0006話 シトラスの秘密
腰にタオルを巻いて浴室へ入り、椅子に座らせたシトラスの後ろで石鹸を泡立てる。雑に刈られた短い髪のせいで、一見すると男のようにも見える外見だ。しかし改めて見ると、肩はなだらかで全体的に線が細い。腰もキュッと引き締まっているが、やはりそこから伸びているしっぽに、目が行ってしまう。
「こうやって石鹸をしっかり泡立ててから、しっぽや髪の毛に馴染ませるんだ。浴室には荒目の柔らかいブラシを置いておく。それで丁寧に汚れを落とすんだぞ」
「・・・・・」
恐らくパピーミルに飼われていたときは、かなり汚れていたに違いない。そこから従人販売店へ移され、生活魔法で洗浄されたってところか。染み付いた汚れが、完全に落ちきっていない。それに毛もギシギシとしており、指通りが悪すぎる。毛を保護している油分まで飛ばしてしまう、生活魔法の欠点だ。
「今日は初日だから何度か洗い直すが、普段は一回洗うだけで十分だからな。この石鹸には毛にうるおいや艶を与える効果があるから、使えば使うほど仕上がりが良くなってくる。これはお前のために用意したものだ。遠慮なくガンガン使え」
「・・・・・」
何度か洗い直していくうちに、毛質がかなり改善してきた。そのまま頭に取り掛かったが、耳に手が当たるとビクッとするのが可愛い。これは体性反射みたいなものか? 膝を叩くと足が上がるのと同じだな。
「よし、背中も洗い終わったぞ。なんなら前も洗ってやろうか?」
――バッ!
タオルを差し出しながらそう尋ねると、奪い取るようにひっつかんで体を洗い始めた。俺も別の洗い場へ移動して、頭と体をきれいにしてしまおう。
脱衣所に入ったときから言葉を発しなくなったが、怒っているわけではなさそうだ。しっぽや頭を洗われているときは、力を抜いて身を委ねていたしな。まあ自分の体型を気にする乙女な部分を持ったやつだし、今はそっとしておいてやるか。お楽しみは風呂を出てからだ。
「おーい、湯船に浸かるぞ。お前も来い」
「・・・・・」
腰にタオルを巻き直して湯船に浸かり、背中を壁に預けて足を伸ばす。シトラスはタオルで前を隠したまま、端っこの方に行ってしまう。足の間に座らせて、後ろから抱きしめるような関係には、まだまだ遠いな。
「お風呂はいいものだろ。こうしてお湯につかっていると疲れが取れるし、気持ちも穏やかになってくる。命の洗濯なんて言うやつもいるんだぞ」
「……なんでボクなんかと契約したのさ」
「おっ、やっと話をしてくれたな」
「はぐらかさないで質問に答えてよ!」
こちらを睨む青い瞳が、浴室の光を反射してキラリと輝く。やっぱりシトラスの目はきれいだ。どんな状況になっても決して諦めない力強さがある。どうして彼女を選んだのか、そして俺がなにをしたいのか、話すなら今だろう。
「その質問には答えてやる。だが少しだけ俺の話に付き合え」
「わかったよ」
「それから一つだけ言っておく。自分のことを〝ボクなんか〟とか言うな。俺は他の誰でもない、シトラスのことを気に入ったから契約したんだ。お前には俺の求めるものが詰まってる。だから自分を卑下する必要なんてないぞ」
まあ急に意識を変えろってのも難しい。そのあたりは焦らずゆっくりとでいいだろう。
「キミは護衛になる従人が欲しいって言ってたよね」
「ああ、店でそう言ったな」
「それなのに四等級のボクを選んだ。その理由がわからなかったら、あんな言い方になると思うけど?」
「確かにシトラスの言うとおりだ。その答えを聞かせる前に、俺から一つ質問をしよう」
少し長くなるので、二人で浅い場所へ移動して、半身浴の状態になる。これなら長風呂をしても平気だ。
「野人がどうして虐げられているか、その理由を聞いたことはあるか?」
「えっと……神の怒りを買って弱体化された、だっけ」
「太古の野人はとても力があったんだ。今みたいに使役契約をしなくてもレベルは上がったし、魔法とは別の力も持っていた。現在とは逆で、野人が乾いた土地を支配していたしな」
その頃は俺たちのことを〝只人〟と呼び、そして動物の特徴を持った者を〝天人〟と呼んでいたらしい。
「知ってるか? 当時の野人は今で言う品質が、最高で二百五十五だったんだぞ」
「え!?」
「今の上人だと最大値が二百四十だから、どう転んでも使役契約は無理だな」
「確か品質よりすごく高くないとダメなんだったね」
「上人の場合は支配値というが、品質の十六倍ないと契約不可能だ。四等級の品質は十五だから、十六倍すると二百四十になる。つまりギリギリってわけだな」
「キミはその支配値を持っているから、ボクを従人にできた……」
「まあ契約が成立している以上、そういうことになる」
これに関してはまだ話さなくてもいいだろう。計算のできないシトラスに伝えても、混乱させるだけだ。
「さて、少し話題を変えるぞ。次は俺が授かったギフトについて、教えておこう」
「上人が十五歳になると、神から与えられる特殊な力だっけ?」
「その認識で問題ない。俺が授かったのは[論理演算師]という、数百年に一度出るか出ないかと言われる、激レアギフトだ」
「そんなものを授かったから、キミの態度も大きいんだね」
いや、これは単に育った環境でそうなったに過ぎない。なにせ父親にしろ兄弟にしろ、偉そうな態度のやつばかりだったからな。そんな場所で下手に出たら、簡単に付け込まれてしまう。
「とりあえずそのことは置いておくとして、論理演算師というギフトは役に立たない、ハズレと言われてるんだ」
「へー、そうだったのか。それはご愁傷さま」
嬉しそうに言うなシトラス。ここからが本題なんだぞ。
「品質や支配値がわかるだけのギフトと記録に残されているから、それは仕方がない。しかし俺はその数値を、二進数に置き換えることができる」
「にしんすう? それができると、どうなるんだい?」
「例えば一等級の品質は、一・二・四・八だ。そして二等級だと、三・五・六・九・十・十二になる――」
俺は曇ったガラスに数字を書き、そこに二進数表記を加えていく。そして野人は四桁の数値しか見えないこと、そして上人は八桁の数値があることも軽く説明する。
十五まで書き終わってシトラスを見ると、かなり驚いた表情に変化していた。この世界を支配する法則性に気づいたんだろう。やはりこいつは頭の回転が速い。
「縦に引かれた棒の数が、僕たちの品質を表してるんだね」
「そのとおりだ、シトラス。恐らくレベルの上がりやすさで、四つに分けられたんだと思う。だがそれには、ちゃんとした理由があったんだよ」
上人の支配値は十六、三十二と上がっていき、最高が二百四十なので、八ビット中の上位四ビットを使ってるわけだ。
太古の野人たちは自分たちの力に驕り、神への反乱を企てた。そして天罰が下され、上位四ビットを剥奪されてしまう。さらに単独ではレベルも上がらなくなり、上人に支配される存在へ落とされる。書庫の本で得た知識に、俺の考察を加えた歴史がこれだ。
「それでボクを選んだ理由と、どう繋がるのかな」
「シトラスの持つ数値は十五だが、二進数で書くとこうなる」
俺はガラスに十五の数字を書き、その上に[0000 1111]と付け加えた。
明日からは一日一話。
朝7時に予約投稿します。