」
「これはエチゼン工房って所に作ってもらったんだ。魔道具に使う被膜を利用して、中へ空気を入れられるようにしている。軽くて丈夫な上に、空気を抜けば小さく折り畳めるから、持ち運びにも便利だぞ」
「ありがとー、私たちも発注してみるね!」
集まっていた女性たちが、子供を連れて商業区の方へ歩いて行く。木材が貴重な世界だからだろう、こうやって水に浮かべる道具はあまり普及してない。浮力を得たいだけなら、材質にこだわる必要はないってことで、魔道具を作っている工房を訪ねてみた。そうして出来たのがこれだ。
タラバ商会の系列店は、どこも本当にいい仕事をしてくれる。なにせ海水浴の楽しみを広げる必需品だからな。
とにかく、またビーチの人口密度が下がった。
今日はゆったり海水浴を楽しめそうだ!
タラバ商会
・ズワイ衣料品店
・エチゼン工房
と、二つの系列店が出てきました。さて次回登場するのは?
「0068話 新しい遊び」をお楽しみに!